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往年のトマト生産者、前田繁春(まえだ・しげはる)さん 移民の肖像 松本浩治 月刊ピンドラーマ2022年9月号

前田繁春さん

サンパウロ市から北西に約100㎞離れたサンパウロ州イトゥー市。1600年代初頭に、バンデイランテス奥地探検隊が開拓してできた町で、町中に巨大公衆電話や巨大信号機があるなど、「何でも大きい町」としても知られる。人口約16万人で日系人が少なくないほか、日本進出企業の工場も複数あり、日本とのつながりが深い。同市に住み、往年のトマト生産者としてその名を馳せたのが、前田繁春さん(87、兵庫県出身)だ。現在は、土地を引き継いだ息子たちが、釣堀やスポーツ・フィッシングをはじめ、ログハウスなどの宿泊設備もある複合レジャー施設「パルケ・マエダ(前田公園)」を経営している。前田さんは、同施設を訪問する知人たちと昔話に花を咲かせるなど、悠々自適の日々を過ごしている。

前田さんは1927年、「まにら丸」で父母、祖父母、兄弟たちとともに10人家族でブラジルに渡った。当時はまだ10歳の少年だった。

サンパウロ州ソロカバナ線イパウスー駅から数キロ離れた「エンリケ・ダ・クーニャ・ブエノ農場」で2年間、コロノ(契約農)生活を送った前田家族は、その後「どこへ行ったか忘れるくらい」(繁春さん)、各地を転々と移動して回った。

「トマト作りは連作がきかないために、いくら土地があっても足りない状況だった」
と振り返る前田さんだが、パラグアスー・パウリスタで青春時代を過ごしたことは、今も自身の記憶の中に留めている。

62年に現在のイトゥー市に来て以来、43年間にわたってトマト生産を続け、全盛期には年間600万本を生産していたという。往時に比べて土地面積は減ったというものの、現在も次男が中心となってトマトの生産活動を継続。イトゥー市を拠点にカッポン・ボニート、リベイロン・グランデ、イタペーバなど各地で農業活動を行っている。生産に欠かせないトマトの種子はイスラエルから輸入し、ピーボ・セントラルと呼ばれる大型自動潅水機械を導入するなど、効率化をはかっている。

76年には長男に家督を継がせ、640ヘクタールの広大な農場の一部を造成して、98年に「ペスケイロ前田」という名称で釣堀を始めた。当初は趣味でチラピアなどの釣堀用魚類の養殖を始めたが割に合わず、友人たちから「釣堀を始めてほしい」との強い要望があったことで、そのたびごとに食事や宿泊施設など徐々に設備を拡大していった。さらに、2012年6月に名称を現在の「パルケ・マエダ」に変更し、複合レジャー施設へと成長させた。

現在は、11か所におよぶ釣堀をはじめ、日本庭園、高さ23メートルの橋を利用した自然公園、94棟のログハウス型宿泊施設、プール、レストラン、場内移動用のリフトや馬車もあるなど、家族で一日中楽しめる娯楽設備を誇る。繁忙期には1万人前後の入場客でごった返し、約100人の従業員が応対しているそうだ。

「今はもう、テレビばかり見ている。ワシはもう食わしてもらう立場になったよ」
と笑う前田さんは、家族に囲まれながら恵まれた生活を送っている。

(2005年11月取材、年齢は当時のもの)


松本浩治(まつもとこうじ)
在伯25年。
HP「マツモトコージ写真館」

月刊ピンドラーマ2022年9月号
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