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嵌り - 最近何をしたか 6/9-6/19

ハリーポッター

ずっとのんびりハリーポッターを読んでいる。付き合いで読んでいるというのもあるが楽しめていなくもない。突き抜けた楽しみがあるわけでもないが、読みたくないということもなく巻数で分けて読んでいて、読む期間には淡々と読んでいる。まだ全巻を読破というわけではないが、もうずいぶん後半になり終わりに近づいている。途中から上下巻に分かれ、物語が大きくなり、キャラクターも増えた。読解力の問題もあるのかもしれないし文化の問題もあるのかもしれないが、いまいちピンと来ない部分もある。情景やディテールは細かく描かれているが、現実感がないというのもあるのかもしれない。

翻訳とフォント

読んでいて思ったのは翻訳の問題だ。どうしてもひっかかる。私は原書を読んだことはないし、読めるわけでもない。だが、それでもこの翻訳やその言葉、その言い回しは正しいのだろうかと思うことが多い。また、ルビは振ってあるが、必要以上に普段使わないような古い、難しい漢字を使っていて、ハリーポッターを児童書とは言わないが、現在の日本人として考えてみても、その漢字の割り当ては必要なのだろうかと疑問符が浮かぶこともある。また、古風な言い回しも多く、それは歴史ある英国のスコットランド、エディンバラで書かれたという原書がそうなのかもしれないが、読んだだけでは必要な言い回しなのか、と疑問がわく。

そういうことが続くので多少検索をしてみたら、ちゃんと原書を読める人の中にも読んでいておかしいと思った人たちがいるようで、旧2ちゃんねるから現5ちゃんねるにハリーポッターの翻訳のスレッドが存在し、その意見をまとめたwikiページもあるようだ。そこを詳しく見る気もないし、そういう意見のすべてに同調することはないだろうことも分かっている、例えば重箱の隅をつついているような意見だという人もいるだろう、だが同じような疑問を持っている人がいることを知り、原書を読んでいて間違いと言えるようなものもあるということを知った。それだけでも私にとっては十分なものだ。

そしてもう一つ思うのは、タイポグラフィとまでは言えないが、少なくともフォントの問題がある。これは付き合いで読んでいたと書いたが、その付き合いで同時期に読んでいる私以外の人間も同感だったようで、書体のおかげでちょっと変なイメージに思えると同調していた。それは書体だけに止まらず、スタイルやサイズも同時におかしいと感じる。このセリフや場面でどうしてこのフォントを選択しているのか、そしてそのフォントにこのスタイルやサイズがなぜ用いられているのだろうかと思ってしまう。これは訳者ではなく出版社の問題かもしれないが、そう思う人は私以外にはいないのだろうか。

嵌り

人気の海外小説や、古いものとなれば同じ原作でもたくさんの訳者が翻訳している。そう考えると私と、現在のハリーポッターを翻訳している訳者とは合わないというだけなのだろう。古い翻訳では、こちらは児童文学ともいってもいいかもしれないが、赤毛のアンの翻訳はすばらしいと思っている。以前ここにもそのことを書いたことはあるが、翻訳者の村岡花子さんの力があってこそ私に届いたものだと思える。その原書を知らないが、それでも十分に私の中に嵌ってしまう。ただのそんな親和性の問題なのだろうが、ハリーポッターの翻訳は私に嵌らない。そう思うと残念で、他の翻訳も読みたくなるし、原書を読めない無力感をも感じてしまう。だが、ハリーポッターの翻訳もひっかかる部分があるだけで、ちゃんと読めているし、楽しめているのも事実だ。


場所

どんよりとした日差しの中で過ごしていると考えてしまう、自分自身の位置。人との関係性とかそういうものではなく、自分が置かれている場所との相対。立っている場所がどこか分からないような。それは人間関係も含むことさ、なんていう人もいるのだけれど、そもそも人間関係が、ない。そんなもので人は生きてゆけるのか、なんて言われるが、どうだろう。人間がいる限り希薄な人間関係はある、それに回りに人がいるのは認識している。ただ一人でもある。


コミュニケーション

表現というものは難しい。表現をする側にも、それを受け取る側にも様々な問題はある。言葉の分からない人間に言葉で話しかけたとしても、コミュニケーションが成り立つとは思えない。それが繊細なものであれば、なおさら絶望的だと思う。だが、言葉が通じていてもそれは同じ。人はみな違うし、人それぞれの知識や語彙の問題、それらだけではなく嗜好もある。それをどう乗り越えればいいのだろうか。


終わり

なにかがわたしを通りすぎる。その時になにかを感じ、なにかが残っている。そういうことは誰にでもあるのだろう。たまにはわたしでも、やすらぎの場所にてあくびをし、伸びをしながら過ごすこともある。実はそういう時間がしあわせなのだと思う。それを分かっているはずが、その途端終わってしまう。目の前が真っ暗とはこういうことだろうと思うが、実際は安らいでいるのに。



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