「若い」「可愛い」って恥ずかしい。

 若いってだけで褒められる

 職場でも居酒屋でも年齢を言うと「若いね~」とほぼ高確率で言われる。そんな風に年上の男性や女性にちやほやされると私自身も若いというだけで自分を誇らしく思う時もあった。こんなに表面的なことで誇らしく思ってしまう私だから、今よりももっと自分が未熟な時は誰かが自分よりもちやほやされていたり、上の立場の人から認められていたり、そういう他の誰から見てもわかるような表面的なことで嫉妬した。若かったり、可愛かったりする権限をうまく使える人を羨ましく思った。

 年を重ねるごとに変わる嫉妬の対象

 だけど、私は時々自分が若いことにすごく抵抗したくなる。それはまるで、赤ちゃんが二足歩行を出来るようになったことを喜んで貰えたような感覚。一昔前に「女性と子ども」がひとくくりにされたように、誰かから守られて大切にされているのに、なんだか「一人前ではない人」というレッテルを貼られているように感じた。

 以前アパレルのバイトをしていたときに先輩の方から教えてもらったことがある。

「お客様より10歳以上も年下の店員に可愛いや似合うと言われても中々説得力がない。だから言葉遣いに気を付けたり、より具体的に理由を伝えたりしなくちゃいけない。ちなみに可愛いじゃなくて素敵ね。」と。

 
 これはお客様よりも生きている時間が短いから、女性特有の体型の悩みだったり、子育て等の生活環境から生まれたりするニーズに共感しきれないことは確かな事実だ。だからこそ、工夫して伝える努力をしなくちゃいけない。でもそこには、同じ言葉を私と先輩が発しても、先輩の方が説得力があるという世間の目が確かに存在することを裏付ける。

 その頃から自分自身が何かを発するときにはそれを根拠づけるような理由や経験を付加するように心掛けている。世間にとって、「何を発するかよりも誰が発するか」が重要であるのなら、私はそれなりに自分自身が勉強する必要があると感じた。気づけば私は「様々な立場の人と対等に話せる人」に羨望し、嫉妬していた。しかしそれになるためにはある程度の経験や知識が必要でそう簡単にはなれないことを知った。

 可愛いとか若いとかって本当に敬意がある相手には言いにくい言葉

 私は以前自分が尊敬する人、憧れの人に出会ったときに言葉が出てこなかったことを鮮明に覚えている。外見がいいのは勿論のことだか、私はその方の「生き方」「情熱」に対してリスペクトしていたからこそ、「かっこいい」や「かわいい」等のそんな簡単な言葉で表現したくなかった。寧ろ、外見以上にその人には魅力が沢山詰まっていると思う。だから私も簡単な言葉では表現できないくらいに魅力が沢山詰まっている人間になりたいと思った。

 巷に溢れてる手軽な誉め言葉。(?)
 
 「可愛い。」

 「若い。」

 私は22歳になってやっと、以前先輩から言われた「年上の方は可愛いと言われることに抵抗あるから素敵っていいなね。」の意味を自分の経験に落とし込んで理解した。

 

 

 

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