連載小説(49)漂着ちゃん
ナオミがエヴァの心臓を一突きしたあと、最初に声をあげたのはマリアだった。
「たいへん、早く収容所に連絡を!救命の連絡を!。お母さん、しっかり。すぐに助けが来ます」
エヴァは虫の息だったが、不敵な笑みを浮かべているように見えた。
呆然と立ち尽くすナオミをヨブが抱きかかえた。
「母さん、なんてことを!!」
「『なんてことを!』ですって?これで良かったのよ。こうする以外ほかに、この異常な町を変える方法なんてなかった。私たちは、ずっとエヴァさんと所長に支配されてきたの。これで私たちは自由になれる」
悪びれる様子もなく、ナオミは淡々と言った。
「ヨブさん、収容所へ早く連絡を!」
イサクがヨブに言った。
「わかった。二人のお母さんを頼む」
情けないことに私は、この状況を前にして、なにもすることが出来なかった。
「お母さん、しっかり。死んじゃダメ」
マリアはずっとエヴァに声をかけつづけていた。しかし、裏腹にエヴァの顔はますます蒼白になっていくばかりだった。なのに、不思議なことに、その表情は微笑んでいるようにしか見えなかった。
ナオミに、このような激情があったことを私は初めて知った。出会った頃からナオミはいつも従順だった。
はじめて私の前に、『漂着ちゃん』として姿を現したとき、ナオミは純粋無垢だった。この時代にやってくる前の出来事の記憶をほとんど持っていなかった。いったいいつから、ナオミの心に自由意思が宿り、そして悪の心が芽生えたのだろう?いつからエヴァに対して復讐の炎を燃やしたのだろうか?
私はナオミがエヴァを刺したという現実を前に何もすることが出来ないまま、ただ今までのことを回想することしか出来なかった。
私の目には、興奮しつつも呆然と立ち尽くすナオミの傍らにいるイサクと、風前の灯を燃やすエヴァを取り囲む『漂着ちゃん』三人と、懸命にエヴァに声をかけ続けるマリアの姿が霞んで見えているだけだった。
どのくらい時間が経ったのだろう。まさにエヴァの命が消えゆこうという時に、収容所からサイレンの音が聞こえた。いまだかつて聞いたことがない轟音だった。
おそらくヨブが収容所に到着して、所長にナオミとエヴァとの間に起こってしまった事件を報告したのだろう。
轟音は鳴り響きつづけたが、こちらへ向かう救急隊が現れることはなかった。もう手遅れだ、と思いつつ、早く救急隊が訪れることを私は祈った。
しかし、いっこうに現れる気配がなかった。
「お母さん、しっかりして。お母さん?」
マリアが泣き崩れた。
エヴァが死んだ。
…次回、最終話
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