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noteを開く時の気持ち



書くとき


 noteを開いて記事を書くとき、私は私であって私ではない。
 本名の私からアカウント名になると、気分は多少変化するものだ。

 ウソを書いているわけではないのだが、普段の語り口とはやはり違ったものになる。

 普段の素の私のままで書けるときは少ない。

 悲しいときほどふざけたことを書きたくなるし、気分が安定しているときじゃなきゃ、暗い話は書けない。それで気持ちのバランスをとる、みたいな感じもある。

 怒りをぶちまけたような記事を書くこともあるが、それほど怒ってはおらず、「しゃあないな」と思いながら書く。書くことで、心の中からイヤな気持ちを追い出したいだけ。なにか大きく変わるとも思ってはいない。

 分かってくれる人が一人でもいればそれでいいんだよ、って。
 どんなにたくさんの人に読まれたって、なんとも思わない人ならどうでもいい。

 人数よりも、どれだけ深くひとりひとりの人にきちんと受け止めてもらえるかのほうが大切だから。  


読むとき


 自分の記事を書く時と、人の記事を読む時の気持ちは異なる。書く楽しみと読む楽しみは違う。

 どうなんだろう?
 「読み専」の人も中にはいるが、noteをやる人は、noteの記事を読みたい!という人より、noteに記事を書きたい!っていう人のほうが多いんじゃない?

 でも、他の人の作品を読まないと自分の記事が読まれないから読んでるっていう時もある。あるいは、自分が同じテーマで書くとしたら、どのように書くかということを考えながら読んでる時もある。

 どれだけ純粋にこの人の記事を読みたくて読んでいるんだろう?、って考える時もある。

 同じ人でも、その人のエッセイは読みたくて読むが、小説にはあまり興味がないとか、その逆に、あの人のエッセイはあまり好きじゃないけど、あの人の小説は好きだ、ということもある。
 申し訳ないけど、そんなふうに思うことも多々ある。

 だから、翻って私の記事だって、語学系は読むけどそれ以外には興味がない人もいるだろうし、私の短歌・俳句だけしか読みに来ない人もいることを嘆く必要もない。お互い様と言えばお互い様だ。


 だから、というわけじゃないが、読まれなくても気にしない。読まなくても気にしない。
 書きたいことを書いているときが、いちばんいいんだって、割りきることも必要かもしれない。ひとりよがりは良くないが、たまには独りよがりなことを書くのも悪くない。


最近、暗黙のルールが増えたような


 誰かのために始めたnoteではないから、自分が息苦しさを感じたら、自分の好きなように書いてみるって大切じゃないかな?

 noteをしていれば、仲間みたいな人も出来る。それは悪くない。けれども、限られた人の中のルールや評価しか耳に入らなくなって、息苦しさを感じたなら、もう一度ひとりで羽ばたく練習をすることを考えてもいい。


#エッセイ
#noteのつづけ方
#noteの書き方
#noteを開く時の気持ち

 

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