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40歳、初めての転職、キャリアチェンジ。Vol.1

40歳という節目を挟んで、自分の人生が大きく変わりました。それは転職です。今や転職は特別なことではなくなってきていますが、この歳まで同じ会社で勤めて、初めて転職・キャリアチェンジをするということは、私にとっては人生の大きな区切りであり決断でした。


とはいえ、偶然でもあり必然でもあったこの人生のイベントを経て、その過程で考えたこと、感じたことを記憶が褪せる前に記録しておきたいと思います。


予め申し添えると、今回は転職ノウハウ・成功談(転職先の探し方・選び方、書類・面接対策等)といった内容はメインにしておらず、あくまで転職のプロセスにおける頭や心の内面をまとめたものになっています。


①現職の振り返り

新卒で銀行に入行し、法人営業を3年経験した後、ファイナンスの専門分野(ストラクチャードファイナンス)の世界に足を踏み入れて、国内外でキャリアを積みました。異動の希望も叶えてもらい、順調に昇格・昇給もさせてもらい、途中出産・育児のための休職もさせてもらい、復職後は育児・家庭事情にも配慮してもらい、(自分で言うのも何ですが)傍から見れば順風満帆な銀行員キャリアを歩ませてもらっていたと思います。


それなのに、なぜか心のどこかに常にモヤモヤを抱えていました。それが何なのかずっと分からず、多忙な業務の中、モヤモヤに蓋をして、とにかく目の前の仕事に一生懸命取り組み続けました。その傍ら、転職サイトには登録をして情報収集したり、たまに気になったポジションだけ応募してみたりしていましたが、動機も身の丈も不十分で上手くいく訳がありませんでした。


もっと早くそのモヤモヤに気づいて、もっと早く転職をしていたら良かったのでは。そう思うのはもっともなのですが、恵まれた仕事環境を手放せるほどの勇気が無かったんだと思います。また、結婚、妊活・妊娠、出産・育児などのライフイベントもあり、特に30代は仕事だけを優先して考えることができず、転職を踏み出せない部分もありました。でも、その恵まれた仕事環境というのは、昇格・昇給や福利厚生といった外的な部分で恵まれていたのですが、自分自身の内面までが満たされていた訳ではありませんでした。


②転職を考えたきっかけ

1.40歳という節目

一番のきっかけは何か、それは年齢です。40歳=キャリア折り返し地点と捉えた私は、こんなモヤモヤした状態でこれから先、20年ないし30年を過ごすことを考えた時に、答えははっきりしていました。「絶対No」だと。


また、銀行特有の事情だと思いますが、今なお銀行は50歳過ぎたら役職定年を迎えます。銀行キャリアはどんなに頑張ってもあと10年程(今後変わるかもしれませんが)。銀行リタイヤ後にも続くキャリア人生を考えた時に、銀行キャリアを前提に考える必要はないなと思えました。役職定年なんて昔から分かっていた話ですが、40歳を迎えて、より現実的なものとして捉えた時に、銀行キャリアに捉われず、自分自身のキャリアを見直す必要性を感じました。


2.復職から1年という節目

復職をしてからの1年間、波はあるものの、かなり仕事が忙しい状態が続きました。忙しい時期は夕食を済ませた後や寝かしつけ後に在宅で仕事をして、深夜・早朝に働くことも多々ありました。幸い、夫が育児にかなり協力的であり何とか回っていましたが、果たしてこの働き方はサステナブルなのかとだんだん疑問を持つようになりました。


一方、特にマネジメント層は残業前提の仕事スタイルが常態化しています。色々な要因があると思いますが、そもそも会社全体が残業前提の課業配分になっているので、自分が業務時間を制約すると、誰かにシワ寄せがいきます。今は子供が小さいので、周囲も配慮してくれていますが、子供が大きくなって時間に余裕が出来れば、その時間は仕事に費やす必要があります。


休職前は残業前提で働くことに何も違和感がありませんでした。むしろ、仕事の経験値を上げるためには残業は厭わないスタイルでした。しかし、出産を経て復職してから価値観が大きく変わりました。子供が親と一緒に過ごしたいと思う期間はきっと10歳位まで、それまでは子供との時間を優先したいと思うようになり、その時間を削ってまで働くことに辛さを感じるようになりました。


「残業なしの働き方・マネジメントスタイルを作ろう」と思った時期もありましたが、残業に対する考え方も人によって様々で、それはそれで押しつけがましい自己満足なのではとも思いました。仕事や育児、プライベートへの時間配分に対する価値観は人それぞれで、これが正しいというものは無いと思います。私は、仕事のやりがいと育児やプライベートの時間の両方を得られる環境こそ、サステナブルな働き方が可能だと思うに至りました。


3.「人生は有限」という気づき

復職直前に突発性難聴になり、左耳が全く聞こえなくなり、ひどい眩暈に襲われました。2週間の入院後も回復せず、その後高圧酸素療法や鍼灸により何とか仕事や日常生活に支障が出ない程度までには回復しましたが、未だに砂嵐のような耳鳴りがあって聞こえづらかったり、稀に眩暈があります。命に別状はないものの、五体満足な体が当たり前のものではなく、人生は何が起こるか分からない、そして「人生は有限」と悟りました。


会社の先輩たちが30代後半から40代になって体に不調を抱える姿を幾つも見てきました。時には命に関わるような事態になる場面もありました。また、身近な人の不幸も経験し、自分自身が40歳になり歳を重ねるにつれて、「人生は有限」ということがよりリアルに感じられるようになりました。「今人生が終わったら後悔する」「まだまだ人生をここで終わらせたくない」。そう感じるようになりました。


(Vol.2に続く)



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