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パウロ・フランシス(ジャーナリスト・作家、1930-1997) ブラジル版百人一語 岸和田仁 月刊ピンドラーマ2023年2月号

 ブラジルの歴史において重要だったのは、ポルトガルによる植民地化が反宗教改革派(註:プロテスタントに対抗すべく立ち上がったカトリック内の改革派)の教会によって進められたことであり、そのもっともラディカルな執行役を務めたのがイエズス会であった。彼らは、進歩と慈悲をもたらすという伝説をぶら下げて我々の歴史に入ってきたが、実際のところは、説教を通じてキリスト教精神を我々に伝えることもせず、イギリスが米国へもたらしたような物質的発展(これこそが様々な諸国の発展を進めることになった)を進める意志も意図もまったく有せず、時代遅れの中世的思潮を上から下に押し付けただけであった。イエズス会はその反動的な下手人にすぎなかった。
 イエズス会は、1540年、反宗教改革を敢行する突撃隊として歴史のシーンに登場した。
 1545年から1560年にかけて開催されたトリエント公会議は、ローマ教皇の至上権を再確認しローマカトリック教会の正当性を訴えた反動的な会合であり、カトリック教会が教条主義団体になり果てた会合であったが、この会合の5年前に、彼らはブラジルに登場したのだ。反宗教改革派(イエズス会)は、国家という概念そのものを否定し、国家を超越した、教会の権威を主張し、フランスやハプスブルグ帝国のようなカトリックに忠実な諸国ないし諸グループの優位的主権に調和的に従ったにすぎない。
 彼らの理想は中世の細分化であったから、反宗教改革派教会はナショナリズムの歴史的進歩を阻害したのだ。プロテスタント諸国は社会的にも経済的にも発展し、産業革命を経て、今日民主主義と呼ばれる社会の経済的基盤を確立したのに比し、反宗教改革派(カトリック)諸国は発展できなかったのだ。

パウロ・フランシス

軍政による言論弾圧・検閲から言論の自由が回復した年は1979年であったから、1980年代は、ブラジルの新聞や雑誌メディアが一番溌溂としていて読者にとっても面白かった時代だ。数多いメディア媒体のなかでも筆者が夢中になって読んだのが、雑誌では週刊誌イストエ、新聞ではフォリャ・デ・サンパウロであった。そのフォリャ紙の在米(ニューヨーク)契約記者として、ポレミックな記事を書きまくっていたのがパウロ・フランシスだった。

カエターノ・ヴェローゾが自伝的随想録『熱帯の真実』(初版1997年、増補新版2017年)の新版への序で「フランシスは、僕にとって青春時代の英雄の一人」、「この本を書くということは、大まかに言って、彼に向けた行為だった。彼が認めざるを得ないレベルのポルトガル語で執筆できるということを、彼に見せたかった。僕の書いたものを彼が酷評し、スタイルや意見の弱点を暴くところを想像していた」と言及した人物だが、パウロ・フランシスは筆名で本名はFranz Paul Heilbornであり、欧州移民三世(父方はドイツ系、母方はフランス系)だ。

1960年代から70年代にかけて軍事政権批判の急先鋒として八面六臂の活動を展開していたため、欧米メディアから「ブラジル左翼のベスト・ジャーナリスト」と評価されたフランシスは、若き日はトロツキーを愛読・崇拝する左翼演劇青年で、演出から演劇批評まで手掛けていた。毎日6時間もの読書を自ら課し、文学であれ社会科学であれ英語・フランス語・ドイツ語などの古典から新刊まで耽読し、その独善的といえるほどの強烈に断定的な文体で文章を書きまくった批評家にしてジャーナリストであった。晩年の彼が望んでいたことは作家として「優れた全体小説」を書くことであったが、生前に発表されたフィクション作品は4冊(2冊が長編小説、2冊は短編集)に止まった。その意味では「未完の作家」であった。

軍政時代は自身の“筆禍”によって何回も逮捕拘束され、書くものはほぼ全て検閲されたため、1971年ニューヨークへ自主亡命することに。1980年代に入ると活躍の場を新聞(1975年から1991年までフォリャ・デ・サンパウロ紙、91年からエスタド・デ・サンパウロ紙)だけでなくテレビにも広げ、グローボTVのニュース番組ではコメンテーターとして国際政治からハリウッド映画までそれこそ森羅万象について語っていた。60年代はフランクフルト学派とりわけマルクーゼの紹介者としても知られていたが、90年代になると、米国流ネオリベラリズムを礼賛し共和党支持を言明するようになっていく。

冒頭に引用したのは、彼の歴史評論『世界の中のブラジル』(“O Brasil no Mundo” (J.Zahar Editor 1985))からであるが、この著書は、サブタイトルが「権威主義の政治分析―その起源から」となっているように、ブラジルで何故、民主主義に逆行する軍事政権が成立したのか、その歴史的背景を彼らしい饒舌文体で叙述したものだ。彼によれば、ブラジルが経済的にも社会的にも後進国になってしまったのは、”二流のキリスト教”であるカトリック(特にイエズス会)が支配したからだ、ということになる。


岸和田仁(きしわだひとし)​
東京外国語大学卒。
3回のブラジル駐在はのべ21年間。居住地はレシーフェ、ペトロリーナ、サンパロなど。
2014年帰国。
著書に『熱帯の多人種社会』(つげ書房新社)など。
日本ブラジル中央協会情報誌『ブラジル特報』編集人。

月刊ピンドラーマ2023年2月号
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