探せど探せど見つからぬ、自分軸。
拝啓 シェイクスピア様
はじめまして。シェイクスピアさん。
わたしは、2021年を生きる若者です。
急な手紙に驚いていると思います。わたしもです笑
大変失礼ながら、わたしはシェイクスピアさんのことはあまり知りません。
でも、時代も国も超えて人々に愛される作品をいくつも生み出した悲劇作家であることは2021年の人も認めていると思います。でも、ロミオとジュリエットの結末はやっぱり悲しい…
実は二人とも死んでなかった!みたいな続編を待ってます笑
わたしがシェイクスピアさんに手紙を書こうと思ったのは、2021年を生きるひとりの若者としてあなたに質問したいことがあったからです。
「人生は選択の連続である」
これがシェイクスピアさんの言葉とは知りませんでしたが、2021年の今もよく見ます。
以前は「なるほど」と思って流していましたが、最近はこの言葉がわたしを苦しめています。(つまり、文句です笑)
ふと思ったんです。
「人生は選択の連続である」と、世界で一番最初に言った人の生きた時代にはどれくらいの選択肢があったんだろう…って。
もし、この言葉を初めて言った人と話す機会があるんだったら、選択肢どれくらいありましたか?って聞いてみたいと思っていました。Google先生に聞いてみたら、シェイクスピアっていうから、手紙を出す宛先が決まった。有名な人が言った言葉でよかった。笑
わたしの生きている時代は
シェイクスピアさんが生きていた16世期のイングラントより、はるかに選択肢が多いんです…。
どれくらい?って言われても困るけど、把握し切れないくらい!
わたしは、サイゼ でなにを頼むかも決められないくらい優柔不断な人間だから、こんなに選択肢があると、なにを選んでいいのかも、それが正しいのかもよくわかりません。ぴえん。
細かい日常の選択は、大体同じかも。靴下は右足から?左足から?とか。今、おやつ食べる?食べない?とか。
でも、なんだろ。選択の量も、質も確実に増えてる
そう、人生の重要な局面でさえも
「職」は、生まれに関係なく、どこで、なにをするかを自由に選べるようになってきた。会社に入ってもいいし、自分だけで働いてもいい。場所も、都会でも田舎でも他の国でもいい。会社でも家でもOK。もはや、今までのように働かなくてもお金を稼げたり…
「結婚」すること、しないことも選べる。
結婚しても別々に暮らすこともできる。結婚はしないけど、事実上結婚ということも選べる。子どもを産む方法もいろいろあるし、自分で産まないで子どもを持つこともできる。
しかも、女と男で結婚しなくてもいい。
シェイクスピアさんの時代からすると信じられないかもしれないけど、
「自分の性」(セクシャリティ)を選ぶことができる。選ぶという言葉が正しいかわからないけど、生まれ持った身体的な性(sex)と自分が思っている性(性自認)が一致していても違ってもいいし、それをどういう風に表現したいかもそれぞれだから。
「宗教や死生観」も、わたしが住む国ではそれぞれが選べるようになった。
「食事」も、なにを食べ、なにを食べないかを自分で選ばないといけない。肉、魚、卵、乳製品、小麦とかを、どこまでは食べてどこまではやめとくのかなどなど、、、
「政治」に「環境」に、「消費」だってetc.
書き切れないほどの重要な決断を日々迫られています。
これからも、選択の機会や選択肢の数は増えていくと思う。
たしかに、シェイクスピアさんの言うように『人生は選択の連続』
でも、あなたが生きた時代にはこんなに選択肢はあったでしょうか?
つまり、どう生きるか。そして、どう死ぬか。
それのほとんど全てを自分で選ぶ時代になった。
(まだ理想論なところはあるけれど、、、)
シェイクスピアさんは、羨ましいと言うかもしれません。
もしかしたら、このような時代が来ることを見越してこの言葉を残したのかもしれません。
でも、この恵まれた環境に苦しめられてる自分もいる…
だって、自分の選択は、自分の人生だけじゃなくて、他の人にも、
地球の未来までに影響するって気づいちゃったから。
それに、
苦労して作り上げた価値観も正しいかわからない
これも、結構つらかったりする…
本当に千差万別なので、答えが全く存在しない。だからこそ、自分で一個一個納得して、「これでいい」と繰り返していくしかないでしょ?
でも、自分で自分を「これでいい」と認めるのは結構むずかしいことだったりします。人に、「それいいじゃん!」って言う方がよっぽど簡単。
みんなと同じならなんとなく正解っぽかった時代から徐々に抜け出そうとしています。でも、みんなと同じ方が、安心感がある。ぬくぬくのお布団みたい。
選択肢が自分にとっていいことでも、【みんな】から抜け出すのに結構勇気が必要だったりする。怖くてたまらない。
なにを軸にして選ぶのか
無数の選択肢の中で、自分がなにを選べばいいのか。
茫然と立ち尽くしている…
自分の軸はどこにあるのか。自分の価値基準はなにか。
それすらも自分で選び、決めて、なければ作っていかなければなりません。
もはや、わたしたちに”軸”などないのでは?…
特定の宗教を信仰しているとなったら、それが軸かもしれないけど、その宗教さえもこれを自分の軸にしよう!と、自分で選ばないといけない。
シェイクスピアさんの時代に、ジェンガがあるかわかりませんが笑
ジェンガのように一つずつ自分で積み上げ、重ねていかないといけないのです。
そんな、作業だからこそ【選ぶ】ことには、多くのエネルギーが必要
まず、【知る】、わからなければ【調べる】。そして、調べたら新たな選択肢も増えます。OMG…正直、結構疲れます。
ジェンガだとすると、不安定な時もありますし、突然崩れることもあります。それでも、また一個ずつ自分で選んだブロックを積み上げていかないといけない、そんな時代な気がしています。
もし、シェイクスピアさんと会える機会があれば、暖炉の前でジェンガしましょう!日本から持ってきます!!笑
だからこそ、自分とはなにかにすごく悩む…
軸がないのだとしたら、もはや自分を探しても見つかりっこない。
ってことは、自分は探すものではなく、積み上げるものなのかもしれない
そう思いながらも、やっぱり自分探しの沼にはまって身動きが取れなくなっています。
自分の価値基準で、選ばなくてはいけないけれど、
その価値基準さえ自分で選ばなくてはならない
矛盾じゃん!!!
シェイクスピアさんならどうします??
たまごが先か、にわとりが先かって話になっちゃうけど、
自分があって選択するのか、選択するから自分になるのか
謎は深まるばかりです…
さて、シェイクスピアさん、
シェイクスピアさんが「人生は選択の連続である」と言った時よりも、この言葉が2021年を生きる若者の肩に重く乗っているような気がします。
もちろん選べる喜びを感じていますが、
わたしには、選びぬく力もないのです。
あなたからはどう見えるのでしょうか。
「若いな」って感じですか?
「贅沢だな」って笑ますか?
これは、普遍的な悩みなのですか?
それとも、この時代特有の悩みなのでしょうか?
お返事待ってます。
Best regards,
Chisa Okayama
*タイトルを変更しました。
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