読みたいことを、書ければいい。
『読みたいことを、書けばいい。』を読んだ。理由はふたつ。前から気になっていたから。noteの企画に参加したくなったから。
タイトルは、誤字ではない。『読みたいことを、書ければいい。』が私にとってこの読書感想文のタイトルなのだ。
「読みたいこと」とは?
この本を読んだ後は「読みたいこと」を好き勝手書きたいなぁと思うのに「読書感想文を書く」となると、ちょっとちゃんと書きたいという脳内パラドックス。
そもそも、私は読書感想文で何を読みたいんだ?何を知りたいんだ?
…うーん、きっと「この本は面白いのか?」だろう。
私は本をあまり読まない。3ヶ月前に買った236ページの文庫本を先日やっと読み終えた。書いてる人に興味があれば読みたい、気分が乗れば読みたい、漫画なら読みたい…
しかしこの『読みたいことを、書けばいい』はスラスラ読めた。noteの企画に期限があるおかげで、最初の1ページすら開かないという難関を突破できたお陰であるが。
「本を読むのが面倒くさい私が2時間ほどで読み終えた」
この本は面白いのかは、私にとってはこの事実だけで充分である。
あれ?そもそも本読んじゃったら「この本は面白いのか?」知ってるから、読みたいことないじゃん。
となると、もう既に読んだ本の読書感想文で何が読みたいんだ?
パラパラっと #読みたいことを書けばいい noteをのぞいてみた。
読んでみたのはタイトルが気になるもの。チラリと顔を出している最初の方の文章が読みやすいもの。読書感想文であることがすぐわかるもの。そんな所だった。
つまり「読みたい」の前に「読んでみたい」にならないと、まず読まない。
そして最後まで読めたのは書き手の世界観が見えたものだった。何を思ったか、何を感じたかが書かれているもの。
あぁ、私がいつも書いてるエッセイや日記ってことじゃないか。
そうか、私が必要としているのは知識のための本だけど、読みたいのはエッセイや日記、その人のストーリーなのだ。
じゃあ好き勝手書けば…いや好き勝手は書いてるぞ?でも、私は私の文章を読みたいか?
私が他人なら、読みたいと思えないと読まない
私は自分が読みたいことを「読みやすく」は書いてないが、書きたいことを書いて何度でも読み返せる。自分の下手くそな言葉が好きだし、ふとした時に励みになるので読みたいことを書いているような気もする。ただそれは、内容がわかっているから。読みたいと思わせる文章ではなくても内容を知ってるからだろう。あとたぶん、自分を振り返るのが好きなのだと思う。仮に私が私じゃなければ、タイトルや冒頭の文章で「読みたい」と思わなければそもそも記事は開かれないだろう。
ということに、うんうん唸って考えて気づいた。
概ね読みたいことを書いているなら、読みたいと思える文章をスタートに書ければいいのだ。
…タイトル。
タイトルをキャッチコピーのつもりで書くのは、読まれたいなら必須なのかもしれない。
私のnoteも、これは絶対タイトルで読んだんだろみんな。というものがある。これだ。
心のどこかに共感して開いたのではないだろうか。知らんけど。
少なくとも「我ながらいいタイトルだ、気に入ってる」と言えるくらいのタイトルではある。
読みたいことを書くということは、読みたくなる文章で書くということでもあるんじゃないか。
だから「読みたい(=読みたくなる)ことを、書ければいい。」が、私がこの本から得たものな気がするのだ。既に好き勝手書いて、読み返すし。
読みたいことを書いてるなら、私が読みたくなる文章で書くのが次のステップだ。
先ほども言ったが私はまず、本を開かない。
本を開く、記事を開く、という第一関門を突破するには表紙のパワーを借りるしかない。実際、この本に惹かれた1番の部分はタイトルだ。
読みたいことを、書けばいい。
読み終えて、これからも好き勝手に楽しく書けばいいのだと背中を押されたような気持ちになった。
ただ、自分の文章をもっと誰かに目に留めてほしいと思うならば、表紙に私の「読みたい」をちゃんとパッケージしないとなと思った。それができたらいい。とてもいい。
私が読みたくなることを、書けるようになれればいいな。
『読みたいことを、書けばいい。』は、私にとって「読みたいことを、書ければいい。」という学びになった。
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