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優しい間のエピソード

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優しい間のエピソードをこちらのマガジンでまとめています。 以下ハッシュタグをつけて、ぜひnoteを投稿してください。 #まちとこどもの優しい間 #あの日の私 #私のまちの好きな … もっと読む
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記事一覧

わたしが朝、5分早く家を出るようになったワケ

朝、遅刻しそうになりながら、家を出た。 駅まで走って向かっていると、公園に小学生が1人でいた。 泣きながらベンチに座っている。 会社には遅刻できないし、すごく気になるが、その場を去った。 夜寝る時、今朝の出来事が頭をよぎる。 「あの子、何かあったのかな。」 次の日、いつもより家を早く出た。 公園には、昨日と同じように小学生が1人でいた。 今日は話しかける時間がある。ぼうっと座っている。 「おはよう」と挨拶をした。 それから毎日公園によった。 そして、何か話すわけではな

別れの日(離別式)

今年度は今日で終わり、明日からは新年度が始まる。今日は12年間相談活動を行ってきた地域の中学校での最後の日だった。私は先生ではないけれど、学校の配慮により体育館のステージに上がり、転出・退任される先生方と一緒に離別式で送られることになった。 私は12年同じ地域の小中学校で生徒の話を聴く活動をしてきた。最も付き合いが長かった子たちは小学校1年生から中学校卒業の9年間同じ時間を過ごしてきた。「おはよう、元気?、何かあった?、がんばってるね。」といつも子どもたちのそばで成長を見続

泣き虫なわたしが、流し打ちの二塁手になり、活字中毒者になり、能力主義に絡め取られ、ITエンジニアのキャリアを捨てて、還暦を前にソーシャルワークを目指すわけ

昨日(2021/08/22)、認定NPO法人PIECESさんのCitizenship for Children 2021のゼミに、チューターとして参加して、ビーンズふくしまのアウトリーチ事業を行っている山下仁子さんのお話を聞きました。 ある少女が教えてくれたことと、わたしの号泣山下仁子さんは、「アタマではなく、心で応える」支援を実践されています。質疑応答で「山下さんが心で応えるようになったきっかけがあったら教えてください」という問いが場にあらわれ、山下仁子さんは「これはあま

「私は見えていないんじゃないか」自分の存在を不安に思った子どもをフォローした大人の些細な行動

定期的にボランティアをすることも、居場所づくりもできないなら子どもに関われない?市民一人ひとりの関わりが、子どもたちの心の孤立を解決していく。 私たち認定NPO法人PIECESは、子どもたちの周りにあるさまざまな社会問題の背景にある「心の孤立」という課題を解決するため、「子どもたちに自分のできることを」という市民に向けて研修プログラムを行っています。 プログラムでは「市民性」という言葉を何度も使います。専門家ではない人が市民として専門家とは違う関わりをしていくこと、その時に

貧困、虐待、不登校。「支援者」に頼るのが難しい構造と地域の中に戻る子どもたち。

子どもが孤立してしまう構造的な課題貧困、虐待、不登校など、子どもたちの周りにある社会課題の背景には、子どもの心の孤立があります。子どもの心の孤立とは、安全に頼れる誰かがいない環境で、他者や社会への信頼を失っていく状態です。 この子どもの心の孤立の背景には、いわゆる支援機関や学校など、子どもをサポートする主な担い手の逼迫化があります。 例えば都内の児童相談所では、一人のワーカーが100人以上の子どもを担当している状況が生じていたり、不登校や発達障害、養育の難しい家庭が利用す

山手線で500円玉を手渡したあの日のこと

あの時おっちゃんに手渡した500円が、生涯でいちばん重みのあるお金だったと思う。罪滅ぼしみたいな気持ちが半分と、いたたまれなさみたいな気持ちが半分、なんて最悪だけど。 昨日、PIECESのメンバーと話していてふと思い出した出来事をちょっと振り返ってみようと思います。多分2年くらい前のある夏の日。 PIECESのプログラムを受講して変わった自分にできた市民としての一歩だったかもと思える出来事です。別におっちゃんの人生が救われたわけでも、なんでもない。でも、ちょっとだけ強くなれ

特別じゃない「おはようございます」に支えられた6年間

まちの中で誰かが実際に出会ったあたたかいエピソードをまとめる「優しい間のエピソード」マガジン。今回はある女性の子育てのお話です。 * * * * * 子どもの居場所づくりに関わっていながら実は子どもが苦手という私は、先日、つくづく自分が現場で表面的にしか関われていないかもしれないなあ・・・と考えをめぐらせていたことがあったのですが、その時に、ふと思い出したことがありました。 自分の子どもたちを幼稚園に通わせていた時の話です。 今ではそれぞれ小学校5年と2年になり、子育て

「忘れない」でいること

私はその昔、地方の大学に通う学生だった。 不登校を経験した後、猛勉強の末に大学に入学したものの、人としゃべることにブランクがある私は、おどおどとした様子で、なかなか学校生活になじめなかった。 これでは、不登校でその後、猛勉強すると決めた時に決めた、「自分が苦しい経験をしたからこそ、誰かの力になれるのではないか。自分の経験を消化して誰かの力になりたい」と願った自分になれていない気がした。 少しずつ自分を変えなきゃと思って大学の授業の一環で通い始めたボランティアを通して、少

ある日、知らないおじちゃんに声をかけてもらった。

2018年冬。高校3年生。 春に部活を引退して、秋に学校祭も終わり、高校生活での楽しかった大イベントが全て終わった。残るは人生スパンで見ても大イベントな大学受験。私はこの大学に行きたい!とか、大学に行ってこんなことしたい!みたいな確固たる意思を持ってなくて、なんとなく周りも行くから〜くらいの気持ちだった。だから、モチベーションになるものが特になく、頻繁に心が一杯一杯になってしまっていた。 私はこの先どうなるんだろう。 受験うまくいかんかったらどうしよう。 なんで受験しようと

女神と、右手をひいてくれた人

12歳の冬、札幌の地下鉄の中で。 小学校の最終学年を迎えるころ、知人の紹介でフィギュアスケートを習い始めた。ちょうど「14歳の新星:真央ちゃん」の放つきらきらが全国に届いた時期で、お誘いを受けた親友と私は頬を薄桃にしてときめいた。北の地生まれとはいえ、スケートはほとんど初めて。譲っていただいた靴とコスチュームだけは一丁前、両膝のサポーターを心の頼りに銀盤の上をぎこちなく滑った。 ほどなくしてトリノオリンピックが開幕。テレビの先のトゥーランドット、青と水色のドレス、スタンデ

あなたの「まちの中でホッとした話」を教えて

誰かに相談するまでもないけどちょっとしんどくなったとき。 いつもの友達には話しづらいけど、誰かに話を聞いてもらいたくなったとき。 誰にも話せずに、問題を抱え込んで心が孤立していく。 その前にまちに気軽に話せる人がいたら。 例えば、通学路で毎日話しかけてくれる近所のおじさん。家で嫌なことが会った時に「うちにおいで」と家に居させてくれるおばさん。落ち込んで公園に1人でいるときに「どうしたの?」と声をかけてくれる近所のお姉さん。子育てでごはんをゆっくり食べられない時に「代わりに