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美は世界を救う | ドストエフスキー「白痴」第三編を読む(備忘録)。


 ドストエフスキーの長編小説「白痴」。「無条件に美しい人間」を現代において創造しようとしたドストエフスキーの悲願の結晶であった、と言われている。

私の蔵書
ドストエフスキー
木村浩[訳]
「白痴」
新潮文庫

 いろいろな論点のある作品だが、この記事では、「白痴」の「第三編」を取り上げる。とくに深い理由はないが、「美は世界を救う」という名言や、「イポリートの弁明」など、白痴を読み解く上で、第三編が非常に重要に思えるからである。あらすじについては触れない。ただ読んでいて、気になったことを書く。 テキストは、ドストエフスキー(木村浩[訳])「白痴(下)」(新潮文庫)を用いる。

(1)「太陽」が何度も登場すること

 ドストエフスキーを読んでいるとよくあることだが、何かを暗示しているんだろうなぁ、と思いつつ、結局はっきりとはわからないことがある。
 「白痴」第三編には、何度も「太陽」が登場する。

第三編で見つけた「太陽」

しかし、彼女の母親らしい胸にも太陽が上ろうとしていた。(前掲書[下]p12)

ところが、さきに述べたごとく、さしのぼった太陽は一瞬、すべてのものを明るく照らし柔らげるかのように見えた。(p35)

太陽がのぼって、大空に『鳴りそめ』たら(この『大空に太陽は鳴りそめ』って詩句は誰が書いたものでしたっけ。)
(p94)

「え、もうみんなは帰るんですか?おしまいなんですか?すっかりおしまいになったんですか?太陽は昇りましたか?」
(P112)

「太陽がちょっと顔をみせたら、ぼくはすぐに床につきますよ。公爵、ぼくは言ったとおりにしますから、見ててください!」(p116)

あるいはぼくのことを『日の出』なんかに文章を投稿している中学の下級生と見なすかもしれない。(p137)

それは五月はじめの明るい夕べだった。巨大な日輪の玉がまさに入江に沈もうとしていた。(p152)

ぼくがそのへんを読み進む時分には、もうきっと太陽が昇って、『大空に鳴りわたり』、偉大な量り知れない力が太陽のもと全世界にみなぎることだろう。 
(p173)

「太陽が昇ったぞ!」彼はきらきらと輝く木立ちの頂きに眼をとめ、まるで奇蹟ででもあるかのように公爵に指さして示しながら、叫んだ。(p174)

(2)第三編に見出しをつけてみた

第三編は、1から10のパートに分かれている。タイトルがついていないので、私が書いたものを掲げておく。

ドストエフスキーの「実務的人物」についての叙述。リザヴェータ夫人の悩み。エヴゲーニー・パーヴロヴィチの「ロシアの自由主義の本質」。

停車場での出来事。ナスターシャとロゴージン登場。

アグラーヤとムイシュキンが「決闘」について会話。エパンチン将軍、ムイシュキンとエパンチン家のことについて話す。ケルレルあはわれる。

ムイシュキン宅にて。ムイシュキンの誕生日。「黙示録」と「鉄道」。数世紀前のアネクドート(レーベジェフ)。

世界を救うものは『美』。「イポリートの手記」``わが必要欠くべからざる弁明''

「イポリートの弁明」のつづき。

イポリート、「弁明」を読み終える。ピストル自殺を図るが不発。

アグラーヤとムイシュキンの会話。アグラーヤ、「あの女」からの手紙について話す。

ムイシュキン、リザヴェータ夫人の家へ。9時、自宅へ帰る。レーベジェフ、400ルーブル紛失。

10

ナスターシャからの三通の手紙。夢について。

(3)第三編「私家版名言集」

発明家とか天才とか言われる人びとは、世に出はじめたころは、ほとんど例外なく(またその大多数は晩年に至るまでも)、世間からはばかとしか見られなかったものである。(前掲書p7)

もしかりに誰かの鼻の上か額の真ん中にいぼがあるとすれば、たとえその人がアメリカを発見しようとも、当人にとってはみなが自分のいぼを見て笑うのを唯一無二の仕事にして、このいぼのために人が自分を非難するような気がするものなのである。(p10)

しかし、ロシアの文学もわたしの考えでは、ロモノーソフとプーシキンとゴーゴリを除けば、みんなロシア的じゃありませんね。(p22)

地上の楽園なんてそう簡単に得られるものじゃありませんよ。(p35)

ひとり鉄道ばかりが<<生命の源>>を濁すものじゃありません。そういったものをみんなひっくるめて呪うべきなんです。
(p97) 

自己保存の法則と自己破滅の法則は、人類社会において同じように強い力を持っているんですからね!悪魔もそれと同じような力で人類を支配していくのです。(p100)

世界を救うものは『美』(p113)

人が自分の種子を、自分の<<慈善>>を、自分の善行を、たとえそれがどんな形式であろうと、他人に投げ与えることは、自分の人格の一部を与え、相手の人格の一部を受け入れることになるのさ。
(p155)

両極端は一致する。(p158)

肝心なことは単に思想のなかにばかりあるんじゃなくて、全体の構成にあるんですよ!(p224)

人間は夢の愚かしさを笑いながら、それと同時に、こうした愚かしさの錯綜したところに、何かしら一つの思想が、それもすでに現実のものとなって、自分の生活に即し、自分の心の中につねに潜んできた一つの思想が、含まれているような気がするものである。(p248)

しょせん、完全というものは愛されるはずのものではございません。完全というものはただ完全としてながめるものでございます。(p250)

愛は人間を平等にする。(p250)

天使というものは人を憎むことができないものでございますし、また人を愛さずにはいられないものでございます。いったいすべての人間を、すべての同胞を愛することができるものでございましょうか?わたしはこうした問いをよく自分の心に問うてみたものでございます。もちろん、それはできない相談ですが、むしろ不自然と言ってもよいくらいでございましょう。抽象的に人類を愛するということは、ほとんど例外なく自分ひとりを愛することになるのでございます。
(p252)

まとめ

「白痴」を1枚の絵にすると、こんな感じだろうか?

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