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溢れるエネルギーを持て余していたニート時代 【アメリカ放浪の思い出 #02】

この記事は、逃げるように会社を飛び出した24才の男が病んだあげく、エネルギーを持て余して3ヶ月間アメリカを西から東に放浪し、警察に捕まったり死にかけたりする思い出話です。
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会社を辞めた私は、しばらくはニートの自由な毎日に喜びでいっぱいだった。

本来のパーソナリティであるテキトーな性格も「なぜそれをするのか?」、「その根拠は?」、「前提は?」、「ターゲットは?」・・・と論理的に詰められる毎日から解放されたことで少しずつ取り戻していった。

しかしそんな喜びに満ちた生活はすぐに色あせていった。


ニートは平日が怖い

数ヶ月が経った頃、毎日何もせずに家にいると今度は仕事をしていない自分にひどく劣等感を感じるようになった。

当時は実家にいたので、両親と朝から晩まで同じ空間で生活をしていた。

しだいに「こいついつまでダラダラしてるつもりだ?」と思われてるんじゃないかと疑心暗鬼になり始め、台所やトイレにはなるべく誰もいない時間帯や夜中に行くようになり始めた。

廊下ですれ違ってしまう時など、実の親に対する態度とは思えないほど恐縮して道を譲ったのを覚えている。まるでサラリーマン金太郎で役員が乗るエレベーターから降りるヤマト建設の社員のような心境である。

なお、ニート経験者として言えるが、ニートが一番つらいのは言わずもがな平日の日中で、ニートが最も心穏やかに暮らせるのが土日と祝日である。

なぜならその日だけは、ニートの自分と会社員の違いがなくなる、まさにゴールデンタイムだからだ。

土日の昼だけは、窓の外で遊んでいる子どもたちを微笑ましく眺めるだけの心的余裕があったのを今でも覚えている。


そしてカメラマンを目指す・・・が。

そんな何もすることがない生活もどんどん苦しくなってきた。

また、サラリーマン時代からずっと「何もできない自分」に対して劣等感を抱いていて、なにか自分のスキルを身に付けないと、このままずっと仕事に自信を持てないと感じていた。

そんなときに思いついたのが、カメラマンになることである。

世界中のいろんな場所に行き、世界の写真を撮ることで、なんか自由だしかっこいいし、いい感じじゃなーい!?と思ったのである。

短絡的だが、エネルギーを持て余していた自分にとって、それを注ぐ何かを見つけたのは大きな一歩だった。


唯一の問題は、私が全く写真に興味がないことだ。


1ミクロも興味ない。


しかしやらなければ特別なスキルのない自分のままだと言い聞かせ、新宿のヨドバシで当時人気だったK10Dという一眼レフを買って撮り始めた。


別におもしろくなかった。


とにかくインターネットで写真の勉強をし、彼女と散歩に行きつつ身の回りの写真を撮ってブログに上げた。

当時撮った写真の一部がこれらだ。

当時の葛藤が思い出される。


「いい写真ですね」なんてコメントが付くと、自分の行動に反響があったことが素直にうれしかった。しかし、それでも写真を撮ることに人生を懸けれるとは思えなかった。

そもそも写真が好きではないし(当時は好きだと思い込もうとしていたが)、「誰が取ってもそこそこ一緒なのでは?」という思いが拭えなかったのだ。

もちろんそんな事はないのだろうが、写真に対する愛もセンスもない自分には分からなかった。


とりあえずアメリカに行っちゃえば何とかなるさ!

なんとか自分だけのスキルを身に付けようと頑張って写真を撮ったが、やはり撮っても撮っても気持ちは晴れなかった。

しかし、「自分だけの力を身に付けたい」という思いと、若さゆえに有り余ってるエネルギーはすごく、ただその思いとエネルギーを注ぎ込む対象が自分にとっては写真じゃないことも何となく気付いており、

他に何につぎ込めばいいのか心底わからず、行き場のないエネルギーで悶々として彼女の家で寝ながら泣いたときもあった。

それから数ヶ月悶々とした後、ある決心をした。

もうこれはアメリカに行っちゃおう!というものである。

これはサラリーマン時代から思っていたことなのだが、とりあえずアメリカに行ってみたい!別になにかしたいわけじゃないけどアメリカに行きたい!というよくわからない願望だ。

「アメリカに行きたい」というと「何をしに行くの?」「目的は?」なんてよく聞かれた。

しかし当時の私は前述のとおり会社での経験から「目的」などのキーワードにすさまじい拒絶感を持っていたので、そういった論理的な問いに対する反発として「うるせぇ!行きたいから行くんだ!ドン!」みたいなことがしたかったんだろうと思われます、はい。

まぁカメラマンになりたいなんて(表面上は)思っているわけだし、アメリカのいろんなものを写真に撮ったらそこから展開があるんじゃないかなんて期待したり、

もしくは写真以外で何が自分の道を見つけられたらいいななんて思ったりしていたわけであります。

そんなわけでアメリカに行こう、すぐに行こう!と勢いだけは盛んな若者はついに無茶の第一歩を歩き始めた。


渡航の準備をして、いざアメリカへ

アメリカの土地勘どころか英語力さえゼロに等しかったが、彼女が高校時代にアメリカで1年の留学経験があったので渡航の準備は大体、というか100%ぜんぶ彼女にやってもらった。

ちなみに彼女は留学したとき、150人ほどが同じくアメリカに行ったらしいが、皆もれなくサンフランシスコやロサンゼルスといった都市圏が留学先だったにも関わらず1人だけニューメキシコのギャロップ(砂漠だらけのこういう所)に飛ばされた猛者なので、いろいろ頼りになる。

留学当初、英語が分からずホストファミリーの言うことに「イエス、イエス」とだけ言ってたら次の日ガチなロッククライミングをやらされたという逸話も持つ。

なお、留学していた1年のうち半分はホストファミリーであるインディアンの家で子守と家事だけをやらされていたらしい。

そんな歴戦の勇者である彼女に用意をしてもらい、いざアメリカへ行く準備が整った。

整ったといっても、パスポート、旅行券、少しの衣類、一眼レフ、三脚、ノートPC、そして地球の歩き方(本)をリュックに詰め込んだだけだ。

英語や地理的なことや、その他のことは一切用意していない。地球の歩き方もまだ開いてすらいない。

アメリカではこんなことをしちゃダメ!とかここが危険!とかも全くしらない。

本当にだいじょうぶだろうか。

ちなみにアメリカ経験の豊富な彼女だが、ヤバいくらい楽観主義者で彼女のいう「100%だいじょうぶ!」は、だいたい世間一般での3%くらいだ。

そんな彼女の「渡米当日のモーテルだけは取っておいた方がいいと思う!」という助言に従い、ロサンゼルス近郊のモーテルを2日間だけ予約してもらった。

ちなみにその後はユースホステルという知らない人と同室で寝る格安の宿泊施設に泊まるつもりだ。もちろん場所は調べていない。

決めていることは3つだけ。なるべくお金は使わないことと、3ヶ月間いなくてはいけないこと、そして西から東に行くこと。(帰りのチケットは3ヶ月後のニューヨーク空港発で取っているため)

さぁ、あとは行くだけだ!

なお、両親は成田空港へ向かう当日の朝まで「一体何しに行くの・・・?」と言っていた。もっともだと思う。

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