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第78回 実録エッセー『そうだ、サンパウロへ行こう 2』  カメロー万歳 白洲太郎 月刊ピンドラーマ2022年9月号

早朝4時、ボクらの乗るオンボロバスがサンパウロ方面に向けて出発した。移動距離は約2000キロ、所要時間は渋滞などによって変動するが、大体32時間といったところか。といっても今乗っているバスが直接サンパウロまで行くわけではなく、まずはここから250キロほど離れたところにある長距離バスターミナルが目的地である。バスの座席は4分の1ほどしか埋まっておらず、乗客たちは存分に睡眠を楽しもうとしていた。さっそくボクとちゃぎのも深い眠りに落ちるべく目を閉じ、座席に深く腰をうずめようとした、その瞬間である。

『イアイ、ジャパ!トゥードベン?』 

と、無遠慮に話しかけてくる者がいる。誰やねん?今からちょうど寝ようとしてたところやんけ。という感情を押し殺しつつ先方に目を向けると、案の定、ここらの地域では札つきのVagabundo(ならず者)、ヒカルドがニヤニヤと笑みを浮かべながら立っていたのである。

『よお、ジャパ。おめえを男と見込んでひとつ頼みてえことがあんだ。オレはこれからCっていう街まで行かなきゃなんねえんだが、あいにく持ち合わせがなくてな。10レアルほど工面してもらうわけにはいかねえか?もちろんCに着いたら、すぐにお返しするぜ。キャッシュマシーンで金をおろすから安心しなよ。トランキーロだ』

と、エディ・マーフィーのような早口でまくしたてる『ならず者』であったが、もちろん彼の言葉を鵜呑みにするわけにはいかない。彼のだらしなさは有名で、昼間から安酒をあおっては路上に転がりこみ、スキがあれば人をだます、モノを盗む、とやりたい放題で、町の鼻つまみ者として住人から疎まれていたからだ。本当は、『おめえにやる金なんてねえよ。あっちいきな』と、ハエのように追っ払ってやりたいところであるが、つっけんどんな対応をして逆恨みでもされたらたまらない。かといって、『へえ、旦那!あっしにできることならなんでもしてやりてえところなんですけど、10レアルもの大金となると…。我々平民にはとても用意できるもんじゃあございません。ここはひとつご堪忍を!』なんて、下手にでることももちろんしたくないのである。であれば、どうするか?

という思案を0.5秒ほどした結果、車内の薄暗さに乗じて、今さらではあるが、『気づいてないフリ、見えてないフリ、聞こえてないフリ』を総動員的に発動したところ、ヒカルドは軽く舌打ちをし、次のターゲットの元へと去っていったのである。思わずホッとするボクとちゃぎのであったが、たぬき寝入りをしながらその後の動向を窺っていると、ならず者はその場に居合わせた乗客全員に金の無心を行い、そして見事全員に断られたようである。結果を出せなかったことで気分を害したか、今度は悪態をつきながらバスの後部座席にふんぞり返ることにしたらしいが、断られたとはいえ、そのチャレンジ精神はなかなかのものだ。他人に『金を恵んでくれ』と無心するエネルギーをまっとうな職に傾ければ、10レアルどころか、100レアル、1000レアル稼ぐのもそう難しくはないはずである。

『力のつかいどころを間違えるんじゃねえよ、ヒカルド』

などと、たぬき寝入りをしながらエールを送ったボクであるが、そもそも前払い制であるはずの長距離バスに彼がどうやって乗りこんだのか謎である。口八丁手八丁、『あとで払うから』などと誤魔化しながら強引に乗り込んだのであろうか?

一見、ボクにはカンケーのないことのように思えるが、そう簡単に割り切れるものではない。なぜなら他の客は皆、きちんと金を払って乗車しているからで、そういった有料バスに無賃で乗車をしている者がいるとすれば、それは到底許されるべきことではない。Vagabundo(ならず者)が得をする世界。それは『北斗の拳』で描かれたような荒廃した社会でのみ起こり得る現象であり、現実世界でこのような不条理がまかり通ってよいはずがないのである。

なんにせよ、犯罪者が得をすることだけは許せない。詐欺師、泥棒、レイプ犯。そのいずれも優遇されるべきではなく、ヒカルドの無賃乗車も断罪されなければならぬ。しかしだからといってボクに何ができるというのだろう?車掌や運転手にこっそりと密告するチクリ野郎にだけはなりたくないし、かといって声高らかに、

『みなさん!このバスの中に金を払わずに乗車している者がいることはご存じですよね?ワタシは運賃を支払い、当然あなた方も正当な料金を支払っている。なのに!なのに、このバスに無賃で乗車をしている者がいる!こんな不公平なことってありますか?ワタシも払う、みんなも払う。それでこそ平等な社会というものだ!どうですか、皆さん!』 

などという演説をぶつわけにもいかない。なぜなら、そうすることによって逆恨みをされてしまう可能性があるからであり、我が身の危険を賭してまで悪を糾弾する覚悟はボクにはない。ならばこのまま何もせずに見過ごすのか?それでいいのか、本当に?

ジレンマに陥るオレ。巨悪を前に縮みこみ、見てみぬフリを決めこみながら自らの安全を保つ。大多数の人間はそうするだろう。しかしオレは。オレは…。などと悶えていると、どうやらバスが隣町の停留所に到着したようである。と同時に若いcobrador(車掌)のにーちゃんが勢いよくヒカルドの席に赴き、

『この先行くなら追加料金かかるけど、とりあえず降りようか』

有無を言わせぬ調子でVagabundoの腕をつかみ、そのままバスの外まで引きずっていったのである。

かくして悪は倒された。

あとで知ったことだが、ヒカルドは有り金をはたいて隣町までのチケットを買い、その後の資金はバスの乗客からたかるつもりであったという。つまり、ここに至るまでのチケットはちゃんともっていたということで、この時点で彼は何らの犯罪行為も犯していなかったのである。

バスが停留所を出発する際、チケット売り場でうなだれるヒカルドと車窓ごしに目があった。観念してる様子ではあったが、目はまだギラギラと輝いている。スキがあれば噛みつこうとする狂犬の目つきであった。

『10レアルぐらい寄付してやったらいいのに』 
と、思う方もいるかもしれないが、悪党に情けは無用である。一度、気を許せば骨までしゃぶられる。それがブラジルのVagabundoなのだ。

兎にも角にもサンパウロへの旅は続いていく。

どうか無事に着きますように。

それだけを願い、ガタガタと揺れるバスの中、ボクとちゃぎのは赤ん坊のような眠りについたのであった。

(おわり)


白洲太郎(しらすたろう)
2009年から海外放浪スタート。
約50か国を放浪後、2011年、貯金が尽きたのでブラジルにて路上企業。
以後、カメローとしてブラジル中を行商して周っている。
yutanky@gmail.com
Instagram: taro_shirasu_brasil
YouTube: しらすたろう
Twitter: https://twitter.com/tarou_shirasu

月刊ピンドラーマ2022年9月号
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