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ESCAPE②

ビフォア vs アフター

 降り立った空港は20年の時を経て、随分と近代化されていた。
20年前何の宛てもなくバックパック一つで立っていた同じ場所に、私はスーツケースを引いて立っている。行き先も決まっている。小さな町の湖畔のゲストハウス。
そこまで高速バスで向かう。
 行き先も方法も全て整っていることが、この20年間を物語っている気がしてちょっぴり淋しいが、違う理由でも同じようにワクワクしている自分が嬉しい。答えを知らないワクワクと、答えを知っているワクワク。後者は少し大人な気がする。
 そう。私は自分を大人と呼べるくらい充分多くの経験をした。20年前この国から日本に帰って、自分を見失ったことを思い出す。カルチャーショックもそれなりに辛かったが、リエントリーショックは更に酷かった。自分がいた「当たり前」の世界がこれ程理不尽で窮屈なものだったか、と知ることは辛かった。私はどこで生きていくべきかを真剣に考えた。
 生きるためにいろいろな仕事をした。そしてまた幾つか旅をして恋愛をして、結婚をした。吐きそうなくらい悲しい別れと、これ以上ないという程幸せな恋をした。子育てをしながら、一つ店をオープンした。何も知らないあの頃に比べて、人の心の移り変わりも社会の流れも、人が生まれてどんな過程を経て成長していくかも、今の私はそれらを一通り知っている。
 経験ってすごい。長年一緒に仕事をしてきたMacみたいに私のメモリはパンパンになっているのかも知れない。クラウドみたいに私の周りの誰かの中に分散されている私の情報も合わせたら、膨大な量。それをこの身一つが経験してきたとは。改めて考えながらバスの車窓に映る自分の顔を見た。

新生活

 宿の主人はとても気さくな人で、鍵を渡しながら町に一つしかないスーパーの場所やこの町自慢の素敵なカフェの情報をくれた。
部屋を一通り歩き回ってから、テラスに無造作に置かれた椅子に腰を下ろした。目線の向こうには湖。空は久しぶりに見るブルー。日本は春の足音が聞こえる頃、ここでは秋に向かう濃い青の空が広がっている。
 
 バスを降りたのは、この町のインフォメーションセンターがある湖畔の小さな建物の前。インフォメーションセンターの女性はブースの向こうで早速地図や宿泊場所を探すバスの乗客の応対をしている。そこに数人の列が出来ていたから、せっかちな私は自力で探すことにした。町の簡単な地図を手に取り、歩き出した。
有名観光地だけあって、Tシャツと短パンみたいなラフな格好の人ばかり。きっと日本だったらこの駐車場の車は「わ」ナンバーだらけなんだろうな、なんて想像しながら数字と英字の混じったプレートを眺めて歩いた。
 日本でも海外でも地図を見るのが苦手な事実は変わらず、結局私はいつも人に道を聞く。出来るだけ地元の人らしい人を見つけて声をかけ、ゲストハウスの場所を教えてもらった。一本しかない道をほとんどまっすぐ行くだけのシンプルな道案内だったが、尋ねた男性が "From Japan?"(日本から?)と聞いたのでそうだ、と言うと突然控えめに "Konnichiwa."と言った。私も笑って「こんにちは」と返し、日本にいる時以上に丁寧なお辞儀をした。満足気に親指を立てて、男性は去って行った。ふと、日本が随分遠い国のように感じた。

ごほうび

 何をしても良いとなると焦ってしまうけれど、時間はたっぷりあるから、と自分に言い聞かせてベッドに横になった。夫に連絡しなくちゃ、と思いながらもきっとLINEしたら淋しくなる。少し休んでからにしよう。今の私は疲れている。

 目を覚ましたら、部屋は真っ暗だった。ほぼ全面ガラスの壁面からは夜の漆黒が迫ってくる。が、その次の瞬間目を見張った。漆黒の空に浮かぶたくさんの星が、窓越しにでもよく見える。思わずテラスに出て空を見上げた。涙が出た。綺麗で心動かされたからではなく、夫にも見せたいと強く思ってしまったから。

 いつか子どもたちが小さい頃、家族で温泉宿に行った。その日は流星群が見えるから、と浴衣の上に丹前を羽織って寒がる夫を無理やり連れて外に出た。でも曇っていてほとんど星は見えず、それでも「もしかして晴れるかも」と見ていた私の隣でずっと夫は「寒い、寒い」を連発していた。綺麗な星を見たいと思わないのかな、と拗ねた様なガッカリした様な気持ちになったけど。きっとこの星空は彼も綺麗だと言うだろう。一緒に見たかった。自分へのご褒美のはずが、こんなことではいけないわ、と一人でしばらく空を見ていた。

③へ続く

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