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エッセイ | モノマネ😎について

 経済史家の内田義彦。アダム・スミスやマルクスの研究者である。高校時代に使っていた教科書に「正確さということ」というエッセイが掲載されていた。それ以来、内田義彦の著作集をたまに読み返している。

 先日、「内田義彦著作集 第6巻」(岩波書店)に掲載されている「古典の読み方を学ぶ」というエッセイを読んでいたら、次のようなことが書かれていた。少し長いがそのまま引用する(読みやすさを考慮して適宜段落を改めた)。

「・・・・・・大塚さんに教えられた論文をよみ返しておどろいた。原文より大塚さんの話の方が、もっとウェーバー的であり、もっと『面白い』のである。
少なくとも私が読みうる限りでは。

 よい所はすっかり取られている。そして、ぼくに残されたウェーバーの原文はいわば大塚さんの噛みすてたスジ肉のかすのようなものであった。

 そこでぼくはもう一度古典の読み方を、思い知らされた。そして批判的能力とは、他人の意見のうちに誤謬と下らぬことを発見することではなくて、正しいもの、面白いものを--本人以上に--的確に見出す能力だということを知ったのである。この能力をやしなうことがこの叢書の正しい読み方であるだろう。

 相撲取りは、胸をかしてくれた先輩に勝つことを恩返しというそうだ。いい言葉だ。そこでぼくら読者は、翻訳の労をとり、解説によって目を開けてくれた訳者たちに、その人たちすらまだ見失っている新しい論点を、この訳文のなかに見出し、発展させてゆくことによって、恩返しの一つともしようではないか」
(前掲書p193-194)

 このパッセージの中だけでも、いろいろ学ぶことが多いのだが、この部分を読んだとき真っ先に想起したのは、タモリさんのモノマネのことだった。

 今ではあまりやらないが、タモリさんは昔、大橋巨泉さんや寺山修司さんのモノマネをよくやっていた。

 「モノマネ」というと、その人の風貌、声色、口癖などを真似することと考えがちである。もちろん、そういったものを忠実に表現することも芸のうちだが、タモリさんのモノマネはそれだけにとどまらない。相手の「思想」「考え方」までモノマネしている。

 見た目や声色だけなら、タモリさんより上手な人もいるかもしれない。しかし、「思想」を真似るということはもっとすごいことだ。
 その人の言動や著作を読み込まないと、思想を真似ることはできない。「本人以上に」本人らしく見える境地。
 先ほどの内田義彦が大塚(久雄)について述べたことと、タモリさんのモノマネの真髄が酷似しているように思う。

 面白い口癖や失言をパクることは、他人のあら探しをして、バカにすることにつながる。そこには相手を「リスペクト」する気持ちが欠けているように思う。また、そういった「片言隻句」だけを寄せ集めても、「本人」に真に近づくことはできない。

 話が少し逸れるかもしれない。
 読書というと、この著者の「言いたいことは何か?」ということを「要約」することばかり考えがちなのだが、「敷衍」することを忘れていないだろうか?

 「要約」だけでは足りない。「敷衍」も必要だ。しかし、「敷衍」だけでもやはり足りない。「要約」も必要だ。
 モノマネでも読書でも「要約」と「敷衍」の両方に注意を払いたいものである。

ようやく[要約]
文章などの要点を短くまとめること。またまとめたもの。要旨。

ふえん[敷衍]
意味・趣旨などをさらに推し広げて、詳しく述べること。

「角川新国語辞典」(山田俊雄・吉川泰雄編)より。

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