見出し画像

コロニア初のアクション小説家 広橋勝造さん 移民の肖像 布施直佐 月刊ピンドラーマ2023年11月号

広橋勝造さん

これまで日系コロニアを舞台にしたアクション小説を3作発表した広橋勝造さん(78、福岡県福岡市出身)は、終戦の5か月前の1945年3月15日、西鉄ライオンズの平和台球場に近い福岡市中央区赤坂のパン屋(パンと和菓子店)の11人兄弟の末っ子として生まれた。戦後の貧しくても平和な社会で育ち、高校卒業後、九州出身者は就職先として大阪止まりであったが、当時東京オリンピック準備の一環だった東海道新幹線513kmの遠方監視制御装置の設計スタッフに採用され、毎日、昼夜連日で働き、オリンピックに間に合わせた。この大プロジェクトが無事に終わると、アポロ11号月面着陸TV中継の南米ペルーのインテルサットⅢ衛星通信地上局の調整と現地技術者のトレーニング教師として6か月間の海外出張を命じられ、その間、南米の自由奔放な生活を直にみて、ブラジル移住を決心した。移住に当たって用意した物は250㏄のオートバイと油絵用具1セットで、絵描きになろうと企てていたが現在まで実現できていない。本人曰く「実力に自信がなかったからであろう」。

1971年4月12日、アルゼンチナ丸でサントス港に到着、日系企業に3か月務めた後、幸運にも半官半民のサンパウロ電々公社TELESPに、ポルトガル語の試験を2年後に行う条件付きで、最初の日系企業の時の5倍の給料で入社できた。そのTELESPに8年間勤め退職し、ミナス州ベロオリゾンテ市のコンストゥルテル社に移り、小型自動電話交換機開発に携わり、4年間楽しく働いたが二人の経営者の離別をきっかけに職場を去った。

 その頃、サンパウロで日本製文具輸入販売会社を経営していた竹本欣也氏(アルゼンチナ丸の同船者)から文具のブラジル国産化の相談を受け、消しゴム、鉛筆立て等を生産、やっと軌道に乗りかけた時、コーロル新政権の市場開放政策で原材料より安い中国製品が流れ込み、政策で凍結された僅かな銀行口座の全資金を解雇費用に充て21名全従業員を解雇、閉鎖した。その後、得意とする電子技術が十分に発揮できる医療機器関係の仕事を、竹本氏を通して紹介され、それをきっかけに透析機械の輸入販売とメンテナンスの「コンサイス社」の経営を始め、現在に至る。「機械を納めた病院の医者に『定期点検に日系技術者が来ると患者まで元気になる』と言われて嬉しかった」。

こうして波乱に満ちた30年余りが過ぎ、コンサイス社の安定を陰で支えてくれた次男が社長に就任、裕福ではないが心に余裕ができ、仕事の合間に好きになった執筆活動に没頭するようになった。

執筆活動が好きになったきっかけは、他州の代理店の親友の突然死であった。半日間何も手につかずだったが、彼と彼の友人達と過ごした楽しく面白いエピソードを思い出しながら下手なポルトガル語でポツポツと書き始め、それから1か月間、書き上げたのが『Alma mestiça(混血の魂)』だ。それがブラジル人の友人たちに好評を博し、うれしくなった広橋さんは今度は日本語で小説を書くこととなった。

日本で平凡な生活を送っていた商社マンがブラジルに着くやいなや血なまぐさい事件の渦中に巻き込まれ、銃弾の嵐をかいくぐりながら突き進む、笑いありエロスありのコロニア初のアクション小説がこうして誕生した。この処女作『昨日からの電話』の原稿をサンパウロの邦字新聞社の倉谷氏の所に持って行ったところ、一言「いいね!」。広橋さん「まだなにも読んでないじゃないか!?」、倉谷氏「今まで『書きたい書きたい』と言ってきた人ばかりで、実際に書いて持って来たのはあんたが初めてだ。いいに決まってるよ」と結局サンパウロ新聞に連載され、後に自費出版され、現在、kindle版が『募る予感』というタイトルでアマゾンのサイトで販売されている。

作品を書くにあたって広橋さんは、知り合いの警察官が勤務する警察署に行き入念な取材をした。作中の登場人物の多くが知人をモデルにしており、彼らの特徴に「塩とピメンタ(胡椒)」で味付けをしながら想像すれば小説の中で独り歩きするそうだ。広橋氏の作品の魅力は洞窟での銃撃戦や、大農場で改造されたトラクターが戦車のように駆け回る戦闘シーンなどがまるでハリウッド映画を観ているかのように読者へ伝わる表現力だ。「若い頃の絵の修行が場面の視覚的描写に役に立っているかもしれない。電子機器のマニュアルをわかり易く書く努力も役にたっているかも」。

その後、二作目『微生物』(農業がテーマ、モジダスクルーゼス市の日系農場が舞台)、三作目『日本の水が飲みたい』(仏教がテーマ)はそれぞれサンパウロ新聞とニッケイ新聞に連載された。三作いずれもアクション小説で、その全てに世話好きの元刑事で小さな旅行社を営む日系二世のジョージ上村が登場する。これは、現実に広橋さんがブラジルで経験した幾多の困難な状況をサポートしてくれた二世達のシンボル像であり、「小説を通じて半世紀に渡り、私の幸せなブラジル生活を支えてくれた二世達に『ありがとう』を何らかの形で伝えたかった」。

70歳を越した頃から人に対する洞察力に磨きがかかり、「顔を見ればその人の『裏の裏の裏』が見える」と自負する広橋さん。「生きている間はとにかく自分が書きたいことを楽しく書き続けたい」と創作意欲は衰えず、現在執筆中の物語は、日本の原子力研究所に勤務した後、定年退職した老人がブラジルの友人の誘いでサンパウロに来て起こる奇怪な事件をテーマにしたもので、こちらも波瀾万丈のアクション小説になるそうだ。

大いに期待しよう。

(2023年10月取材)


布施直佐 (ふせなおすけ)
月刊ピンドラーマ編集長

月刊ピンドラーマ2023年11月号表紙

#写真 #海外 #海外旅行 #海外移住 #ブラジル
#移民 #サンパウロ #月刊ピンドラーマ
#海外移民 #日系移民 #ピンドラーマ 
#日本人移民 #松本浩治


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?