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自己紹介みたいな(Part2)

求人、たくさん応募した気でいたけど、思い返してみると、気になった会社がいくつかあっても、「もし自分がそこで働いたら・・・」とか、「面接のときにきっとこう質問されて、私がこう答えて、落とされるんだろう」とか、そんな妄想だけしていて、実際に応募していないところも多かったことに気づく・・・。

大学院中退から仕事が見つかるまで

大学院を中退すると決めてから、実際に中退するまでの間に、正社員の仕事を探していた。応募して会社側から気になった場合にだけ連絡がくるというところは数社から連絡がなかったし、書類選考なしのような書き方しているくせに、履歴書送付後に「残念ながら・・・」と言われたところもあった。

3社ぐらい面接の段取りまで行って、2社は面接後に落とされた。もう1社は面接の日程まで決まったのに、人員が埋まったとかなんとかで面接なくなった。

応募した後に私から辞退の連絡をしたところも多い。3社くらいは辞退の電話やメールを入れたと思う。

記憶?のなかでは、私はたくさんの会社に落とされたつもりでいたけど、きちんと思い返してみると、確かに数社からは落とされたけど、自分から辞退したところや、応募すらしなかったところも沢山あったことに気づく。

きっと私は大きな会社や、私が先行していた数学の学生を欲しがるようなIT業界の人たちには、求められない、見下される、舐められる、認められない、と思いこんでいて、実際にあった出来事と想像がごちゃごちゃになっている。

それで結局、私は派遣社員で募集があったところを選んで、新規の大量募集のフルタイムの仕事をもらうことができたので、大学院中退後の4月からそこで働くことになった。

派遣社員として働いた約半年間

大手の通信会社が運営するアプリのサポートセンターで派遣として働いた。きれいな職場で最初は不満はなかった。でも徹底的な監視体制がすごく窮屈で気持ち悪いと感じるようになる。

30分単位で何をしているのか申告しなければならない。業務がなくなって空き時間が出ると、何を勉強するつもりか予定を書き、何時何分から何時何分までやったのか、勉強した内容の記録をさせられる。

隣の人に少し質問するだけでもチャットを使わなければならない。業務以外のことは、極力させないようにするスタイル。

会社を辞めようと思った一番のきっかけは、上司の対応。業務改善になると思って相談したところ、簡単に言うと「新しいことを始めるには、他部署との共有や効果測定とかやることが沢山あって大変なの」という回答をもらう。

なぜか責められたような感覚になった。「大手で働くとはこういうことよ」と頭の中で勝手に声をつけ足してしまうし、「あぁ、こんなもんか」と思うところもあった。こんな些細なことだけど、このときは「心が痛い」と感じる心の傷つき方をした。

最終的に、大きなところで働くのは向いていないのだろう、という結論を出して、数か月後、契約更新をせずに退職した。子どもが拗ねたみたいな結論の出し方だなと振り返って思う。でも間違っていないなと今でも思う。

Webライターとしての現在

派遣を退職してからは、自分のメンタルの弱さ、人と関わるだけで自分の心がこんなにも左右されることが苦しくて、外で働くのは無理と感じていた。

それで派遣社員のころから副業でちょこちょこやっていたWebライターだけで今は生活費を稼いでいる。開業届は出していないので、いわゆるフリーランス。

家も家賃が安いところに引っ越した。最初は古くて虫も出て家が嫌いだったけれど、DIYがOKなところなので、床を張り替えたり、自分で作業デスクを作ったりして、今はなかなかお気に入りの家に。

家やカフェで仕事をして、たまにクライアントからの指摘にイラっとすることもあるけど、自分の都合だなと思える範囲の出来事になっている。

実は生活費は全部まかなえていなくて、クレジットカードの支払いの払えない分は、分割払いに変更したりして、小さな借金を積み重ねている状況。

でも外で働くより、今の生活を続けるために頑張った方が、絶対に幸せだと信じているから、Webライターの腕を磨いている。

怠け者で、自然に触れるのが好きで、日常の中に仕事も何もかもをとりいれて生きていきたいと思っている私は、自分のことがきらいきらいと言いながらも、自分の理想を捨てなかった私を好きなんでしょう。

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