見出し画像

夜のロサンゼルスを駆け抜けろ 【アメリカ放浪の思い出 #04】

この記事は、逃げるように会社を飛び出した24才の男が病んだあげく、エネルギーを持て余して3ヶ月間アメリカを西から東に放浪し、警察に捕まったり死にかけたりする思い出話です。
【アメリカ放浪の思い出】の記事一覧はこちら

格安の16ドルでダウンタウンまで連れてってやるという甘い言葉に誘われた私は、そのまま男について行った。

しばらく歩くと、バス、というよりはハイエースに近い車が停まっていて、中にはすでに他の乗客が10人ほど乗り込んでいた。

自分以外の乗客を見て、なんとなく「知らない土地に連れてかれて身ぐるみ剥がされボコボコ」みたいな事はまぁ起こらないだろうな、と安心した。

ほどなくしてバス(ハイエース)が出発すると、1時間ほど走ったかというところで大きなビルが立ち並ぶ大都会が見えてきた。

ダウンタウンだ!

ようやく空港から脱出できたことに心底ホッとした。とりあえずダウンタウンで降りればそこからは何とかなるだろう。

運転手に「どこで降りたい?」と聞かれたので「ダウンタウンで」と満面の笑みで答えたら「だから、ダウンタウンの、どこで!?」と少しキレ気味に聞き直された。

どうやら一口にダウンタウンといってもかなり広いらしい。

どこで降りればいいかなんてこっちが聞きたいくらいだ。

「え~っと、とりあえずまだ降りません」とお茶を濁したが、そうこうしているうちに他の乗客たちが次々と「ここで降りる」と手を挙げ始めた。

「やばい。どこで降りるって言おう」と内心焦った。「ダウンタウン」以外の固有名詞をまったく知らないので指定しようが無い。

減り続ける乗客。プレッシャーにより脂汗をかきながら内心パニックになっていると、ついに最後の乗客が手を挙げてしまった。

やばいやばい最後の1人になっちゃうどうしようと目の前が真っ白になったが、そのとき飛行機で隣の席にいた「英語を全く喋れない中国人」のことがふと頭に浮かんだ。

そうだ、自分の英語力でどうしようもない時は他の人に乗っかってしまえばいいんだ!

しれっとした態度で「あ、僕もここです」と言って手を挙げた。

運転手は「あ~そうか、なるほどなるほど、おまえはここに来たかったのか~、あ~そういうことか~ふ~ん、なるほどね~!」と何故か上機嫌になっていた。理由は今でも分からない。


ダウンタウンは大都会! しかし華麗にスルー

ダウンタウンはものすごく広くて栄えていて、印象としては「ちょっぴり汚い銀座」という感じだった。

きっと観光で来ていたら見るべき名所がたくさんあるんだろう。しかし、私の目的は観光ではないので、こんな場所には一切用事はない。

先ほどバス代をケチったことにも繋がるが、私はアメリカにいる3ヶ月で観光地を巡ったりお金を使って贅沢する気は全くない。

サラリーマン時代に貯めたお金は200万円近くあったが(実家暮らしだったし元々お金を使わない性格なので)、

人生でやるべきことを見つけるためにわざわざアメリカまで来たのに、観光地で散財して「アメリカ最高~☆」みたいな感じで帰ったのでは意味が分からないからだ。

そして、会社で病んでまでして貯めた大事なお金なので、なるべく使わずに帰りたかった。

35才になった今だったら豪華なホテルに泊まって厚切りステーキを食べて「アメリカ最高~☆」って言っていたいが、とにかく当時はそうだったのだ。

そんなわけでダウンタウンに用は無い。早速モーテルへ行く手段を探すことにした。


アメリカには危険な人が結構いる

このとき初めて「そもそもダウンタウンとモーテルは近いのか?」という根本的な疑問が湧いてきたが、彼女は「ロサンゼルスの近くのモーテル取っておいた!」と言っていたのでたぶん大丈夫だろう。

モーテルまでの道のりを自力で探すことは不可能に近い。まずはそのへんを歩いている通行人に尋ねることにした。

ここで1つ注意事項がある。

アメリカは日本と違って「あ、これ絶対に話しかけちゃダメな人だ」という全身からデンジャラスなオーラを発している人がけっこういるので気をつけないといけない。

この旅の中盤で寄ったサンフランシスコにはあまりいなかったので土地柄もあるだろう。当時のロサンゼルスはニューヨークより危険だったと思う。

(ニューヨークは昔はやばかったが警察が頑張ったらしくかなり治安が改善したらしい。それでも郊外は危険だったが。)

そんなアメリカ事情を考慮し、キュートなワンちゃんを散歩しているオネーさんに声をかけてみた。

すると、「あらそこなら487のバスに乗ったら着くわよ、アメリカへようこそ!」と教えてくれた。

おぉ!これは思いがけず有力な情報が。この分ならきっとすぐモーテルに辿り着けるだろう。

アメリカでは知らない人になにか尋ねると、「Welcome to United States!」とか「Have a nice trip!」なんてことをみんな言ってくれるのでちょっぴりうれしくなる。


走れ!487のバスに追いつけ!

おねーさんにお礼を言ってバス停で待っていると、20分ほどして487と書かれたバスがこちらに向かってきた。

ようやく長かった1日が終わる。

初日からかなりハードだった。

早く荷物を降ろしてベッドで横になりたい。

と思っていたが、

487のバスは私の前を華麗に過ぎ去っていった。


なぜ?なぜ??

始めての国で早朝から迷子になり続けて疲労困憊の私は、目の前の状況が飲み込めずマジで男泣きしそうになった。

しかし冷静になってよくよくバス停を見てみると447とか484とか数字がたくさん書いてあり、ここに停まるバスと停まらないバスがあるようだ。

つまり、ここには487は停まらない、と。

オネーさんと話したときすぐ真横にバス停があったので、当然そこに487は停まるものだと勘違いしていた。

487のバス停がどこにあるのかなんて分かるはずもないが、さっき通ったバスは視界から消えるまで停車しなかったのでこのあたりにないことは間違いない。

とりあえずさっき通り過ぎていった487のバスを追えばそのうちバス停が見つかるだろう。

重たい荷物と重たい足取りでしばらく歩き続けたが、そうこうしているうちに次の487がまた私を後ろから通り過ぎて消えていった。


やばい。もう日が落ちかけている。

アメリカは日本よりずっと危険なので、1人で夜に外出とかしちゃダメだと思う。たぶん。

なにより現在進行形でダウンタウンの空気を感じている身としては、こんな場所で日本人が1人でいたら絶対怖い人たちに襲われてしまうという実感がすごい。

こんな場所で野宿は絶っ対いや。

とりあえず、今視界から消えていった487、やつに追いつくしかない。

20kg近くあるリュックを担いだまま、私はバスの背中を見失わないよう夜のダウンタウンを全力で走り続けた。


アジア人にお金を渡すシステムの誕生

夜のダウンタウンを全力で走って、走って、走りまくった。

20kgのリュックのせいで脚と背中が痛かったが、ダウンタウンで一晩過ごすことを考えたら止まるわけにはいかなかった。

結局、前を走る487に追いつくことは出来なかった。が、487の停まるバス停を発見した。

(487のバス停。明度を上げているが実際はもっと日暮れだ。)

疲れきってバス停に座り込むと、夕暮れになって少し涼しくなったロサンゼルスの風が気持ちよかった。

座ったまま写真を撮っていると、ついに念願の487が来たので乗車した。もうあとは乗っていればモーテルまで着くはずだ。

バスの運賃が分からないので運転手さんに尋ねると「ダラーホニャホニャ」みたいなことを言われる。

私はリスニングが苦手なことに加え運転手さんがかなり高齢だったので、何を言っているのか全く聞き取れなかった。

まぁとりあえずこれだけ入れたら足りるだろう、と試しに10ドルを入れてみたら、おじいちゃんがめちゃくちゃ怒りだした。

「うぉぉ-い!!!なにしとんじゃオメー!!」みたいな感じで。

聞くと、どうやらこのバスはお釣りという概念が存在しないらしく、ピッタリの金額を入れないといけないらしい。

日本ではお釣りがでない機械というのは稀だが、当時のアメリカでは別に普通のことで、自動販売機なども25セント以外のお金は入らなかった。

まぁ詰まるところ、私の10ドルは機械に飲み込まれた。ということだ。

10ドルの損失にヘコんでいるとおじいちゃんが気を利かせてくれて、それからバスに乗り込んでくる乗客のお金を私に渡してくれるよう取り計らってくれた。

「乗車時に運転席の横のアジア人にお金を手渡す」という不思議なシステムのバスが誕生した。


たのむよ、おじいちゃん。

こうして無事にバスに乗り込んだ私だったが、モーテルに着くにはどこで降りたらいいのか分からなかった。

運転手のおじいちゃんに住所を伝えてみると、「おぉ!そこなら分かる分かる、着いたら教えるから任しんしゃい!」みたいなことを言われた。

かなりハイテンションで自信満々なのが逆に不安になったが、任せる以外に手段がないのでお願いすることにして、おじいちゃんの昔話を聞いていた。


30分ほど経っただろうか、

昔話に花を咲かせていたおじいちゃんが急に、

「ハウァ!!!!」

みたいに叫んだ。ふつうにビックリした。

何事かと尋ねると、

あんたのモーテルのことすっかり忘れてた!だいぶ前に通り過ぎてしもうた・・・!

だそうです。おじいちゃんしっかりしてくれ。

いやなんとなくそうなんじゃないかな、とは思っていたんですけれど。

現在時刻はアメリカ時間で19時近く。日本を出発してから20時間以上経っている。

体力は限界に近かった。


天使が現れ、長すぎた1日がついに終わる

バスなので引き返すことも出来ない。

道が分からないので歩いていくことも出来ない。

バスの車内で私と運転手のおじいちゃんは「どうしよう・・・」と黙ったままになってしまった。

途方に暮れるとはこのことだ。解決策を見出すこともできず、規定の道をなぞるように走り続けるバスに揺られながら脳みそをストップしていた。

すると、1人のアジア人のおばさんが「次で降りなさい」と声を掛けてきた。

訳も分からずおばさんと一緒にバスを降りる。流暢な英語が脳みそのストップしかけた私には難しかったが、どうやら「場所を教えてあげる」と言っているようだ。

ありがたい。方向だけでも分かれば後は歩き回ればきっと見つかるだろう。

と思っていたらバス停の目の前に停車していた車に乗り込み「さぁ、乗りな!」とジェスチャーしてきた。

場所だけ教えてくれるのかと思ったら、車でモーテルまで送ってくれるらしい。

天使や。天使はロサンゼルス郊外の住宅地におったんや。

車内で少し雑談をしたが、そのおばさんはかなり昔に東京に行ったことあるらしい。

そのとき、現地の日本人がかなり親切にしてくれたらしく、そのお返しもかねて今私を助けてくれているとのことだ。

人と人が助け合うって素晴らしい、と素直に思った。そして日本に帰ったら東京で困ってる外人さんがいたらすぐに声を掛けようと誓った。

モーテルは車でバス停から10分ほどの所にあった。

(後日撮った写真なので明るい)

台湾人の天使のおばさんにお礼を言って、モーテルにチェックインした。

本当に疲れた。歩きっぱなしの1日だった。

初めてのアメリカの空気、日本語が通じない世界、無事につけた安心感、わけのわからんアジア人を助けてくれた人たちについて、などいろいろ思いが巡ったが、

とにかく疲れすぎていたのでベッドに倒れてそのまま寝た。

続きはこちら

サポートしてくれたら本気だす。