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インターネットのお仕事に関ってからその後

前回私がインターネットのお仕事をするに至った経緯を書きましたが、もう少しその変遷を深掘りしていこうかと思います。

まず、経歴から軽く触れさせていただければと思います。

大学卒業後、システム開発会社にて第1システム開発部にて生命保険営業ツールや顧客管理端末開発プロジェクトへ従事。
簡単に言うとSE見習いみたいなことをしてVBで書かれたシステムを使って生命保険営業ツールや顧客管理端末の開発をやっていました。
JAVA書いたりとかフロント開発もしてましたが今じゃ全然プログラムは書けません(笑)

2002年、有限会社セルへ入社。のちに株式会社CELL、ドワンゴコンテンツと名前は変わっていきます。
そこで着メロや着うた、着ボイスなどのデジタルコンテンツ企画制作業務へ携わり、その後、メールポータルサービス「ニワンゴ」、ニコニコ動画の立ち上げへ携わっていました。その傍ら、CEOアシスタントとして業務補佐を行いWebコンテンツ黎明期におけるパラダイムシフトのうねりに身を投じていました。
とにかく何もかも刺激的でした。出会いもたくさんあり今もその頃出会った方々には公私共に相談させていただくことが多いです。

2010年からWebディレクションや開発のナレッジを高め成長したいという想いからWeb制作・開発会社である村式株式会社へ入社。開発ディレクションやサービス運営、コンサルティング業務を担当。

2012年やはり自社サービスに携わっていきたいという思いが強く、株式会社プロトコーポレーションへ入社。GooBikeをはじめとする自社サービスの企画やPM業務に従事。その後、対競合戦略としてオウンドメディア 「グーマガジン」を担当。
事業会社だったのでカチッとした決まりが多かったです。IT畑で割とこれまで雲のジュウザ的な生き方をしてくることが多かったので「我が拳は我流、我流故に無形」という私の仕事のやり方は結構異質だったかと思います(汗)

2018年からはピクシブ株式会社にてBOOTHのPdMを担当。2019年からマネージャーおよびBOOTHプロダクトオーナーに就任。「クリエイターがいかにクリエイティブだけで生活していけるか?そのために我々が何をできるか?」をテーマに事業推進に努めておりました。
ご縁があってサブカル文脈へ回帰してきました。この頃からプロダクトマネージャーという職種に時勢的にも移り変わっていったのかもしれません。

2021年5月から株式会社スリーシェイクへジョイン。コンシューマー向け事業を中心とした新規プロダクト開発や事業設計に従事(過去形)。

ドメインも様々ですが色々なお仕事をさせていただきました。

一貫しているのは「ユーザーが利用する」プロダクトであるか否か。これまで一貫してユーザーの好きが私の好きでもあること。それであるからこそ私も考えたいし作りたいというバランスを持って仕事に取り組んできました。またその思考があればこそこれまでの経験やナレッジを生かすことができるというのがまず第一です。
幸運にもそういった事業に携わって来れたが故にこれまでもいくつか事業をグロースし収益をスケールさせてくることもできたのかと思います。
ドメイン的にも私のライフサイクルや経験、知見との親和性があるプロダクトであるかどうかも大きなポイントだったのかもしれません。
そういった方向感や価値観をすり合わせながら事業をチャレンジングに推し進めていくことができるか否かを常に考えて仕事をしてきました。
その中での人との出会いが様々な仕事に結びついてきたのかと思います。

20代から30代前半まではコンテンツ作りやサービス運営において、「とにかくおもしろいもの」をアウトプットすることばかり考えていました。
30代後半からは徐々に「おもしろいこととは何か?」、「そのおもしろいは人の生活基盤を支えることができているのか?」と考えるようになってきました。私たちが日々生きるうえでインターネットは欠くことができない存在になって久しいですがまだまだその価値は最大化されておらず、途上にあると思います。
「『おもしろきこともなき世をおもしろく』知恵とテクノロジーを用いてビジネスで“優しい革命”を起こす」私はこのMISSIONを持って、平和で豊かに、生活をし続けていける「社会」を形成し、インターネットを通じたビジネスの発展を行なっていきたいと考えています。

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