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3. 調停編

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#片親疎外

44. 審判・裁判官との対面

44. 審判・裁判官との対面

家裁の決定が下る「審判」は、可奈を連れ去られてから11ヶ月が過ぎた晴れた日に行われた。

いつものように弁護士の浜田先生と駅からバスに揺られて家裁へ行き、待合室で待っていた。すると、調停員さんが現れて「今日から裁判官が変わった」と告げた。

顔こそ出さなかったが、調停でも担当の裁判官がついていたのに、審判になったタイミングで別の裁判官に交代になったようだ。

それがあまり良いことではないのは、浜田

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43. 片親疎外の観点から

43. 片親疎外の観点から

私は再び、可奈の描いた絵と医師の意見書を持って赤木先生の治療院を訪ねた。
可奈のことや審判のゆくえが心配だったのもあるが、何より、片親疎外の専門家である赤木先生の意見が知りたかったのだ。

マンションの一室にある赤木先生の診療所を訪ねた。ネットや動画で見ていた方が目の前にいるのはなんだか不思議な気分だ。

「どうぞおかけください。」

柔らかいソファーに腰をかけ、可奈の描いた絵を取り出すと、赤木先

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40. 保育園探し

40. 保育園探し

「紗英ちゃんは急いだほうがいい。時間が開きすぎてるし、お子さんが小さいうちは記憶が上書きされやすいよ。悪いイメージを旦那さんに上書きされる前に、笑顔を見せに行った方がいいよ。」

当事者の早紀さんにそうアドバイスをもらった私は、いてもたってもいられなくなり、次の日には可奈の幼稚園を探し始めた。
離れていても親子であることは変わらない、と可奈との関係を楽観的に捉えていた私にとってはリアルな意見で、胸

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39. ママのお人形遊び

39. ママのお人形遊び

俊平くんは、再会してからいつも、毎週のように電話をくれた。放っておくと私が自殺してしまいそうで心配だったのかもしれない。

当時、私の頭の中には「裁判に負けたら死のう。」という言葉が浮かんでは消えていた。

そうする事でしかこの苦しい現実から逃れられる方法はないと思っていたし、魂になったら可奈に会いに行ける、可奈はまだ子どもだから気付いてくれるかもしれない、と考えていた。

真実はいつか、夏生に伝

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36. 3回目の調停・鉢合わせ

36. 3回目の調停・鉢合わせ

「こちら、お父様からです。」

そう言って調停員さんから渡された写真には、熊のぬいぐるみを抱いて嬉しそうに微笑む可奈の姿があった。数か月待ってもらえた写真は1枚だけ。

可奈は、産まれた時からこのぬいぐるみが大好きで、片時も離さなかった。

しばらく見ない間に成長している。身長も少し伸びているようだ。
可奈は私の知らない時間を生きていて、なんだか遠くに行ってしまったようだった。私は家裁の調停室でぽ

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35. 「片親疎外」という児童虐待

35. 「片親疎外」という児童虐待

まるで嫌がらせのように、追加の書面が調停直前に届いた。書面は1回の調停につき何回出してもいい事を私は初めて知った。
次の調停は週明けなので、反論書類を書いている時間は浜田先生が休みの週末しかなかった。

戦略的に札を出す・・まるで、勝つか負けるかのゲームをしている様だ。
家裁で話し合うことは親権と監護権であり、係争なのだけど、今後の可奈の人生に大きく関わるものであり、取り合いをするゲームではない筈

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