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グスターヴォ・フランコ(経済学者、元中銀総裁、1956年生まれ) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2022年8月号

マシャード・デ・アシスは、40年以上にわたって週一回のクロニカ(エッセイ)を書いていた。我らがブラジルの日々の出来事に関する彼のコメントの対象は、あらゆる分野に及んでおり、経済も例外ではなかった。特に1890年代は、マシャードの表現で“今週はカネに絡んだ話ばかりだった”という経済関連のエッセイ群に多くの読者は惹かれたのであったが、実際のところ、彼の経済エッセイの後には経済危機やら新経済政策やらが発生したのであり、そのような経済面の話と政界の出来事、文芸界のお話、社会面の雑報などが混ざり合ってマシャード流の文体で書き記されていた。

グスターヴォ・フランコ

文豪マシャード・デ・アシスが北米において突然のように読まれ、彼が再評価されるようになったのは、1990年代末から21世紀初めの頃であった。ユダヤ系批評家スーザン・ソンタグといえば、ラディカルな文明批評で有名であり、その写真論では世界の飢えと貧困を撮りつづけるセバスティアン・サルガードを辛らつに批判した人であるが、彼女はマシャードを「ラテンアメリカが生み出した最大の作家で、ルイス・ボルヘスをも超えている」と絶賛した。文芸批評家ハロルド・ブルーンは「マシャードは黒人作家のなかでは最高の名前」と評し、また作家フィリップ・ロスは「マシャードはアイロニーの大家であり、悲劇的コメディアンでもある」として、劇作家サムエル・ベケットとマシャードと対比していた。

ポルトガル語の原文を読むことの出来ないはずの彼らがこれだけの、礼賛といえるほどの評価を下したのは優れた翻訳でマシャード文学を読むことができたからだ。ガルシア・マルケスやヴァルガス・リョサ、コルタサルらの作品の翻訳で知られる翻訳家グレゴリー・ラバッサはポルトガル語圏文学作品(作家リスペクトールや人類学者ダルシー・リベイロなど)の名訳でも有名だったが、彼がマシャードの主要作品も訳したので、作家ソンタグもマシャード文学ワールドに惹き込まれたのだ。

日本でも、遅ればせながらマシャード文学が一般読者にも手が届くようになったのは、光文社古典新訳文庫から、『ブラス・クーバスの死後の回想』(2012年)と『ドン・カズムッホ』(2014年)が出版されたおかげだ。訳者はブラジル文学研究者の武田千香東京外大教授、彼女のこなれた訳文のおかげで、ブラジル関係者でも原文なぞ読んだことのないマシャードの文学世界へのアクセスが“平準化”されたことは極めて有意義であった。

そんなマシャードの経済評論家としての一面を明らかにしたのが、グスターヴォ・フランコ『マシャード・デ・アシスにおける経済』(初版2007年)であった。

この快著は、マシャードが書き残した数多くのエッセイ、コラムのなかから経済関係エッセイ39本を取捨選択して一冊の本にまとめたものだが、刊行と同時に読書界では大きな話題となった。

というのも、本書に収録されている経済エッセイ39本すべてに経済学者としてのコメントを各章の前に付しており、この読者サービス満点の構成を読者が歓迎したからだ。初等教育以外は全て独学で学んだマシャードは、英語やフランス語の新聞や雑誌も入手しては熟読した人であり、国際問題にも社会問題にも明るかったが、経済問題にも精通した文学者であったことがこの著で再確認されたのであった。

ブラジル銀行の株主総会には株主全員が出席すべき、と同銀行の株主として主張してみたり、政府がロスチャイルド銀行から融資を引き出した時は「ロンドンへ行って、街路を散歩すれば、ロスチャイルドたちが駆け寄って『お元気ですか、何かご要望は』なんて聞いてくるに違いない、だが…」といった風刺たっぷりの文章をかいている。また当時各州(県)が輸出入品に対して勝手に州税を設定していたが、その問題も鋭く批判している。生活コスト高騰、インフレについての観察も細かく、共和制になってまもなく起きた為替下落によって輸入品価格が大幅上昇したが、政府は価格凍結など対策を講じたものの、その結果は「肉1キロといっても、実際は目方をごまかしたりするようになっただけ」と手厳しい。帝政時代の1829年から1887年までの平均インフレは年率1.5%でしかなかったのに、1887年から1896年までの年間インフレ率は11.5%であった、という時代背景がマシャードの文章で語られているわけだ。

この編著者グスターヴォ・フランコは、元中銀総裁(在任:1997-99)のエコノミスト、リオのPUC(カトリック大学)元教授であるが、文学にも造詣の深い人で、『詩人フェルナンド・ペッソアにおける経済』、『シェークスピアと経済』などユニークな著書を書いている才人である。

冒頭に引用したのは、彼の論考『株主』(「国会図書館の歴史雑誌」2008年9月号掲載)の初めの部分である。


岸和田仁(きしわだひとし)​
東京外国語大学卒。
3回のブラジル駐在はのべ21年間。居住地はレシーフェ、ペトロリーナ、サンパロなど。
2014年帰国。
著書に『熱帯の多人種社会』(つげ書房新社)など。
日本ブラジル中央協会情報誌『ブラジル特報』編集人。

月刊ピンドラーマ2022年8月号
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