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マルコス・コスタ(歴史学者・作家) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2023年4月号

 ブラジルで最初に実施された1872年の国勢調査(人口センサス)によれば、リオデジャネイロ県における奴隷の数は292,637人、サンパウロ県は156,612人、ミナスジェライス県は370,459人、バイーア県では167,824人。この人口センサスが明らかにしたことは、当時のブラジル社会は農村社会がその大部分を占め、農業が主要産業であった、ということだ。農業関連の職業に従事している人数が圧倒的に多く、他の経済活動で働く人たちの数を凌駕していた。農業に関連している人たちの数は300万人であったが、製造業の工場労働者は1万9千人に過ぎず、判事の数は968人、弁護士は1,647人、公証人493人、検事は1,024人、裁判所職員は1,619人、医者は1,729人、外科医は238人、薬剤師は1,392人、助産婦1,197人、学校教師3,525人、公務員は10,710人、であった。こうした数値が明らかにしたことは、既に産業革命が進行中で経済的にも政治的にもリベラル主義が社会に組み込まれていた米国や欧州各国に比して、ブラジルは農業に依存した後進国でしかなかった、という事実であった。 
 この人口センサスが明らかにした、もう一つの驚くべき実態は、当時ブラジル帝国の首都であったリオデジャネイロの男性人口13万3千人のうち非識字者が6万8千人であったことだ。すなわち、リオ住民(男子・自由人)のほぼ5割が読み書き出来なかったのであり、女性の場合はさらに非識字率は高かった。        

Marcos Costa

世界で最初の人口センサス(国勢調査)を実施したのはアメリカで、独立(1776年)から14年後の1790年に第一回センサスをおこなっている。日本の場合はどうかというと、1902年に「国勢調査ニ関スル法律」が制定され、その18年後の1920年(大正9年)に第1回国勢調査が実施されている(その時明らかになった日本の人口は55,963,053人であった)。

ではブラジルの場合はどうだったか。ブラジルにおける第一回人口センサスが行われたのは帝政時代の1872年、皇帝ペドロ二世が欧州外遊から帰国してから実施されている。年代的には、少なくとも日本よりは半世紀近く先行していた、この第一回センサスによって明らかになったブラジル帝国の基本データをいくつか列記してみよう。

総人口は、9,930,478名、男女比は、男性51.6%、女性48.4%。信仰する宗教は、国民の99.7%がカトリック信者。人種別の分布は、Pardo(褐色)39.3%、Branco(白人)38.1%、Preto(黒人)19.7%、Caboclo(先住インディオ系)3.9%となっており、褐色+黒人が全体のほぼ6割であった。

1888年の奴隷制廃止を経て19世紀末から20世紀初めにかけて大量のイタリアを主体とするヨーロッパ移民(さらには日本からも)がブラジルに流入する前の、いわば停滞期のブラジル社会の実相がみえてくるセンサス調査結果であるが、もう一つ明らかになった驚愕の事実は、非識字率の異常な高さである。首都のリオについては、住民のほぼ5割が読み書きできたが、ブラジル全体をみると、識字率はわずか18.9%であったから、国民の81.1%が非識字者で全く読み書きができなかったのだ。

冒頭に引用したのは、「何故ブラジルが、軍政から民政復帰し、経済的には成長しても政治的にはLavaJatoの如き大規模贈収賄・腐敗政治が繰り返されるダメな国なのか」という問いへの答えを試みた歴史本『バナナのたわみ』(A curvatura da banana)の第1部15章から、である。この著者マルコス・コスタは2007年にUNESP(サンパウロ州立大学)から歴史学博士号を修得している歴史学者であるが、博論のタイトルは、「史的評伝:1930年代から1980年代にかけてのセルジオ・ブアルケ・デ・オランダの知的軌跡」であった。大学教員にして文筆家であった著者が2016年に刊行した一般向け歴史書『お急ぎの方向けのブラジル史』が大ベストセラーになったこともあって、改めてわかりやすくブラジル史を解読して、何故ブラジルが民主的な先進国になれないのか、について解説する本を書いた、というのがこの「バナナ本」であった。

同書のはしがきによれば、「(ブラジル近代史における)複数のサイクルの最初のものは、1822年の独立から黒人奴隷貿易に終止符がうたれた1850年まで、第二のサイクルは1851年からクーデターによって共和制となった1889年まで、第三のサイクルは1890年からヴァルガスによる「新国家(エスタド・ノヴォ)」成立の1930-37年まで、第四のサイクルは1931年からクーデターで軍部独裁政権が成立した1964年まで、第五のサイクルは1965年から政治開放と民政復帰の1988年まで、第六のサイクルは1989年から2017年まで、だ。」となるが、ブラジルをバナナに例えて、「(真っ当な)国家がなければ、国民も存在せず、公民制もない。われわれがバナナ畑で耕作しているのであれば、バナナ以外の作物を収穫することはできない」と主張しているのが本書である。

著者の精神的師匠セルジオ・ブアルケ(1902-1982)がPT(労働者党)の結党メンバーの一人であったことを“暗喩”していることは、いうまでもない。


岸和田仁(きしわだひとし)​
東京外国語大学卒。
3回のブラジル駐在はのべ21年間。居住地はレシーフェ、ペトロリーナ、サンパロなど。
2014年帰国。
著書に『熱帯の多人種社会』(つげ書房新社)など。
日本ブラジル中央協会情報誌『ブラジル特報』編集人。

月刊ピンドラーマ2023年4月号
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