2021年、いってきます
ここ数年、私は家族と距離を置き始めた。
私は、私の家の「普通」が馴染まなくて、親の言動に傷ついて、私は家の中でおかしな人間だと、どことなく家の中で孤独を感じていた。
完璧な子育てなんてない。あり得ない。
わかっていても、辛かった。
家族というコミュニティの中で、私が生きづらい点を急激に見つけ始めたのがこの数年なのだ。
あぁ、私ってこんなに話を聞いてもらえなかったんだ。
あぁ、こんな風に言われるから「言っても無駄」思考になってたんだ。
あぁ、大好きなのにどうしてわかりあえないんだろう。
弟が実家に戻るので、馬が合わない私は家を出た方がいいと思って一人暮らしをしたら、不思議なことに、それが最終的に仕事を解雇になる原因になった。
結局出戻りした私。「実家に戻ることになったのは何か意味があるはずだ」と、家の問題点を探し始めた。
というのも、弟は発達障害。無職。アルバイトもしたことがない。
私は障害福祉の支援員という立場で、弟のような人を多く見てきた。
そして「障害」に苦しむ人の多くは、ほぼ家に、親に、何かしらストッパーの原因があると感じた。(わかりやすいネグレクトやDVだけではなく、一見「普通」の家族でも、思わぬことが妨げになっていたりする)
アルバイトをしてみる勇気すら出ないというのは、ストッパーをかけるような育ち方をしたのだろうと思う。引っかかる何かが、家にあるのだと思う。
しかし、うちの親は物凄く愛情深く、弟の発達障害も3歳に判明したから幼稚園をよく選んだり、小学校でも先生に相談して、他の児童に苦手を伝えて協力してもらったり…
かなり手厚くされてきた方だと思う。
それなのに、なぜそんなに恐れるのだろう?私は疑問だった。
そして、そこを見つけるのは私の役目なんじゃないかと、勝手に思い始めて支援員的目線で家族を見始めた。
そうしている間に気づいたのだ。
私が今まで、家という箱にいたから気づかなかったことに。気づかなかった悲しさや怒り、寂しさ、虚しさに。
気づけば気づくほど、家の中が息苦しくなって、追い討ちをかけるように隣の部屋で弟がゲームで怒って叫ぶ声が毎日耳に響いた。
この家にいると、私は私がどんどん嫌いになる。
家族といえども他人。他人のはずなのに、そんな風になれないくらい、「家族」の距離が狭くなりすぎた。
親に気持ちを伝えることを諦めてはまた伝えて。を何度も繰り返してきた私は、ようやく「わかってもらえなくてもいい」と決意して、この家の「普通」と私の「普通」は違っていて、30年合わせられなかったのも辛いんだと話した。一緒にいるのが辛いと伝えた。
そうして、私は30歳ではじめて県外に引っ越した。
引っ越してから、家族の距離感が心地よくなった。
たまにLINEして、電話して。
お互い、細かい所が見えないくらいがちょうどいい。
見えすぎると、気になってしまうから。
それでも去年帰省した時は、やっぱりわかり合えなくて、泣きながら一人暮らしの家に帰った。
一人暮らしの家が「帰る」場所で、実家は「帰る」場所とは思えなかった。
安心できなくて、わかりあえなさが辛くて、逃げ出したくなるから。
そういえば、引っ越した日もそうだった。
引っ越しの手伝いをしてくれた母の帰り際の発言が悲しくて「あんなに勇気を出して伝えたのに」と思ってしまった。
笑顔で「ありがとう」と言いたかったのに、思わず涙があふれて「私の気持ち少しは考えて」と言ってしまった。
それでも私は、家族が大好きで、両親を誇りに思っている。
だからこそ「今の実家は帰る場所じゃない」と感じるたびに悲しくなった。
私にとって、家は安全基地でなければ家ではないのだ。
しかし今年は、実家がホッとした。
ケンカもしたし「わかりあえない」と思う場面もあったが、私がこれまで何度も泣きながら伝えてきたことが、親にジワジワ伝わってきたような気がした。
まっすぐ伝えて斜めに返ってきていたものが、まっすぐになってきた。
お互いに「わかろう」としているのだと思う。
やっぱり私の実家はここで、地元はここで、私の帰る場所のひとつなんだ。と、確かに思えた。
大好きな場所を、また大好きだと思えてよかった。
いま、世界はこんなだから、次はいつ帰れるのかわからないけど、別れ際が寂しいのは、一緒の時間が楽しかったからで、一人の切なさを感じられるのは、人の温かさを感じたからで。
「また」と思えるのは儚くて、尊い。
2021年のスタートが、「またね」でよかった。
またあの家に、家族に、「ただいま」と言いたいな。
そう思って出発した。
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