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僕はバランスをとらなくちゃいけない

いつも「バランス」を気にしてきた。

それが正しく、賢い生き方だと信じてもきた。

人とコミュニケーションするときに、注意して、いつも言葉を選ぶ。それによって、こういう場合はこういう風に言うのが無難なんだな、という学びを蓄積していくことができる。次第に、ただ無難なだけではなく、個性やユーモアの出し方、小手先の変化の出し方も身につけていく。
そういう風に今まで世間を上手に楽しく生き抜いてきたという自負がある。

だけどこれまで、そのやり方がいまいち通用しない場面や、まず使わせてももらえないような場面に何回か直面してきた。(中学を卒業したくらいからじわじわとそれは増えてったと思う。逆に言えば中学まではほぼ100%そのやり方が通用した。)

バランスをとって周りに合わせる、という思考態度は、一度その場の均衡状態を把握することができれば非常にラクな生存戦略である。ただそれにはある程度長い時間を要するし、ちがう場にいけば全く通用しないことがあることに気づいた。さらには、そのやり方ではいつまでたっても突き抜けることはできない。僕はいつしか、バランスなどはまるで関係なしに独自のやり方で突き抜けて、結果的にその場の均衡状態に影響を与えてしまうようなブレない”軸”や”その人らしさ”のある人間に強く憧れていた。

だけどやはり、一歩踏み込む勇気だとか、自信みたいなものは、あいかわらず掴めずにいた。

そんな日々の中で。
いつものようにバランスをとってその場を切り抜けようとするとき、人から自分の意図しないタイミングで「やっぱおまえ変わってるな」などと言われることが何回かあった。だけどそれは、バカにしてると軽蔑してるような言い方ではなく、むしろ僕の個性みたいなものに対してかわいげを感じてくれているような言い方だった。だから僕はそんなことを言われてまんざらでもなくて、それによって自分が肯定されたような気さえした。

そして最近。
そんな、自分では変わってるとはおもってないけどつい人から「変わってる」と言われちゃうような部分。そこに、いままでずっと欲しかった”自分”が隠れているのでは、とふと思い至った。

どうすればその”自分”の影を表の世界に引っ張り出すことができるのか。

思い返してみると、僕がそういう「変わってる」と人から言われちゃうようなときは、そこでそれを言っても「バランスが崩れない」と直感したときである。もしくは、それを言うことで、心地いい具合にその場のバランスを崩して新しい変化を得たり、注目を得ることができると判断したときである。つまり、僕の行動原理はまだずっと「バランス」ありきで成り立っているのだった。

きっとこの思考態度は、なかなか変えられるものではない。実を言うと、このバランス感覚を自分の武器として誇りに思っている自分にもなんとなく気がついている。

だとすれば、この”癖”を逆手にとって、新しい自分の姿を表出させればいいのではないか。つまり、いつもとはちがう均衡状態に自分を置き、いつものようにバランスに配慮した思考・行動をすることよって、いつもとはちがう「変わってる」自分が現れるという作戦である。

旅に出ることこそ、いつもとはちがう均衡状態に自分を置くことではないか。

バイトの帰り道、原付に乗っていつもとはちがう道を走ってみたときに、そう思ったのである。いつもとはちがう景色、いつもとはちがう風、いつもとはちがう人々の中に身を置いていたら、僕は、”空気を読むことで空気を読まない”ということができるようになるかもしれない、と。

ブレない強い軸がなくてもいい。
自分らしさやエゴがなくてもいい。
だけどすこしだけでも、どこかのだれかの均衡状態に影響を与えることができたらうれしい。
そのために常に新しい自分を探求したい。
そしてそのために旅に出てみようと思った。


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