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懐かしい場所を巡るのは遅すぎないうちに

一人で実家に帰る。

いよいよ家族に見捨てられた、というわけではなくちょっと用事があっただけである。すぐに終わる用事だが親と会うのもひさしぶりなので一泊することにした。

一人で実家に帰ることはほとんどない。この機会に子供の頃に通っていた小学校とか遊んでいた公園とかを数十年ぶりに見に行ってみることにしようと思い立ち、折り畳み自転車を車に積んで実家に向かった。

用事をサクッと済ませ、両親としばし過ごしてから自転車で出かける。

まずは小学生の頃に住んでいた家に向かう。今の実家は私が社会人になってから引っ越した新実家だ。大学生になるまで住んでいた旧実家が今どんな風になっているのか気になっていた。

旧実家はきつい坂の上にあり、どこに行く時も帰りはその坂を上る必要があった。傾斜がきつすぎて結局一度も自転車で上りきれなかった。

だが今回は大人の力とスポーツ型折り畳み自転車( DAHON Boardwalk D7 )の力がある。さび付いた自転車に乗っていた子供の私とは違うのだよ、と思いながらグイグイ上った。

どうだ!余裕で上りきって子供時代の雪辱を果たしてやったわ!

…と言いたかったところだがピークを過ぎた大人の力は小学生よりもなお劣っており、それはスポーツ自転車でもカバーできないほどの低さだった。結局途中で力尽きて自転車を降り、ヒィハァ言いながら押して上った。もう少し体力がある年齢で再挑戦すればよかったか…。少し遅すぎたようだ。

どうにか坂を(歩いて)上りきり、旧実家となる家にたどり着いた。およそ20年ぶりだ。懐かしい。今はほかのどなたかが住んでいるのであまりじっくり見ることはできないけれど、外観も庭も記憶にある20年前の姿のままだ。できるなら家の中も見たかった。

しばし旧実家を眺め、その後近所のよく遊んでいた公園などを見て回る。公園の遊具がいくつか新しくなっているように思えるけど、はてこれは自分が遊んだ時代からあったものなのか、それとも新しく設置されたものなのか、記憶が曖昧で判断がつかなかった。


続いて実家から小学校までの通学路を辿ってみることにする。確か小学生が歩いて片道15分くらいの道だ。ああここに友達が住んでたな、この小川沿いの道を歩いてたな、と記憶を蘇らせつつ自転車を走らせる。ぼんやりしていた記憶がくっきりした姿で上書きされていき、そのたびに「おお…うおお…」と感動が怪しげな声になって漏れる。

小学生時代の自分を思い出して感動しつつ進んでいたのだけど、小学校まであと少しというところで急に記憶が怪しくなってきた。あれこんな道通ってたっけ?こっちで曲がるんだっけ?と迷ってるうちにいつの間にか通り過ぎていた。

その後Googleマップを見ながらどうにか小学校にはたどり着けたのだけど、結局どこが正しい通学路だったのかさっぱり思い出せない。

なぜ終盤の道だけ思い出せないのかが謎だけど、思い出せないものは仕方ない。もう少し若い時に鮮明な記憶力を持った状態で来てみるべきだったのだ。

小学校はなんだか記憶にあるよりも立派に見えた。校舎の時計とかプールとか細部は記憶のままなのだけど、校舎全体や運動場の記憶がふわっとしていたので、全体を見たときにずいぶん大きく見える。

不審者だと怪しまれない程度に学校の周りをゆっくりまわり、満足して新実家に帰った。


自分の薄れかけた記憶と実際に変わってしまった部分とを答え合わせしながら進む「懐かしの場所巡り」は楽しかった。記憶喪失になった後で再びその記憶を取り戻すような感覚を味わうことができた(なったことないけど)。

40を過ぎて初めてこの旅を思いたってやってみたわけだけど、もう少し早くやってみてもよかったように思う。30の時であればきっとあの坂も上れたし小学校への通学路も最後まで思い出せたんじゃないだろうか。

他にももう一度行っておきたい場所がいくつかある。あの頃と同じことを再現できる体力と記憶が残っているうちに再訪しておきたい。

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