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「手作り感満載の邦字新聞」 伯国邦字紙四方山話 第2回 松本浩治 月刊ピンドラーマ2024年6月号

30年前(1994年)に初めて働いたブラジルの邦字紙『日伯毎日新聞』は、今から思えば手作り感が満載だった。当時は、現在の生活では欠かせないパソコンやインターネットはもちろんない。記事は11文字×10行のマス目のある約20㎝四方の藁半紙の原稿用紙に手書き(縦書き)で埋めていた。その原稿をデスク(編集次長)が手直しして、新聞の印字用にタイプレスやワープロ等で原稿を打ち込むベテランの人たちがいた。打ち込まれた印字を、組版がハサミで切り、定規、ピンセットと糊等を使用して、新聞用の台紙に手で貼り付けるというのが一連の流れだった。

原稿は文字が消えないようにボールペンで書いていたため、漢字や文章そのものを書き間違えるたび、その箇所を二重線で引いたり、新しい原稿用紙に書き直したりしていた。途中で文章を付け加える時は、別の原稿用紙に書いた文章を記者自身がハサミと糊を使って切り貼りして繋ぐことも、しょっちゅうだった。

その日の締め切りに合わせて急ぎの原稿を書く場合もあり、元々、字が汚いことも災いして、原稿の打ち込み作業を行っていたベテランの方々からは、「この字、なんて書いてあるのかわからないのよ。もっと丁寧に書きなさいよ」などと怒られ、平謝りしていたことも今となっては懐かしい思い出だ。

また、新聞用の台紙に、印字を手作業で貼り付けていくため、手馴れたベテランの方々でも、日によっては貼り間違える。新聞として印刷された文章が前後していることも、しばしばあった。

一方、印字の内容を読みながら貼り付け作業を行う普段は厳しい(?)組版の人たちから「今日のアンタの記事は面白いね」と褒められることもたまにあり、その時は率直に嬉しく記者活動の励みになった。

さすがに、1994年当時の『日伯毎日新聞』は「鉛の活字」をひとつひとつ手で拾う「植字」による活版印刷ではなかったが、隣国アルゼンチンの邦字紙『らぷらた報知』は当時まだ植字での紙面だった。そのため、新聞提携により郵送されてきていた同紙の文字はまっすぐではなく、多少左右にズレのある文章となっていたのが時代を感じさせた。筆者が入社する以前に『日伯毎日新聞』で「植字工」もしていたという編集部の超ベテラン翻訳者は、「長時間、活字を拾っていると、鉛の反射で目がチカチカしてくるんだよな」と感慨深げに話していたことが今も記憶に残っている。

『日伯毎日新聞』時代の紙面

伯国邦字紙は「日刊」ではあるが、正味の発行は火曜から土曜日までの週5日間。外回りの記者たちは月曜から金曜日までをデイリーで働き、週末にイベントがあると取材も行う(新聞社は休み)というスタイルで、それは現在の『ブラジル日報』でも続いている。

(つづく)



松本浩治(まつもとこうじ)
在伯25年。
HP「マツモトコージ写真館」

月刊ピンドラーマ2024年6月号表紙

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