見出し画像

「元旦の午後」は間違った日本語なのか? (承前)

前回の記事で図版研が架蔵する明治大正期の漢和辞典や国語辞典をいくつか眺めてみて、「元旦」の語釈が「元日」なのかそれとも「元日の朝」なのかについて、前者つまり字書はどうも明治の途中あたりから混乱しだしているらしいこと、後者すなわち辞書ではいずれも「元日と同じ」とされているらしいことがおぼろげながらみえてきた。

そこで今回はまず明治期の、類語辞典漢語辞典・漢詩便覧の類い、そして玉篇や康煕字典・節用集の流れを汲む古いタイプの辞書を引っ張り出して、「元旦」や「」字の扱いがどうなっているのかをみてみることにしよう。

類が混乱を呼ぶ明治の類語辞典

まず書架から取り出したのは類語辞典

津村淸史『同意語二十萬辭典』(明治四十三年四版 北隆館出版部)

明治四十三年(1910年)、初版刊行の翌月に早くも四版を出している津村淸史『同意語二十萬辭典』

津村淸史『同意語二十萬辭典』(明治四十三年四版 北隆館出版部)

元旦」は、「ひ(日)」項の日付別のところのに出てくる。

津村淸史『同意語二十萬辭典』(明治四十三年四版 北隆館出版部)
津村淸史『同意語二十萬辭典』(明治四十三年四版 北隆館出版部)

◎[一日]イチジツ(月の始めの日)。○[朔]……つきたち(月立)。いちじつ。ついたち。
△一月——○元日グワンジツ正日シヤウジツ上日ジヤウジツ端日タンジツ靑日セイジツ肇日テウジツ鷄日ケイジツ靈日レイジツ歳日サイジツ一旦イツタン正旦セイタン元旦グワンタン靑旦セイタン朔旦サクタン歳旦サイタン鷄旦ケイタン三朔サンサク元朔グワンサク正朔セイサク端辰タンシン元辰グワンシン肇辰テウシン靈辰レイシン三朝サンテウ正朝セイテウ元朝ゲンテウ歳朝サイテウ年節ネンセツ淑節シユクセツ韶節セウセツ三始サンシ四始シシ獻歳ケンサイ三微サンビ三元サンゲン元三グワンサン初正シヨセイ初歳シヨサイ更始コウシ天中テンチユウ歳首サイシユ嘉時カジ天朧テンラフ元晨グワンシン履端リタン雲開節ウンカイセツ天朧節テンラフセツ天中節テンチユウセツ。[古]くわんにち(元日)。みつはじめ(三始)。

津村淸史『同意語二十萬辭典』(明治四十三年四版 北隆館出版部)

も〜、1月1日だけでどんだけあるんだよ、という感じで同意語がぞろぞろ並んでいるのだが、「元旦」は「元日」にはじまるそのヴァリエーションのなかのひとつに過ぎない、というような扱いにみえる。

しかも、「○旦」という語だけでもいくつもあるし、「」「晨/辰」という「」と共通する意味をもつ字がつく語も少なからずあるのだが、にもかかわらずいずれも「一月一日イチジツ」という日にちを指しているのであって、朝に限る、などとはどこにも書かれていない

そこで念のため、「あさ」のところもみてみる。

津村淸史『同意語二十萬辭典』(明治四十三年四版 北隆館出版部)

あさ】(名)(夜明けて後眞晝の前の間)。「あけがた。參看」。[][]日旦ニツタン平旦ヘイタン朝旦テウタン詰旦キツタン明旦メイタン淸旦セイタン晨旦シンタン平明ヘイメイ旦明タンメイ晨明シンメイ今晨コンシン向晨カウシン晨朝シンテウ旦朝タンテウ旦日タンジツ。あした。
……
◎としのはじめの——○歳旦サイタン元旦グワンタン ゲンタン正旦セイタン三朝サンテウ元朝グワンテウ歳朝サイテウ

津村淸史『同意語二十萬辭典』(明治四十三年四版 北隆館出版部)

 お〜い〜。やっぱり両論併記なのか〜い???

しかし別項参照の注意書きがない以上、もしこれを片一方かたっぽしか引かなかったら、「元旦」にもう一方の語釈があることには気づかないだろう。いーのかこんなんで。

「元旦=元日の朝」は出てこない文語辞典

次に、日常語から漢語を引く、という今ではあんまり見かけない種類の辞書。

松平圓次郎+山崎弓束+堀籠美善『俗語辭海』(明治四十二年 集文館)

同意語二十萬辭典』の前年、明治四十二年(1909年)に出た松平圓次郎+山崎弓束+堀籠美善『俗語辭海』

松平圓次郎+山崎弓束+堀籠美善『俗語辭海』(明治四十二年 集文館)

この「俗語」というのは現代の意味とは違って、口語のことを指す。漢語そのものだけでなく、それを使っての話し言葉に対応する文語表現も例示している辞書だから、漢語辞典というよりも文語辞典といった方が適切かもしれない。

元日」が立項されていて、「元旦」はその中に含まれていた。

「ぐわん-じつ」ではなく「がん-じつ」となっているのは、(note第2回目の記事「どうして重量単位「グラム」に「瓦」字を宛てたのか?」でもちょっと触れた)合拗音「ぐゎ」が、すでにこのころ「が」の音にすっかり変わってしまっていることを表わしていそうだ。

松平圓次郎+山崎弓束+堀籠美善『俗語辭海』(明治四十二年 集文館)

【がん-じつ】(元日)(名)正月の一日。新年の初日で三大節の一。
元旦(ガンタン)元辰(ガンシン)元晨(ガンシン)三元(サンゲン)三朝(サンテウ)三微(サンビ)三始(サンシ)歳旦(サイタン)朔旦(サクタン)韶節(セウセツ)叔節(シユクセツ)年節(ネンセツ)鷄日(ケイジツ)靑日(セイジツ)嘉時(カジ)更始(カウシ)

松平圓次郎+山崎弓束+堀籠美善『俗語辭海』(明治四十二年 集文館)

おもいつくところをざっとさらってみたのだが、こちらの辞書では「1月1日の朝」を示す語は立項されていないようだった。

明治十年代以前の「元旦」と「旦」字

二十世紀初頭の辞書では、「元旦」の語釈はやっぱりワケわからんことになっている、というのが改めて確認できたところで、前回みた明治二十年代の『日本大辭林』や『言海』よりももっと古い、明治十年代以前の資料をみてみることにしよう。

明治十六年(1883年)木山鴻吉『鼇頭校正東京玉篇大全』

木島鴻吉『鼇頭校正東京玉篇大全』(明治十七年 松柏堂)

扉のアニリン赤が、如何にも明治初期っぽい色合い。題簽や綴じ糸が赤っぽいのは、虫に喰われないよう旧蔵者によって本の外側全体に柿渋が塗り付けてあるから。

木島鴻吉『鼇頭校正東京玉篇大全』(明治十七年 松柏堂)

」を引いてみると、

木島鴻吉『鼇頭校正東京玉篇大全』(明治十七年 松柏堂)

タン……アシタ ツト アカツキ アキラカ

「明らか(=明るい)」以外は、「」「(=早朝)」「」だ。

明治十三年(1880年)橋爪貫一『訓蒙康煕字典』

橋爪貫一『訓蒙康煕字典』(明治十三年 畏三堂)

布張りの帙に納められた、4冊組の袖珍字書。この小ささと軽さ、やはり携帯用なのだろうとおもう。

橋爪貫一『訓蒙康煕字典』(明治十三年 畏三堂)

」のところに書いてあることは、玉篇も康煕字典もほぼいっしょ。

橋爪貫一『訓蒙康煕字典』(明治十三年 畏三堂)

明治十二年(1879年)岩崎茂實『新選正字通』

総革装の袖珍字書。この革の手触りが実に気持ちいい☆ 残念ながら、扉は破り取られている。

岩崎茂實『新選正字通』(明治十二年 鹿野至良)

これも書いてあることは一緒だが、熟語が4つ載っている。「元旦」はなかったけれども。

岩崎茂實『新選正字通』(明治十二年 鹿野至良)

明治十一年(1878年)の、竹原煕『袖珍新譯大全正字通』

竹原煕『袖珍新譯大全正字通』(明治十一年 柏悦堂)

これもひとつ前☝のと同じく、手触りのよい総革装の袖珍字書。当時はこういうのが流行ったらしい。扉の細密銅版画がまたステキ♥

竹原煕『袖珍新譯大全正字通』(明治十一年 柏悦堂)

前の3つの字書☝と違って「アキラカ」はないが、「明也朝也曉也」と『說文』から、そして「正月朔—」と『書經』からの引用が添えてある。

竹原煕『袖珍新譯大全正字通』(明治十一年 柏悦堂)

ひとつ前☝の字書もそうだが、☟こんな風に、巻頭に「引用書目」の略号一覧があるので、どこから引っ張ってきた用例なのかがわかる

竹原煕『袖珍新譯大全正字通』(明治十一年 柏悦堂)

☝と同じく明治十一年に出た、竹岡友仙『新撰幼學便覽』

竹岡友仙『新撰幼學便覽』(明治十一年 林芳兵衛)

この手の漢語便覧は、漢詩を作るときに適切な漢語を択ぶのに使われる、歳時記のような本。

竹岡友仙『新撰幼學便覽』(明治十一年 林芳兵衛)

……元日グハンジツ 一月一日 元且グハンタン  歳且サイタン 同上 改且カイタン 同上 蓂朔メイサク 同上 タン 同上 三 年ノ初 月ノ初 日ノ初 三ゲン 同上 三テウ 同上……(引用者註:「且」は誤字ではなく、「旦」の異体字……と解釈すべきなのだろう、多分w)

竹岡友仙『新撰幼學便覽』(明治十一年 林芳兵衛)

ここでは「元旦」は「一月一日」と同じ、となっている(すぐ下が空欄になっているが、その次の「歳旦」に「同上」と添えてあるからにはここも「同上」と解釈しないとおかしなことになる)。

これくらい古い時期の辞書になると、「元旦」が載っていない、というものがだんだん増えてくるようにおもう。漢語字引の類いなど、そもそも「」字ではじまる語がほとんど出てこなかったりするし、節用集にも「元旦」が載っている例は少ない気がする。

明治四年(1871年)の、編者不詳『大全正字通』

編者不詳『大全正字通』(明治四年再刻 綿屋喜兵衛+敦賀屋彦七+河内屋茂兵衛+敦賀屋為七+河内屋太助+伊丹屋善兵衛+象牙屋治兵衛+豊田屋卯右エ門)

早稲田大学図書館ご所蔵の、享和二年(1802年)刊『大成正字通

の改題後刷り本らしい。どうしてわざわざ「大全」に変えられたのかわからないけれども。

編者不詳『大全正字通』(明治四年再刻 綿屋喜兵衛+敦賀屋彦七+河内屋茂兵衛+敦賀屋為七+河内屋太助+伊丹屋善兵衛+象牙屋治兵衛+豊田屋卯右エ門)

元日ぐわんじつ 元日ヒノハジメ 三朝ミツノアシタサンテウ、鷄且ケイタン、元且グワンタン 三始サン シ、首祚メデタキハジメシユ ソ、履端ハジメヲサダムリ タン(引用者註:「且」は「旦」の異体字とみなしておく)

編者不詳『大全正字通』(明治四年再刻 綿屋喜兵衛+敦賀屋彦七+河内屋茂兵衛+敦賀屋為七+河内屋太助+伊丹屋善兵衛+象牙屋治兵衛+豊田屋卯右エ門)

どうやら、明治になるよりも前から「元旦=元日」という語釈はなされていたようだ。

「元旦」が載っていない一例として、虫喰いだらけの表紙の仮名遣い辞書

賀茂季鷹+鶴峯戊申+鶯亭梅彦『増補正誤假名遣』(弘化四年 金華堂)

丁未」って巻頭「凡例」に書いてあるけれども、明治四十年じゃなくて弘化四年(1847年)らしいww そして書かれたのはさらに古く、十八世紀のようだ。

賀茂季鷹+鶴峯戊申+鶯亭梅彦『増補正誤假名遣』(弘化四年 金華堂)
賀茂季鷹+鶴峯戊申+鶯亭梅彦『増補正誤假名遣』(弘化四年 金華堂)

載っているとすれば「くの部五言」の「名」のところに「元旦」があるはずだけれども、「ぐわんざん 元三」しか出てこない。

元旦」が山ほどある「元日」同意語のひとつに過ぎないのだとすれば、出てこない辞書が多くても不思議はない、といえなくもないけれども……。

結局、明治のはじめくらいまで字書や辞書をさかのぼってみても、やっぱりイマイチ「元旦=元日」か「元旦=元日の朝」かよくわからなかったな〜、それにしても、どうして漢和字書系と国語辞書系とで語釈が割れているんだろう??? などと考えているところへ、前回の記事をご覧になった件の日本語研究者氏からメールが着信した。その中に、

元旦は、中国古典ですでに両方の用例があるようです。

と書かれていた。

むむ〜、これはやはり、「元旦」という漢語の「製造元」をたどらねばダメかしらん……。

ってことで、今回でこのテーマは片付けるつもりだったのが、また次回に続くことになってしまったのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?