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宇宙際タイヒミュラー理論

 先日、NHKで、数学者の望月新一先生の特集番組を見た。
 ABC予想、宇宙際タイヒミュラー理論。難しそうな用語が出てくるが、その凄さをわかりやすく解説していた。

 望月先生の理論は、本当に正しいかどうかを確かめる「査読」が終わっているにもかかわらず、いまだに論争が続くという「異常事態」。数学者でも理解が難しいらしい。ましてや一般視聴者をや。
とはいえ、番組の感想を書いてみたい。

 数式を書くと、読者が減るので、「なるべく」数式を用いないで書いてみる。

①同質と異質。

 ポアンカレは次のようなことを主張したそうだ。

「数学とは、異質なものを同質なものとして見る技術である」

リンゴ🍎3個と、ロープの結び目3つ。
「リンゴ」と「結び目」は、その実物を見る限り、まったく「異質なもの」。しかし、それを見た人は「3」という「同質なもの」を感じとる。

三角形と3次方程式。三角形という「図形」と3次方程式という「数式」。これも「異質なもの」だが、「同質なもの」として扱うことができる。高校生の頃、「複素数平面」に「3次方程式」の解を描いた方もいると思う。

「トポロジー」という数学の分野がある。よく例に挙げられるのが、コーヒーカップ☕とドーナツ🍩。まったく「異質な形」のように見えるが、ゴムのように伸ばしたり縮めたりすると、「穴がひとつ」という「同質な性質」がある。

 少し話が逸れるが、「トポロジー」の考え方は、「山手線」の路線図にも活かされている。実際は「円」ではないが、「円」として描いたほうが、見やすいし、どこで乗り換えればよいのか、わかりやすくなる。

 他にも例はあるが、従来の数学は、「異質なもの」を「同質なもの」として見なすことによって発展してきた、といっても過言ではない。しかし、望月先生のやろうとしたことは、その逆の発想らしい。つまり、「同質なもの」から、「異質なもの」へ向かう数学。
 「発想の転換」というよりも、「パラダイム転換」を要求するものなのかもしれない。もしそうだとすれば、ニュートンの微分積分や万有引力の法則の発見と同じくらいインパクトのある現場に、私たちは立ち会っていることになる。

②「かけ算」より「足し算」のほうが難しい。

 小学生では、足し算を先に勉強してから、かけ算(九九)を学ぶ。だから、何となく「足し算のほうが、かけ算より簡単だ」という印象をもつ人も多い。

 しかし、数学者は「かけ算のほうが足し算より簡単だ」と考える。その理由。それは、中学生の頃に学んだ

「素因数分解」を思い出す

とわかりやすい。

少しだけ復習。
まず「素数」とは、「自然数(ふつうのプラスの整数)で、1とその数自身のほかに、約数をもたないもの」をいう。
具体的には

2,3,5,7,11,13,17,・・・。

そして、素数以外の自然数を「合成数」という。「合成数」は、「素数」の「かけ算」で表すことができる。

例えば
「12=2×2×3」のように。

次に「12×5」を計算する。
12×5=60。こたえは「60」になる。

「60」を「素因数分解」すれば

60=2×2×3×5となる。

「かけ算」の場合は、かける順序を問わなければ、分解の仕方はただ1つに定まる。少し難しい言葉でいうと

「素因数分解の一意性(uniqueness)」

という。

そして、合成数を素因数分解すれば、もともとは、何と何を掛け合わせたものかという痕跡を見ることができる。

しかし、「合成数」、例えば今と同じ「60」を「足し算」の形で表すとき、「一意性」がない。
60=1+59 
60=10+20+30のように、ただ1つの表し方にはならない。いく通りもの表しかたができる。もともと何と何を足したものなのか、その痕跡がない。
このような意味で「かけ算より足し算のほうが難しい」。

多くの数学の問題(とくに「整数論」)を難しくしているのは、「かけ算」と「足し算」が混在していることに起因しているらしい。

同じ「60」でも、「かけ算」として見れば「単純な形」に書き換えることができるが、「足し算」としてみると、「複雑な形」になってしまう。

番組の中では、他の数学者に「望月理論をどう思うか?」というインタビューもあった。賛成派あり、反対派あり。
「かけ算」と「足し算」を柔らかく考える方法。「同じでありながら、異なる」という、矛盾した考え方も利用する理論のようだ。


まとめ

難しい。数学者にとっても「難しい」のだから仕方ないが、数学にはなにか、人をわくわくさせるものがある。

図形の問題も、「補助線」を一本ひいたら、あっという間に解けた!、みたいな経験は大きな喜びをもたらす。
「源氏物語の作者は誰か?」を思い出せたときよりも、図形の問題が解けたときのほうが、はるかに嬉しい。何でだろう?たまには数学も楽しい。

今の時代は、データは山のようにある。そして、コンピュータを使えば、解析できることも多い。しかし、コンピュータを使っても、未解決の問題は多い。

現代が私たちに突きつけている問題は、哲学的な問題、言い換えると「根元的な問い」のような気がする。

一度、猫を見れば、見たこともない猫を見ても「猫だ!」と認識することは、幼い子供でも容易にできる。しかし、コンピュータにとっては、そういう「パターン認識」は苦手だと聞いたことがある。人間に残されている問題は、煎じ詰めると、哲学的な問題のような気がした。

 

 

 

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