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正しさとやさしさを両立できない悩み

会話のキャッチボールを、止めてしまうことがある。


今、家族としかほぼ会話がない状況だが、

相手の言っている言葉、知識、内容が間違っていることに気づいてしまうと、そのまま話を進めることができない。


特に、母との会話にて。

母は、最近話していて、勘違いで覚えていること(言葉、エピソード)が多いなぁと思う。でも、そのまま話を進めたほうがいい場面って、あるんだ。あとで、自分で気づくから。

会話の流れを止めてまで、

「え、違うよ、それは、、、」

なんて言おうものなら、

「え、え、ちょっと待ってわかんない、私はこういうことが言いたいんだけど。え、どういうこと?何?」

と、言いたいことにたどり着かないまま私から間違い(とは思っていない)を指摘されたことで、パニック怒りを起こしてしまう。一回怒りスイッチが入ると、もう、ダメなのだ。

「あんたはそんなに偉いの?」「まるでこの世のすべてを知ってるみたいだよね」「何様なの?」

「あんたは昔っからそうだ。あのときも、、、、、、、」

と、時空を超えた私への説教に入ってしまう。


だから、少しの間違いなら流して、適当に相槌を打っていれば悩むことはないのだ。

でも、間違ったまま、どこまで話が進んでしまうのか、、、、、、私は、どうしても不安になってしまう。ほっとけるときはほっとくけれど、、、、、、



私の幼いころ。

寝る前に母に絵本を読んでもらっているとき、母が疲れていて ”てにをは” を適当に読んだりすると

「○○”が”!」「○○”に”!」

と、すかさず指摘するような子だったという。

昔から、間違ったことを訂正しないと気が済まないたちだったみたいで、、、、、、



今も自覚があるのが、何気なく見ていた文章の誤字脱字に気がつきやすいこと。

校閲の仕事ができるかな?と思ったこともあったが、誤字脱字に気づくだけでは到底できそうにない大変なお仕事みたいで、諦めた。



昨日の朝も、母と話していて、”あれ、それは間違ってるな、、、” と、思ったことがあった。気づいてしまった。

でも、その瞬間、”あ、これは、今指摘したら話が止まってしまう、、、” とも、同時に思った。


間違いへの気づき、それを言わない方がいいという気づきが、同時に起こった結果、

私は口を開けたまま突然表情が無になり、「あ、、、」と、何も言葉が出てこなくなってしまった。


、、、、、、結局、「、、、、、、何?」「何か言いたいことあるの?」

と、言われるも、「いや、、、、、、、、」

と、完全に時が止まってしまった。


”話が通じないのか”、”何を考えているのかわからない”、と思った母は、

「はぁ、、、わかんない、、、私、何か難しいこと言った?」「わけわかんない」

と、結局不機嫌に。


話は止まってしまった。



なんで、間違いにすぐに反応してしまうんだろう。



正直って、いいことだとは思うけれど、正直が過ぎると、やさしくなれない。

嘘がつけないって、いいことだと思われるけれど、全くつけない私は、自分が本当に嫌になる。


”やさしい嘘” という言葉があるが、私は、それすらもつけない程の、バカ正直なのだ。



やさしくない私の正直さ。


例えば。

友人などからプレゼントをもらって、その場で開けたときの反応。


「わーーーーーー、これほしかったのーーーーー♪」


なんて言えない。

相手に媚びたりできない。


もちろん、相手が自分のことを考えて、時間とお金を使って選んでくれた、、、そのことがどれだけ有難いことか、ということは、よくわかっている。

でも、あきらかに自分の好みのものと、そうでないものとは、反応に差がついてしまう。

こんなに正直になりたくない。こんなん大人じゃない。

相手を、確実に不快にさせている。

こういう自分が嫌いなんだ。



本当に、私って、絡みづらい、面倒くさい人間なんだ。



やさしくない。


正直者は、やさしくなれないのかな。



嘘の愛嬌を振りまくことなんてできない。

かといって、

自分はこうなんだ、と、毅然としていられるような器でもない。

堂々と”自分は自分”を貫けるほど、確固たる信念、はっきりとした進む道があるならば、媚びなくたってかっこいい、周りが認めてくれる存在になるだろう。


でも、私は自尊感情が低すぎて、1㎜も堂々としていることなんてできない。

正直な上に自信なくおどおどしている私は、いつも周りに気を遣わせてばかり。


感情は正直に出てしまうし、やさしい行動をとれない。



”気の弱い正直者”は、どうやってひとと関わって生きていけばいいのだろう。


どう行動すれば、正直な自分を愛して生きていけるようになるだろう。


どうしたら、大事なひとを傷つけないで生きていけるだろう。




昨日一日、ずっとそんなことを考えていた。

が、昨夜暑すぎて頭が働かず、記事を完成できなかったし、書いてみたものの、まとまりがない。


同じように悩んでいる方、いるだろうか。


「繊細さん」の本、横に置きながら書いてみたけれど、なんだかこの案件は違うのかな。



性格は変えられない。


どうしたら、もっと自分の”正直”をちゃんと活かしながら、相手にも自分にもやさしく生きていけるだろうか。


”正直” ”やさしさ” が、共存できないなんてことは、きっとないはずなんだ。



きっと、もっと、私はやさしくなれるはずなんだ。




自分を大事にしながら、やさしくなれる生き方が、見つかりますように。

未熟ですががんばっております。治療費にあてさせていただきたいです。よろしくお願いします。