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エッセイ&読書 | 書店の減少 | キャサリン・サムソン著「東京に暮す」

 書店の減少がつづいている。人口減少やインターネットの普及が原因だと言われている。
 私の住む町の書店は、もう何年も前から閉店が相次いでいた。しかし、東京に所在する、いわゆる大型書店も例外ではないようだ。


 私が学生だった頃は、一般書だけでなく、コミック本も立ち読みすることができた。今では新古書店を除き、コミック本は、ほとんど立ち読みできない。著作権に関することや、立ち読みによる商品の汚れなどが、その原因なのだろう。

 海外の書店のことは知らないが、日本では、購入前に、今でも一般書の中身をたいていの場合、確認することができる。世界的に見れば、それほど一般的なことではないのかもしれない。


 時代が変化していくことは致し方ない。しかし、本屋でゆっくりとさまざまな本を実際に手にとって読む機会が減っていくことには、一抹の寂しさを感じる。大袈裟かもしれないが、「立ち読み」という日本の文化が失われていくようで、悲しい気持ちになる。


 そんなことを考えていたら、ふと、以前に読んだ、キャサリン・サムソン(著)「東京に暮す」(岩波文庫)の一節を思い出した。
 キャサリン・サムソン(1883--1981)は、外交官の夫であるジョージ・サムソンの赴任に伴って来日した。昭和初期(1928--1936)の日本滞在期間の東京の街の様子をいきいきと描いている。少し引用してみたい。

本屋をのぞくのは外国人にはとても面白い経験です。日本では買うつもりもないのに商品をよく眺めて手で触ったりすることが平気で行なわれてますが、本屋も例外ではありません。本屋では男の子や女の子が鈴なりになって少年少女向けの本を読んでいます。その後ろでは大人たちが大人向けの本に夢中になっています。大学の周辺には本屋や古本屋が多く、学生たちが本に読み耽っています。顔を上げている人など一人もいません。私が突然馬鹿なこと、例えば逆立ちをしたとしても、本に夢中になっている人たちは身動き一つせず、一瞬目を上げるだけで、また元のように本を読み続けることでしょう。こんな国はおそらく日本だけです。国民の活字熱と、立ち読みを許す寛大な本屋との両方がないと見られない現象ですから。本屋も立ち読みを禁止すると本が売れなくなることを知っています。冷酷な親爺が立ち読みを禁止すると客は来なくなります。六、七歳の幼児も、紺の制服姿の小学生も、中学生も高校生も、背中におぶった赤ん坊が目を醒まさないように体を揺すりながら雑誌を読む娘たちも、大学生も、日本の本屋の寛大さを当り前だと思っている他の立ち読み客も、みんなこの本屋には来なくなります。小さな本屋の経営がどうやって成り立っているのかは全く不思議です。

(キャサリン・サムソン著 | 大久保美春[訳]『東京に暮す』、岩波文庫、57ページより)


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