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ミナス州ジアマンチーナ在住の吉松早苗(よしまつ・さなえ)さん 移民の肖像 松本浩治 月刊ピンドラーマ2023年5月号

吉松早苗さん

サンパウロ市から約850㎞離れたミナス・ジェライス州ジアマンチーナ市に住む吉松早苗(よしまつ・さなえ)さん(77歳、山口県出身)。岩が多く砂地という悪条件の土地でのコーヒー栽培を成功させ、「吉松コーヒー」ブランドを日本に輸出している。現在は息子たちにコーヒー栽培を継がせ、日本人が数少ない同地で悠々自適の日々を過ごしている。

男3人女4人の7人兄姉(きょうだい)の末っ子として戦後間もない混乱の時期に生まれた吉松さんは、父親が「男でも女でもどっちでもいいように」との思いから「早苗」という名前を付けたという。

地元の中学校を卒業後、下松(くだまつ)市にあった日立製作所笠戸(かさど)工場の技能養成所で2年間、寮生活を送った。午前中は室内で授業を受け、午後からは現場での実習作業となり、新幹線の台車となる部分の溶接仕事も行った。

しかし、戦後の不況で技能養成所を卒業後も仕事はなかった。その間、短期農業労務者制度でアメリカに3年間働いていた長兄が帰国。当時の金額で100万円という大金を稼いできたことを聞き、吉松さんも米国行きを希望したが、同制度は20歳以上でないと行けなかった。仕方なく、その頃18歳だった吉松さんは、地元の農協で話を聞きつけたコチア青年制度でブラジルに行くことを決意した。

2次32回生として「ぶらじる丸」で1966年2月にサントス港に到着後、パラナ州カストロに配耕となり、同じ山口県出身の木村というパトロンのバタタ(ジャガイモ)農場で働くことになった。同農場には当時、コチア青年と南米開発青年隊合わせて15人ほどの日本から来た若者が同居し、吉松さんは実際には木村氏の義兄弟である前田氏の下で農作業を行うことに。当時はバタタ景気で、収穫の際にはブラジル人労働者が来てバタタを洗浄・選別する前に畑から作物を掘り起こしておく必要があったため、吉松さんら青年たちが前日の夜に農作業を行うなど、給料もない「奴隷仕事」が続いた。

結局、同農場で5年半働いた吉松さんは、マリンガ市に住んでいた子供移民の眞規子(まきこ)さん(75歳)と結婚した。結婚のきっかけとなったのが文通だった。当初、眞規子さんは日本語を勉強するため、日本の農業雑誌『家の光』を通じて日本在住者と文通していたが、吉松さんも同時期に文通を通じてマリンガ市に住む眞規子さんの存在を知り、手紙の最後には「吉松早苗(男)」と書いていたと笑う。吉松さんは正月休みにマリンガ市の眞規子さんに会いに行った際、眞規子さんの父親は吉松さんの農業者として働いてきたゴツゴツとした手を見て気に入ったという。
「日本の人と文通したいと思って20人くらいと手紙をやりとりしたけれど、直接私に会いにきたのは1人(吉松さん)だけだった」
と眞規子さんは当時のことを振り返る。

独立してマリンガ市近郊で小麦栽培などを行った後、ミナス・ジェライス州ジアマンチーナ市近郊に転住し、トマトや葉野菜などを栽培。当時からジアマンチーナ市には日本人が少ないことで珍しがられ、野菜類をジアマンチーナの市場で販売し、「葉野菜の食べ方もブラジル人に教えた」(眞規子さん)という。

同地域でコーヒー栽培をしたいと思っていた吉松さんは、ジアマンチーナ近郊に800ヘクタールの土地を購入したが、石山の砂地で実際には200ヘクタールしか使用できなかった。当時、コーヒーを生産し海外に輸出販売するにはIBC(ブラジル・コーヒー院)の認可等が必要だったというが、そのIBCの職員から「こんな土地にコーヒーなど植えられんよ」と言われたことが、吉松さんの農業生産者魂に火を点けた。

当初は10ヘクタールの土地に石灰をまき、牛糞の肥料を入れるなどして整地したことから始めた。その努力が実って現在では、45万本のコーヒーを植え付け、年間5000俵を収穫。その約9割を日本を中心にアラブ首長国連邦のドバイなど海外に輸出している「吉松コーヒー」ブランドは、良質なコーヒーとして評判だ。

現在は長男、次男にコーヒー農場を任せている吉松さんだが、コーヒー栽培を始めて6、7年した頃には一攫千金を夢見て、ジアマンチーナ市でガリンペイロ(山師)としてダイヤモンドの採掘にも手を出した。しかし、結局は借金を背負って日本に出稼ぎに行ったという豪快な経験もある。ビールをこよなく愛し、これまで身体を壊すほど飲んできたという吉松さんは、今でも2週間に1回程度は町に飲みにいく生活を楽しんでいる。

(2023年3月取材)


松本浩治(まつもとこうじ)
在伯25年。
HP「マツモトコージ写真館」

月刊ピンドラーマ2023年5月号
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