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理想の叱り方はカジサック―自分の育ちと将来の子育てを考えてみた―
YouTuberカジサック。
2年前のチャンネル立ち上げのときは考えていなかった、子育て関連の動画をUPするようになって、それが幅広い世代に好評だ。
父として、子どもや家族との向き合い方がしっかりしていて、意志を持って育てているなという印象があり、先日めでたく、
『イクメンオブザイヤー2020 動画クリエイター部門』
も受賞したカジサック。
カジサックの子育てについての考え方の凄さは、こちらを読んでいただければと思う。
様々な媒体からインタビューも受けている。
そこで、やっぱり、私が凄いなと思うのは、
”子どもの叱り方”。
この記事にも書かれている。
カジサックは、子どもが良くないことをしたときの叱り役。
父親がこの役を引き受けることは、本当に大事だと思う。
何かしながら怒るのでなく、叱るときは一対一でがっつり叱る。相当怖いらしい(子どもたち談)。
でも、はい終わり!で切り替えて、あとはその子どもを笑わせる、というアフターケア付き。
これ。
すごくいいなぁ、、、、、、と、話を聞くたびに思う。
たとえ理想はあっても、こういうことがなかなか、分かってもできなかったりする。
イライラしていることもある。親も人間だから。感情に任せて怒ったり、八つ当たりしてしまったりもあるだろう。
特に、母は子どもといる時間が長くなりがちなので、イライラもたまってうまくいかない場合が多い。
そんなとき、父親がこんなに子育てに理解あるひとだったら。
叱ることには、カロリーをかなり消費する。
私は子育て未経験だが、保育現場で働いた経験はある。
保育は、家に帰ったらしなくていいが、親は24時間親だ。
感情、メンタルをずっと安定させておくことは本当に難しいと思う。というか、無理だよね。
母親ひとりでは。
ひとりで親をつとめている方、本当に尊敬する。
私自身、現在鬱病治療中だが、もともと情緒が安定しているひとじゃないし、基本不安強め人間だ。
そして。
子どもとしての私目線の話をすると。
私は長女。
母は、24歳で私を産み、姑さんの影響もあって、不安が強いまま子育てをしてきた。
私の母は、自分の父親を早く亡くしていて、その頃からあまり元気のないひとだったようだ(本人談)。
そして、私の父は、朝から晩まで仕事仕事で、夜遅く帰り、酒を飲んで、ご飯を食べて、寝るのも遅く。その遅い時間に、私をお風呂に入れてくれてはいたようだが。
妹も合わせると、母は、3人の子どもの面倒をひとりでみていたような感じだったらしい。
、、、、、、その過去を知ったところで、カジサックファミリーの素敵な子育て動画を観ると、なんとも言えない切ない気持ちになることがある。
子どものこと、家のこと、全てのことをひとりで抱えてきた私の母は、度々心身を壊していた。今は私も大人なのでわかるけれど、母は私たち子どもに心配をかけないようにしていたから、私が小中学生の頃に母がダウンしたときのことについて、記憶があまりない。親不孝だな、、、、、、
10年前の母のダウンのときは、私がもう社会人だったのでなんとか、力になれること、母のためにどうしたらいいかを考えられた。
私も鬱病になってしまい、母と共に過ごす時間の中いろいろ経ていく上で、母が具合が悪いのは、基本的に今まで、母がピンチだったときに父が全力で母を守ってこなかった、全てを母任せにしてきたからだと分かった。何十年ものことが、積もり積もると、こうなってしまうのかな。
”イクメン”
という言葉をあえて使うことに対して、批判もあるし、わかる。
男が子育てに参加することは、親だから当たり前なのに、特別なことみたいに扱うなと。
でも、こうして言葉でも作らなければ、”子育てを奥さんに任せて当然”なひとたちがあまりに多かった、ということが言えるのではないだろうか。
亭主関白、女は家事、なんて、時代はもうとっくに変わっている。
カジサックも、はじめは奥さんに任せていたことが多かったという。
そこから、いかに奥さんの状況に気づき、できることを探せるか。
カジサック動画を観た男性が、カジサックの父親、旦那としての姿勢に対し「参考になった」というコメントを残していることがある。
母親になるひとはもちろんだが、未来の父親を、カジサックは育てているのかもしれない。
私自身は、今の自分の両親に対して、
”ここに生まれてきたのが間違いだった”
なんて思わない。
不自由なく育ててくれて本当に感謝している。
ただ、母の苦しみにずっと気づかないで過ごしてきてしまったこと、結果母が今もなお通院しながら過ごしている状況で、しかも私までこんなことになってしまってさらに負担をかけてしまっていることに関して、本当に情けないのだ。
もっと、本来明るい母でいられるはずだったかもしれないのに。
父が、このことをどこまで考えているのかは全く読めないのだけれど、母の訴えはだいぶ素直に聞くようになった。
父は、穏やかではあり、一見やさしそうに見えて、実は全く何も考えていない。
こうしたい、これをやらなきゃ、が一切ない。
カジサックのような、”父親としてこうする”、とかいう意志が全くないのだ。そして、”このひとが今大変そうだからこうしよう”、も、ないのだ。
実際、私は父に叱られた経験が、ゼロだ。
穏やかだ。
ただ、やさしくはない。
良くも悪くも、ひとに影響されたり、誰かの行動に腹が立ったり、気になったりすることがない父。”叱る”というきっかけになる感情が生まれないのだろう。
また、母が「これはあなたから言ってよ」と、娘に釘を刺したいときにお願いしても、父は濁すだけ。
叱る役も、褒める役も、ピンチを救う役も、家事全般も、何かを決断、遂行する役も何もかも、母がやってきた。
これは、母が病気になってもおかしくない。
ただ。
父は、ずっと、ずっと、働き続けた。
同じ会社で。
転勤になっても、単身赴任しても、帰ってきても、何があっても、ずっと、同じ会社で働き続け、その企業の変遷をずっと見てきた。
社会で心身を壊した私にとって、それがどれだけ凄くて、当たり前なんかじゃないことか、痛いほどに分かる。私は、5年しか続けることができなかったから。
父が働き続けていることで、こうして働けない状況が続いている私も、屋根のある家で生かしてもらえている。
父がいなければ、母も私も、まだ実家暮らしの妹も、大変な思いをしている。
何も言えない。
ただ、母がこれ以上壊れないよう、何か方法はないかと考える。
、、、、、、私は、自分を元気にすることしかない。
私には夢がある。
結婚して子どもを産むこと。
保育は続けられなかったけれど、子どもがすき。
子育てのとき、まだ鬱病になったら、とか考えるけれど、とにかく、いっぱい抱いてあげたい。
そして、うまくいくか分からないけれど、
苦手な ”お願いすること” ”頼ること” を旦那さんにはしっかりして、自分だけが抱えてしまわないようにしないと、私の母と同じような苦しみを抱えてしまう。
カジサック程に子育てに対して理解があるひと、とはいかなくても、私の情緒が安定することを大事に考えて、夫婦で子どもと向き合っていきたい。
私は、不安になりやすい。
子どもは、それがすぐにわかる。
私は、自分の母親に対して、今だに顔色を伺ってしまう。
情緒が一定でないから、機嫌によって言うことが変わる。
感情的に叱られる。
そういう中で育つと、機嫌をみて関わるようになってしまうのだろう。親以外にも、職場のトップのひと、権力のあるひとなどの存在に圧倒され、びくびくしてしまう傾向にある。
自分の子どもに、そうなってほしくはない。
自分を大事にできる子に、育てることは、できるだろうか。
びくびくするのでなくて、自分の考えを否定しないで、自身をもって生きられる、子どもを育てられるだろうか。
私が、元気な心で、子育てに向き合えていないと、できないと思う。
私は弱い。
”ひとに頼る” こと。
これが上手にできるようになれば、可能性はある。
心配性、不安になる、自己肯定感が低い、とかいう ”性格” は変えられないから。
うまく、周りに助けを求められるようになろう。
そうしよう。
私には、意志はある。
子どもに対して、”これは大事”、”これは良くない”、は、はっきり教えられる。
あと、保育現場での経験があることは、少し自信になっている。
ひとりで抱えないこと。
これに尽きるかな。
子どもを産み育てる、という、夢はあるものの、ここまで具体的に、そのときの自分に何が必要かを、考えたことがなかった。
いい機会をありがとう、カジサック。
自分がどう育ってきたかじゃない、自分の意志で、子どもは育てられる。
カジサックはそれを見せてくれている。
カジサックみたいに、感謝の気持ちをもって生きていかないと。
こうして書いているうちに、母にも、父にも、本当に感謝したいと思った。
できることが、自分が元気になることしかないし、それもなかなか叶わない現状が本当にもどかしいけれど、確実に私は進んでいると信じたい。
明日は、サポステのPC練習に行ってくる予定。
今しかできないこと、いくらでもやる。
明日は、今よりもっと、身近なひとに感謝しながら過ごせますように。
未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。