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小説の書き方 | シュールレアリスム

 短歌であれ、小説だけであれ、作品そのものを読むことが大切なので、試験問題でもない限り、解説書まで読むという人は少ないかもしれません。

 現在、私はガルシア・マルケス(著)「百年の孤独」(新潮文庫)を読んでいる途中(300ページ弱)ですが、筒井康隆さんの解説を先に読みました。

 筒井康隆さんの解説を読むと、どうやらガルシア・マルケスは「シュールリアリスム」(超現実主義)の影響を受けているようです。
 
 詳しい説明は、下に添付した記事を参考にしていただきたいのですが、簡単にいうと「夢と現実が交錯する世界を描いたもの」がシュールリアリスムです。ダリの絵画のように。

 「百年の孤独」は、まだ読んでいる途中ですが、この小説には詳しい説明がないままに、たくさんの奇妙な出来事や人物が登場します。

 土を食べる癖のある少女、何年も降り続く雨、記憶がなくなっていくという伝染病、空中浮揚、あり得ないくらいの巨根の男…
 なぜ?、と考える隙がないほど、奇妙奇天烈なことがつづく。


シュールリアリズムとは?


 もし何らかの教訓なり考え方を理解しようとして読もうとすると、最後のページまでたどり着けないのではないか?、と思っています。
 ですから、あまり深く考えず、とりあえず一度目は、流して読んで、込められた意味を考えるのは、二読目以降にしようと思っています。
(*登場人物の名前も頭に入ってこない)


 まだ完全に「シュールリアリスム」というものを理解したわけではありませんが、noteに投稿されて私が実際に読んだ作品の中では、青豆ノノさんの「バースデーバルーン」がいちばんシュールレアリスムっぽいなと思っています。


 ノノさんの「バースデーバルーン」には、頭がどんどん大きくなっていく妹が登場しますが、まず現実には起こり得ないことですね。その意味では「夢の世界」なのですが、登場人物は頭の大きくなることを「現実」として受け止めており、誰1人として夢の中の出来事として捉えているわけではありません。

 「百年の孤独」を読んでいて、
「あぁ、ノノさんの書いた小説は『シュールレアリスム』の小説かもしれない」と思うに至りました。


 小説にはリアリティが求められる場合があります。しかし、リアリティのみを追求していると、エッセイやルポタージュになってしまう。

 もちろん、それはそれで構わないのですが、小説という器は、もっと自由度の高い世界を取り込むことができます。夢と現実が交錯する世界は、小説でしか書けない領域。

 リアリティを求めるなら、実際の光景を自分の目で見れば良いのですが、写真には写真のリアリティがあり、必ずしも実際の光景と同じものではありません。どちらがヨリ現実的か?、ということは、一概には言えない。
 ノン・フィクションが実際に目で見た光景ならば、シュールレアリスムは写真を通して見た光景だと言えるかもしれません。実際の光景も、写真にうつった光景も現実的ですよね。
 写真には若干「夢」も入り込みますが、実際の光景にはない「リアリティ」があります。


 「バースデーバルーン」や「百年の孤独」を読んで、私もシュールレアリスムっぽい作品を書いてみました。先日投稿した「拳銃🔫」という短編小説です。



 内容に則した「百年の孤独」の読書感想文は、いずれ書きたいと思っていますが、自分が読んだ小説の手法を少し模倣して「アウトプット」してみるのも「読書感想文」の一種かな?、なんて思ったりしています。



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