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エッセイ&読書感想文🎠三浦哲郎「メリー・ゴー・ラウンド」

 最近は暖かくなってきたこともあり、外へ出たくなる日が多くなってきた。
 冬は寒いから部屋の中で、春は暖かいから外へ。季節によって、多少生活パターンが変わるのと同じで、季節によって、読む本の種類が変わることが多い。

 冬場は長編小説のように、読むのに時間がかかるものを読む場合が多いが、春から夏にかけては、短編小説や箴言集のように、比較的短い時間で読めるものを自然と好んで読むようになる。

 高校生の頃に、国語の模擬テストで、同じ作者の「忍ぶ川」が出題されたことがあった。試験問題を読んで感動することはあまりないが、三浦哲郎は例外だった。

 最近、三浦哲郎「盆土産と十七の短編」(中公文庫)を再読した。この短編集には、かつてセンター試験で出題されたことがある「メリー・ゴー・ラウンド」がおさめられている。

 「メリー・ゴー・ラウンド」は文庫本で、20ページくらいの短編である。主な登場人物は、父と娘の二人だけ。妻を事故で亡くした父親が、無理心中を図ろうとする物語である。

 「無理心中」という言葉は、一度も出てこないが、何度も、明らかに死を連想させるような描写が出てくる。
 父親は、娘の人生最後の思い出作りとして、娘に新品の服や靴を買ってあげたり、遊園地やレストランにつれていったりする。父親の行動にはすべて悲愴感が漂っている。
 それに対して、娘のチサは、無邪気に喜んでいる。

 最後の場面を読むと、どうやら父親は、その日予定していた「無理心中」を断念したようなのだが、物語はそこで終わっている。

 二人とも死なないまま、物語が終わっているから「ハッピーエンド」なのかもしれないが、父親の描写から、積極的に生きよう、という意志をハッキリと読みとることができなかった。もしかしたら、また今後、変な気を起こすかもしれない、というような感じがした。

 この文庫本の「メリー・ゴー・ラウンド」の後には、「一尾の鮎」というエッセイが入っているが、その中で三浦は次のように書いている。

「長篇小説は、ところどころにわざと粗くて退屈な部分を挟むのがコツだと教えてくれた人がいる。つまり、あそびで、それが読者の息抜きになり、作品の風通しをよくする窓にもなるのだという。なるほどと思うが、私にはやはりあそびが書けない。短篇小説にあそびなどないからである。だから、私の連載物を本にすれば、おなじ密度のページが延々とつづいて読者に息苦しい思いをさせることになる」

 たしかに三浦哲郎の短篇小説には、あそびがない。どの文章も、何らかの伏線が張り巡らされている。しかし、私は、この著者のあそびがない文章がとても好きだ。
 

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