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読書 | 加藤文元(著)「宇宙と宇宙をつなぐ数学」(角川ソフィア文庫)


ABC予想

 昨年4月にNHKで放送された数学者望月新一先生の理論を一般向けに解説した番組。去年も記事に書いたが、そもそも「ABC予想」ってなんだろう?、と気になっていた。

毎日新聞より

 「宇宙と宇宙をつなぐ数学」を読んでいたら、このステートメントの意味がわかった(ような気がした)。その「分かった」範囲で記事を書こうとしたが、それを書いても不正確な説明しかできないと思うので、本を読んで感じたことだけを書こうと思う。


数学的予想とは?

 数学の「予想」というものは、その予想の意味が分かれば、誰でも「たぶん間違いなくそうだろうな」というものである。結論については確信を抱いているが、証明が完成していないのが、数学的な予想である。
 「フェルマー・ワイルズの定理」も、証明される前の「予想」の段階から、みんな正しいだろうと思っていた。
 一般に、整数論では、たとえ百万桁の自然数の範囲で成り立つとしても、反例がひとつでも見つかれば、定理とは言えない。
 有限の自然数の範囲ならば、コンピュータを使えば、しらみつぶしに調べて「この範囲では成り立つ」ということができる。しかし、その範囲を越える自然数においては、本当に成り立つかどうかはコンピュータには分からない。


🧩ジグソーパズル🧩のアナロジー

 この本の中で、「数学」をパズル🧩に例えている箇所がある。

数学には二種類ある。学校で教わる数学と、研究における数学の二種類が。学校で教わる数学は、喩えて言うなら『完成図のあるジグソーパズル』だが、研究における数学は『完成図のないジグソーパズル』のようなものだ。

前掲書、p222

 学校で解くような問題は、全体像のイメージがある。全体像の枠の中で、当てはまるピースをはめていく。だいたいこのへんかな?、という予想がつく。相対的な位置関係が想像しやい。
 研究の数学では、「全体像の枠」がない。どことどこが繋がっているのか、鳥瞰することができない。あとになって、まったく関連のないと思っていたことが、実は隣接していたとか、その逆に関連が深いと思われていたものが、実は縁遠いものだったなんてことがありうる。


👩女優のアナロジー👩

 ドラマの登場する女優には、そのドラマの「役柄」である人間と、実際のその女優さん「そのもの」から成り立っている。
 「役柄」としてみる場合、そのドラマという舞台の中の人物である。
 そのものの女優さんは、普段、ドラマの舞台とは異なる舞台に立っている。
 役柄の女優と普段の女優は、「異なる」人物であるとも、「同じ」人物であるとも言える。

 従来の数学では、一見異なるように見えるものを「同質なもの」としてみなす。しかし、日常的な感覚では、「異質なもの」と「同質的なもの」とは、矛盾なく成立する。
 IUT(宇宙際タイヒミュラー)理論では、「同質なもの」とみなす舞台と「異質なもの」とみなす舞台という二つの舞台を用いる。
 
 ひとつの舞台として見る従来の数学とIUT理論とでは、この点が大きく異なるようだ。


むすび

 曲面の面積を求めることや、方程式の解を求めるといったことは、直感的に分かりやすい。しかし、その微積分学でさえ、ニュートンやライプニッツが発見した当初は、数学界に軋轢を生んだ。宇宙際タイヒミュラー理論も学術論文としてアクセプトされたにもかかわらず、いまだに軋轢を生んでいる。
 掛け算と足し算という、ある意味、面積よりも慣れ親しんでいることを扱う理論だから、より軋轢が大きいのかもしれない。
 だんだん数学が哲学的な問いに近づいているような印象をもった。IUTの理解が進めば、広義な意味で、人生観が大きく変わるかもしれない。

 この本を読み終わったとき、

人間>AI 

という数式❔が頭に浮かんだ。
 AIに数学的な「予想」をすることは可能だろうか?


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#哲学       #読書感想文


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