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【本】地域とともに未来をひらくお寺という場のつくりかた

お寺が従来の機能を超えて社会に開いていく試みを著した一冊。

カフェ、コワーキングスペース、目的もなく集う場、法話グランプリ、知らないだけでさまざまな取り組みが各地のお寺で展開されており、「行ってみたいお寺」がたくさん増えた。

印象に残ったのは、お寺の二階部分に梯子をかけるという表現。
本書では寺を次のように整理していた。
一階部分:葬儀や法要など、死者を送り弔う部分
二階部分:仏教の精神や人間としての姿を追求する部分

人口様態や生活様式の変化で、この二つの階と人々の生活にミスマッチが生まれているため、ダイレクトに二階部分にアクセスできるようにすることが人々の生活の向上にも、お寺の存続にも必要だという考え。
(確かに近年、マインドフルネスや禅といったテーマに接触する機会が増えたが、檀信徒でないお寺には近づきにくい印象はあった)

全国の魁の取り組みを見ていると、正直「お寺の方は羨ましいな」とさえ思った。
お寺が元来有する「人が集まる場所」「安心して過ごせる場所」といった機能は即時に、人為的に作れない部分もある。
佛子園の西園寺や、B'sなどの施設はこの部分をうまく生かして運営していた。

しかし、それはお寺がお寺である上で前提となる義務や苦労をすっ飛ばした考えであることも同時に思い至る。
以前にインタビューした教員兼業の僧侶の方によれば、檀信徒が減少する中でお寺を運営することは、時間的な難しさや、財務的な難しさはかなり大きいという。

そうすると、お寺に憧れるより「自分が有しているリソースをどのように生かして社会に展開していくか」に目を向けた方がいいことがわかる。

この営みは、転職や兼業を考える上で、自らのスキルや職歴を棚卸して俯瞰することと構造的に近似している。

文科省の文部科学統計要覧(令和3年)によれば、小学校から高等学校、特別支援学校の教員数の総計は100万人近くに上る。
「教員」の一人一人が、学校という枠に過度に縛られず、自身のリソースを生かして社会にアクションを起こすことは、さまざまな社会課題の解決に直結するのだと思う。

教員というより、学校職員という立場で地域に参画し、自分と自分の周囲にある課題の解決にあたる。
これが実現できれば案外悪くない仕事なんじゃないか。

実現にあたっては巷で言われているあらゆることが必要になる。#働き方改革 #兼職兼業 #越境学習 #リカレント教育 #アンラーン #リスキリング
まあでも全て単線上に存在するイメージ。

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