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書くこと・描くこと

 最近、「書くこと」と「描くこと」について考えている。
 「書く」も「描く」も同じ「かく」だから、何らかの共通点があるように思う。

 note記事のヘッダーとして使うために、自分でイラストを描いたり、写真を撮ったりしているが、一枚の絵(または写真)のどこを切り取ればいいのか?、と悩むことがある。

 いま、正方形の中に、パジャマ姿の女の子を1人描いてみた。
 この一枚の絵を使って、切り取ったり、ズームアップしたりしてみる。



配置」(左、真ん中、右)、
アングル」(まっすぐにする、斜めにする)、
拡大」(どこにフォーカスするか?)。

 同じ絵をヘッダーに使うとしても、「配置」、「アングル」(傾き)、「拡大するところ」が違うと、当然印象は変わってくる。


 たとえば「顔」を強調したいと考えたとき、いちばん分かりやすいのは、顔を中央に配置して拡大することである。
 けれども、あえて顔を隠して、首から下の部分だけを切り取ると、「どういう顔をしているのだろう?」と絵を見る人にいろいろ想像させることができる。


 人間の脳には、不連続なものでも連続したものとして解釈する傾向がある。
 以前、次のような記事を書いたことがある。

 いわゆる「錯視」というもので、実際にはない「三角形」を思い浮かべる現象である。


 いま、上に書いたことは「描く」の話だが、こういう考え方は「書く」にも応用できるのではないだろうか?

 たとえば、小説を書くとき、頭に浮かんだことをすべて書きこむのではなく、余計なところを削ぎ落とすとか(どこをメインにするか?)、誰を主人公にするか?(アングル、一人称を三人称にしてみる)とか、時系列的にすべてを書くのではなく、あえて飛んだ時間を作るとか(錯視の利用)。


 「描く」と「書く」って、やはり同じ「かく」だけあって、似ているところはあるんじゃないかな?


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