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フロンティアノマド

※主役のおかちゃんは2013年位に大阪から宮城県石巻に移住、そこで大衆居酒屋スイスイを始めました。
石巻の大衆居酒屋スイスイは2020年の11月に閉店しました
スイスイの店主おかちゃんはそこから岩手県花巻の古民家を購入して内陸に移住しています
現在、1年半をかけて古民家を民泊にする為に1人で改装工事をしています
下記の文章は2015年に書かれたものです。
おかちゃんが花巻に移住してからの事をこれからまとめたいと思いました
2015年のこちらを先に読んだ方が、おかちゃんの今をもっと楽しめると思います

「本編」
先日、宮城県石巻に酒場をつくったおかちゃんの店、【スイスイ】で出張イマジネーションピカスペースを2日間行ってきた。
おかちゃんとは大阪に来て、すぐに出会い。【セルフ祭】立ち上げ時の初期メンバーである。
大阪にきてから、ありとあらゆる世界を共有して過ごした、戦友の様な関係性だ
どんな感じの娘かというと、個人的に軽トラックの様な娘だと思っている。
まー【たくましい】娘だ。
わたしが人を好きになる要素でたくましいは、トップクラスにくる素養だ
だからおかちゃんの事は大好きである。
2~3年位前に大阪から縁があり、石巻の方に住みはじめていた。
すぐに「橋通りCOMMON」と言う所でコンテナを改造した店舗をかまえた。
まー屋台村見たいな感じでしょうか
たまたま店舗を始めるときに、わたしは、女川ポスター展の設営で二週間、女川に滞在していたので、おかちゃんに設営を手伝ってもらった
その時、「橋通りCOMMON」が動き出し、何かやってみたい人を募集していた
おかちゃんはすぐに応募して、何件かあるコンテナの中で考えていた
わたしも一緒に見に行って値段や形的にこれかなーみたいなのがあり、おかちゃんはそこに初期の大衆酒場スイスイを、石巻の仲間達と作り上げていた。
わたしは実家に帰る時や宮城に用事がある時にスイスイに行っていた。
素晴らしい店に仕上がっていた。
おかちゃんの人柄と料理に魅せられて、色々の人達が楽しむ酒場になっていた。
そこでたまに行く。セルフ祭古参メンバーは、HEAVEN’S KITCHENと言う物を義務見たいな感じでやらされてきた
アルコール濃度の高い酒を振る舞い、スイスイに集まった連中とHEAVEN HEAVEN HEAVEN言う世界だ
ぜんぜんわからないが、スイスイのお客さんたちは、大阪セルフ祭からおくられる刺客を、非常に楽しんでいた
一回しか会ってないのになんか連れになっていった
それがHEAVEN’S KITCHENだった。
2015年の11月位だったと思う。
おかちゃんは「橋通りCOMMON」から独立して個人の店舗をかまえた
やはりたくましいなー
まー やりますね
その新しくオープンした大衆酒場スイスイの視察に行くのと、スイスイ恒例のHEAVEN’S KITCHENも2日間やる事になった。
楽しみだった。
色々とトラブルがあり到着したのが遅れてしまった
スイスイは完全に酒場として仕上がっていた
いやー天晴れである。
酒よし、アテよし、食事よし、ムードよし、ビジュアルよし、店主よし、客よし、場末感もよし。
うーん完璧だ。
スイスイの真ん中に、ぽんっとおかちゃんがいた
はははははははははははははは
いるわ
『はるきー はるきさん はるきくん はーちゃん』などなど色んな連中から連呼されていた
はははははははははは
全然覚えてない人もいるなー 
はははははははははは
アゲテイキマスカ
若柳の親友のしゅうくんもきてくれて、テンションマックス
たこ焼き焼きながらHEAVEN HEAVEN言っていた
ははははははははは
すげー楽しかった
お客さんがどんどんきて、初めて会う連中からも愛のある罵声を浴びせられた
全員にひざ蹴りはいれたつもりでいるが、これだからアウェーはアガル
ぶつかるなら、もちろん正面衝突大歓迎
口上があるなら、かんだらしゃべんな
八方塞、四面楚歌、籠城するなら大胆に
持ちネタあるなら何度も繰り返せ
どんどんこい どんどんこい 誰かを使うな語るな お前で来い 久々にワクワクした。
それで全員朝方にHEAVENに到達してくたばっていった
まさにHEAVEN’S KITCHEN
楽しい初日だった。
次の日の昼間に気仙沼に用事があり車を走らせていた。
沿岸部を久々に通った
南三陸町、歌津などを通過して行った
車中で、ずーとおかちゃんの今までの出会いからの軌跡を辿っていた
33、セルフ祭、いちばギャラリー
石巻に住みはじめて、東日本大震災のそれからの日々
大阪から来てる疎外感 
距離感 東北人気質 どこまでいっても震災
痛いほどおかちゃんの気持がわかる
共有できないライン
そうならないとわからないでしょの世界
それでも傷つきながらも、たくましく前進する
わたしは沿岸部を通過しながらおもいっきり号泣していた
涙がとまらない涙をとめたくない
わたしはどんどん悦になっていた 
わたしは悦にひたっていた
気持良くなってしまった
気持がいい
ちいさなたくましい娘が、私の良く知る東北で色々な人に助けられ、
大衆酒場スイスイをつくりあげ、被災して傷ついた町と、傷ついた人達にスイスイを通して潤いを与える。
ただただうれしい
やってますね
ただただ素晴らしい
愛してるおかちゃん
わたしは、悦になりながらリアス式海岸を通過して行った
その様な涙は、この地で流したのは久しぶりだったと思う
ただうれしかった
用事を済ませスイスイに帰った。
全開で2日目のHEAVEN’S KITCHENに挑んだ
それが新大衆酒場スイスイにわたしが見せれる新世界
『ダシオシミナシ』
当初、予定してなかったちゃんこ『中華そば』を仕込み
たこ焼きをさばき、スイスイにきたお客さんに、高圧電流式イマジネーションピカスペースをありとあらゆる角度から浴びせた
スイスイよこの瞬間、乱反射しろ 爆ぜろ
おかちゃんは、いつも通りにゲラゲラ腰を曲げて笑っていて、あの腹が立つ陽気なダンスをしていた
スイスイに来る連中が全員笑ってた
HEAVEN’S KITCHEN完成だ
その空間を出現させ、酒場にして巻き込む
同じように店と言う手段をもちながら、手探りで知らない土地で生きていく
傷ついて自問自答してそれでも進む。
わたしは、そーいう連中が好きだ。
この石巻に新しく照らされた船出が、スイスイと前進していく様を、わたしは見守っていきたい
大阪と石巻は、逆輸入同士が輸出しあう、おかしな航路が出来た。
わたしは、大変満足して悦になりながら石巻を後にした。
ありがとうスイスイ&みなさま
仙台空港で飛行機に乗ろうとしたら『はるきくん?』と声をかけられた
振り返ったら男前だった
英幸くんが立っていた。
「5年振りかな?」
英幸くんは、宮城沿岸パトロール時代にパトロール隊員として一緒に仕事をした仲だった。
同い年で、聡明で頭が良く切れ、話口調もおだやかで、男前だった。
パトロールは二人ひと組でするので、英幸くんと組む時が一番、楽しい時間だった。
彼は漁師に見えない漁師で、ほほえみながら漁師の面白さや、魚のうまい食い方、イカをその場で捕まえて二人で踊り食いした
英幸くんは、歌津出身で全部被災してしまった 
家も船もなくなった。
それでもパトロールの仕事をしながら、震災間もない中、次の船の購入をいち早く決断してパトロールの合間に漁師復活を急いでいた
たくましいと思っていた
何千万とかかる船を購入して再起を目指す。
中々の決断だとお互いに3月いっぱいでパトロール隊員を終了させ、健闘を誓い合い各々の航海に出た
わたしは大阪へ 英幸くんは漁師復活へ
印象に残った人物だった
それから5年の歳月が流れていた。
英幸くんは、あれからすぐに船を購入して漁師に返り咲き 順調にいってる。
子供も1人から3人に増えたよ
照れながら言ってた
海風にさらされた顔には、しわが出来ていて精悍な顔つきになっていた。
あいかわらず、よくほほえむ
これから札幌の漁師と会合だと言い。
もー自分の船があるから親分だわ
ははははははははと笑顔で再会を誓った。
桜が咲き始めたこの時期に、吹き始めた追い風
春がきた
わたしの小説の登場人物達
わたし達の船がはっきりと前進してる。
今回の船見は、本当に意義のある事だった
頑張ってっちゃ東北
みなさま御自愛してね

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