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長くも短くもない?

余命10年
これは長いと感じるのか、短いと感じるのか。

人によって違うのかもしれないけれど
やりたいことがたくさんある人にとっては短くて
やりたいことがない人にとっては長く感じるのかもしれない。

そんな風に思いながら、私はこの映画の映像がとても儚くていいなと。
子どもの頃にビデオをうまく回せるのは父親で、なかなかうまく回せないのが母親でした。あの頃はなんでうまく撮れないのって思っていたけど、今ならなんとなくわかるような気がする。

主人公のなんとも言えない何かを諦めた表情と、でも諦めたくない表情がとても覚えいている。ずっとみていたいと思った。2人で行った場所も、4人で過ごした曖昧な関係の時間も全部忘れてしまいたいけど、本当は忘れたくなくて。

桜ってなんであんなにも
遠い存在なんだろう。

近いように見えてずっと遠い存在なんですよね。
毎年現れてくれるけど遠い存在。
たまに夏とかに桜が咲いていたことを忘れているけど、
頭の中で残っているんだろうか。

秋になると冬になることじゃなくて
たまに桜が春に咲くことを思い出させてくれるのは
忘れて欲しくない。
遠い存在じゃないってことを示してくれているのかなって考えてしまう私がいるんです。

なんであの2人は別れてしまったんだろうね。
別の物語として映像で観たい気持ちもあるけれど
含みをもたす方が楽しいかもしれないなと思いながら。

塩分を制限していたのに
それを破壊するようなたくさんの料理を食べるシーンでは
我慢しても無駄と急に現実をみることになった何か壊れたような。
叫ぶことはないけれど、心が叫んでいると感じた。

一瞬の嘘に気づいたけど何も言わない友人の優しさは何かを悟っていた表情で、もう何も言えなかったんだろうなと思う。

キレイな終わり方があるとしたら
恋愛はみんなするのかな。
結局恋愛って終わりに向かって歩んでいくしかないなら、なんでみんな恋愛をするんだろうって考えている時もあったけど、終わりがあることなんて最初からわかっているし、終わりがあっても何があっても側にいたいと思える人に出会えるから恋愛は普遍的に多くの人に響いていくのかもしれない。何もかも嫌になる時はこれまでもこれからもたくさんあると思う。でも1度終わらせてしまうと、もう戻って来られなくなるから。終わらせないように頑張るしかなくて。でも1度終わらせようとした彼は現実の世界に戻ってこられた。そこで彼女ともう1度巡り逢えることができた。自分が知っている地名が出てくると場所のイメージができるので嬉しい気持ちになれる。前は何も知らなくてイメージが全然できていなかったけれど、わかるというそれだけでこんなに嬉しくなれる自分に気づくことができた。彼は彼女の反応をみて、また病院でみかけたことで勘違いすることで、お節介な同級生のおかげでまた彼女出逢うことができたのだ。お節介な人って必ず周りにいると思うけど、憎めないしなんか察し良い人多いし、絶対に幹事やるような人が多いんだようなと思いながら。一緒に過ごしていけば行くほど大切な存在になっていく。2人は恋人になっていたけど、自分だけはそのまま名前のない関係。早く名前を付けたいと思ったけど、彼女はなかなか名前を付けさせてはくれなかった。手を繋ぐ行為さえ、そんなのちょっと手を伸ばしたら誰でもできることなのに。手を握ったら、もう彼女と名前の付いた関係になれるのに。それが進まないもどかしさ。曖昧な関係のままでいる方が楽だと思う。でも曖昧な関係では終わりの時に一緒にいることができるのか、できないのではないか。そんな風に考えていたのかはわからないが、もう曖昧な関係のままで居られないと思える人に出逢えることってどのくらいの確率なんだろう考えてしまう。自分は曖昧な関係を抜け出したいと思っていても相手がそう思っていなかったら、違う言葉の関係を終着点とするしかないのだろうか。その終着点のまま関係を続けていくしかないのだろうか。結局相手と考えている関係性の名前が一緒と思うしかこの関係を続けていく方法はないのだろうか。人の考えている本当ことは当の本人しかわからないし、わかることはないけれど、人は思っていることを伝えられる言語を持っているからこんなにも複雑な世界を作り出しているのかもしれない。けれど複雑だから思いが伝わると嬉しいし、また伝えていきたいと思うし、またこれからも伝えるための努力をし続けるんだと思う。職務経歴なし、病気という場面に関してはあ〜これが現実だと思いました。リアルはこれ。企業側も働いたことない&病気を持っている、その病気は直っているの?と聞かれてすぐにはいとは答えられない…。急に厳しい現実を見せられて心が苦しくなった。きれいな恋愛以外の部分の描写がリアルで。いつの間にか別れてしまっているところも、2人の物語の中ではサラッと描かれていたけど、仕事が楽しくなってきてタイミング合わなかったということが想像できてしまうニュアンスに、これも現実なんだよな〜と。仕事って新卒入った時に精一杯、色々なことを覚えてついていくしかなくて、そのうだんだん慣れていって、後輩ができて教える立場になって、仕事が楽しいと感じ始めた時に結婚するとか、しないとか。家庭に入るのかとか、入らないのかとか。そういう話が出てきてしまう現実の流れのようなものが見受けらてしまう…。4人で笑い合っていたあの頃には戻れないけど、今の自分も好きで嫌いじゃなくてなんなら今もその時も好きだったと思えたら。あの時過ごした時間はかけがえのないものになっていくんだろうな。記録から消したくないと思う思い出こそ、記憶に残っていく。記録じゃなくて記憶に残っていく。記録なんかいい。記憶に残ってさえいればまたいつでも引き出して思い出すことができる。でも記録からも記憶からも消したくない思い出こそ、本当に失いたくない存在なんだと思う。

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