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教わる姿勢ができていないところに学びなし

師匠「真実とは何か」
弟子「本当のこと」
師匠「たわけ!明日までにネットと図書館で調べて来なさい」
弟子「は、はい。わかりました」


問いを発し、方法を示し、期日を決めた。
これが「指導」である。


弟子は行動するかしないかだけ。
調べるうちにまた疑問が次々と生じる。
そしてこの師匠と弟子の関係性ができているところに
初めて「教育」「共育」が成り立つ。

教わる姿勢ができていないところに学びなし


教科書の厚さがどうのこうの。
主体的で対話的な学びがどうのこうの。
そんなことはどーでもいいこと。
昔から、追求の方法は変わらないのです。


知識を得て(情報)、それが集まり(情報の蓄積)
考えが生じ(自己熟成)知恵となる。(生活に活かせる)

教科書の報道において思う、本質の欠如。

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