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「花」とはなにか?

 「あの人には花がある」という言い回しがある。

 「あの人には花があるね」と聞くと、「そうだね」と答える。そういう時、相手の言葉に対して、私も同じように感じているから「そうだね」と答えるわけだが、「じゃあ、『花』って何だろう?」と改めて考えてみると答えが思いつかない。

 『』を別の言葉で置き換えようとするならば、「存在感」という言葉を思い浮かべる。しかし、タモリさんのことを思い浮かべると「待てよ」と思う。

 私は「タモリさんには花がある」と思っている。そして、タモリさんには存在感があるということにも疑いの余地はない。タモリさんにはいろいろな顔があるが、司会者としてのタモリさんには「花がある」があるが、その存在感は極めて薄い。

 たとえばミュージック・ステーション(Mステ)。タモリさんが登場すると「あ、タモリさんだ」とは思うが、その存在感は薄い。基本的にライブだが、東京ドームや武道館でおこなわれるようなライブとは異なる。Mステというテレビ番組で歌う時とアーティスト自身が大勢のファンに囲まれて歌う時とは、雰囲気はまるで違うだろう。目の前にファンが大勢いる前で歌うと直接的に一体感を持ちやすいが、歌番組のライブではそれに比べると少数の人の前で歌うことになるから、熱狂を肌で感じることは少ないだろう。それを思うと、アーティストは普段以上に歌いにくい雰囲気の中で歌っているということは容易に想像できる。

 このようなアーティストの心理を理解しているから、Mステのタモリさんは、トークの時、アーティストが動揺するようなセンシティブなことを尋ねることはない。ただでさえ、いつもとはかっての違う雰囲気の中にいるアーティストに対して、更なる緊張感をあたえるようなことはしない。タモリさんはアーティストの緊張感をほぐすことだけを考えて司会しているように見える。

 思い返してみると、Mステに限らず、「世にも奇妙な物語」でも「笑っていいとも!」のテレフォン・ショッキングでも、タモリさんには「花」はあるが、存在感を強く感じたということはない。私の印象では、相手の魅力を引き出すことに全意識を集中しているように思えるのだ。

 花というものは、自ら自分の美しさを誇ったりしない。ただ咲いているだけだ。しかし、花を見る人に一瞬で幸福感を持たせるものである。タモリさんは、自分が美しい・面白いと思ったことをただ表現しているだけで、それを見る人に自分をアピールすることはない。タモリさんを見た人は「なんか面白そう」と思ったり、それについて話したりするだけだ。

 それにしても結局「花」ってなんなんだろう?





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