見出し画像

【感情紀行記】自分気褄

 感情の起伏が抑えられているというのはここ最近のトレンドであった。自分は、そもそも感情が割と豊かな人物であった上に、その感情に左右されやすいので、感情は、時に武器にしつつ、生活の足枷となってきたのだ。人の機嫌に合わせるのも難しいのかもしれないが、自分の機嫌を操舵する方が難しいのではないかと思う。そのため、感情を抑えたり、仕舞い込んだりするのがいつの間にか上手くなってしまった。そして、いつしか感情を表立って見せることが少なくなっていった。

 先日、例の付き合っている人と、ひょんなことから問題が発生した。いろいろな感情が出てくる中、今まで見せてこなかった負の感情が溢れ出てきた。それは、申し訳ないとか、悲しいとか、多くの側面が複雑に絡んだ感情である。これまで、そこまで長い期間ではないものの、相手に感情の移ろいをある程度合わせていた部分があったのではないかと思う。それは、前述した、感情を故意なのか無意識なのか、隠すことも含めてである。初め隠していた涙も、徐々に隠せなくなり、数年ぶりに泣くこととなった。人前で泣いたのは、物心ついて以降初めてであろう。自分としても驚いている。

 しかし、後から振り返れば、良いことの方が大きかったように思う。感情の喜怒哀楽は全て表に出され、目の前で見て、感じ取ってもらえたのだ。少々気恥ずかしい部分もあるが、それはそれでよかったのだろう。普段はどこかに仕舞い込んでいる自分を開陳する過程の一つに過ぎない。しかし、これほどまでに自分を知って欲しいと思い、自ら情報開示を積極的に行う人に出会ったのも久々である。自分の感情の窓に少しの日差しが差し込んだような気がする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?