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「ブラジル、 Terra adorada(讃えるべき土地)」 黒酢二郎の回想録  Valeu, Brasil!(第6回) 月刊ピンドラーマ2024年3月号

前回は、日本では絶対に体験することのできなかったであろう、ぶったまげた出来事3件についてお話ししました。特に通貨切り替え(デノミネーション)から私は大きな教訓を得ることができました。行き詰ったらリセットすればよい、という開き直りの思想です。ブラジルには Cara de pau という日常よく使われる表現があり、厚かましい、ずうずうしい、恥知らず、という意味で使われます。日本で周囲の視線を気にしつつ、無理して優等生のごとく振舞っていた私にとっては、自らをいい子ちゃん神話という呪縛から解き放つための大きな助けになり、これを座右の銘としてブラジル生活を送ることになったのです。世間体や過去の失敗を引きずって悩み続けるのでなく、場合によっては敢えて厚顔無恥を選択するというのは、生きていくための非常に重要な技術であると教えられたわけです。ただし、もともと生真面目で几帳面な人物が Cara de pau を身に付けると「鬼に金棒」となるわけですが、元来からの恥知らずがそれを乱用すると、度が過ぎて世の中から相手にされなくなるので気を付けましょうね。

さて、独身ということもあり会社にとって転勤させやすい存在だった黒酢二郎は、数年に一度転勤があり、そのおかげでブラジル各地に住むという経験を得ることができました。赴任してから最初の数年は、そのうち日本に帰任になるだろうと思っていたのですが、3年目以降くらいから仕事が面白くなり始めたことに加え、上司の言葉の端々から帰任する可能性は低いという雰囲気を感じ取っていた私は、ますますブラジルに愛着が湧き、こうなったら自らはまり込んでやろうという気持ちになっていました。

南東部をはじめ、南部、中西部、北東部にも住む機会があり、北東部に住んでいた時期にはアマゾン地方などの北部にも頻繁に出張していました。また出張でブラジルの主要都市はもちろんのこと、旅行でイグアスの滝やパンタナルなども訪れました。サトウキビ、トウモロコシ、大豆、コーヒーなどの広大な畑が風に吹かれて緑の波を立てる光景。コーヒー工場から出る甘く香ばしい匂いや、サトウキビ畑に隣接する Usina(ウズィーナ)と呼ばれる砂糖やエタノールの生産工場から発せられる独特の臭いさえ、今となっては懐かしく思い起こされます。海岸では大西洋の海原から昇る朝日、遠くまで伸びる白い砂浜、緑の海、青い空に浮かぶ白い雲。内陸部では乾いた平原、ゆっくりと流れる土色に濁った河、岩肌を露わにした丘、密林に覆われた山、夜空には満天の星など様々な表情を見せてくれます。

これらの自然や風景に出会えたことに加え、各地の歴史や産業についても知識が深まり、郷土料理やゲテモノ料理を試す機会にも恵まれました。そして何よりも温かく人懐っこい人々に引き寄せられていきました。「ブラジル、そこは熱烈なる夢、愛と希望の光が降り注ぐ大地。清き微笑みをたたえた澄み渡る空に南十字星が燦然と輝く」というブラジル国歌の一節を思い浮かべては、正に Terra adorada(讃えるべき土地)であると一人納得していたことを思い出します。

ブラジル南部のある街に住んでいた時、体調が悪くなっても無理して働き続けたせいか、私はとうとう寝込んでしまい、2日ほど会社を休みました。自宅でぐったりしていると玄関のブザーが鳴ったので、起き上がってドアを開けると、何とそこにはいつもお世話になっていたお客様の一人が立っていたのです。「黒酢さん、調子はどう?寝込んでいると聞いてお弁当作って持ってきたのよ。困った時は遠慮せずに連絡してね。水臭いわね」と天使のような声をかけて下さったのです。その方には、離れて暮らす私より少し年下の息子さんがおられ、そのこともあってか私のことを常々可愛がって下さっていました。ただし、それはあくまで仕事上の関係であって、自宅までわざわざお見舞いに来て下さるとは考えてもいませんでした。

そのお客様が「それじゃお大事に!」と言い残して去っていった後、私は暫くの間一人泣きじゃくってしまいました。損得勘定抜きの圧倒的な優しさと思いやりに触れ、まるで自分の母親のような温もりを感じ取ったからです。涙と鼻水で水浸しになりながら頂いた手作り弁当は、正に真心の詰まった「おふくろの味」でした。この出来事がきっかけとなり、その後各地に散らばるおふくろさんたち(お客様方)への恩返しをすべく仕事に邁進する決意をしたのでした。

(続く)


黒酢二郎(くろず・じろう)
前半11年間は駐在員として、後半13年間は現地社員として、通算24年間のブラジル暮らし。その中間の8年間はアフリカ、ヨーロッパで生活したため、ちょうど日本の「失われた30年」を国外で過ごし、近々日本に帰国予定。今までの人生は多くの幸運に恵まれたと思い込んでいる能天気なアラ還。

月刊ピンドラーマ2024年3月号表紙

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