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小説 | 死を遮蔽する者[後編] (創作大賞2024 ミステリー小説部門)



前編はこちら


(1)


 あっという間に、大門暗殺の前日になった。お昼頃、早百合からLINEが来た。
「今から会える?」という簡潔なものだった。

 待ち合わせの場所にいくと、すでに早百合が待っていた。白のワンピースを着ていた。

「操くん、これが撮影用のビデオ。いまから簡単に使い方を教えるから、よ~く聞いて覚えてね」

 ぼくは早百合に教えられたとおりビデオを回した。白のワンピを着て無邪気に笑う姿をビデオにおさめた。

「あたしって可愛いでしょう。こんな可愛い女の子が明日人を殺すなんて、誰が思うかしら。この世であたしの明日を知ってるのは、操くんだけだよ」

 早百合はどこまで本気なのだろう?

「早百合、ホントに大門を殺すつもり?それともビデオで撮影して、大門を追い出すネタにするだけ?どっち?」

 早百合は急に真顔になって言った。

「それは、その時の流れ次第ね。こいつは殺さなくちゃ分からない、と思えば殺すかもしれない。ナイフは何本か用意してある。けれど、向こうは男だしうまく殺せるかどうか分からない。だから、操くんのビデオ撮影がこの計画の鍵を握っているのは間違いない。殺せなかったとしても、あたしと大門の淫らな姿をちゃんと残せたら、とりあえずは成功かな?」

 ぼくの役割の大きさに、今さらながら緊張感を覚えた。

「責任重大だな。でもきっとやり遂げてみせる」

 ぼくたちは瞳でゴーサインを出しあった。

「まぁ、気楽にね。ただあたしたちをビデオにおさめてくれればいいだけだから」

「それはそうだけど、こんなに緊張した気持ちになるのは、いままでの人生の中で一番かもしれない」

「たいしてまだ生きてないでしょ?じゃあまた明日、計画決行の一時間くらい前にLINEするから。今日はゆっくり休んでね。あ、でもその前に」

 早百合はぼくの手をとり、ぼくを抱きしめ、そしてキスをした。

「じゃあね」

「うん、じゃあ、また明日」


(2)


 いよいよ明日か。本当にうまくいくだろうか?

 失敗したら、きっときつく叱られるだけで、早百合もぼくも、いままでと大して変わらない日常を送りつづけることになるだろう。けれども成功してしまったら?

 成功したら、ぼくは早百合が大門を殺害する現場を目撃することになる。しかも、それを事前に知っていたことになる。多かれ少なかれ、ぼくも早百合と罪をともにすることになる。止めようと思えば止められる立場にあったのに、黙認したことになる。

 でも、二人で協力することに意味があるのだ。一生消えることのない殺人という罪を共有することになるのだ。
 共有という軽いもの以上のものがある。なにを愛と呼ぶかは人それぞれかもしれないが、早百合とぼくは、お互いの心に恋人という焼印を押すことになる。

 もし互いに大門殺害後に会うことが一生なかったとしても、二人の愛はきっと永遠のものになることは間違いのないことだ。

 生きる希望を失った小学生時代からつづく漠然とした不安感に、いよいよ明日ピリオドを打つことになる。たとえどんな結果になろうとも、決して後悔はするまい。


(3) 


 結局ぼくは、一睡も出来ないまま、朝を迎えた。夜中、何回も早百合にLINEを送ろうとしたが、ただぼくの不安を書きつづけるだけになるだろうから、一度もメッセージを送ることはなかった。

「操、どうしたの?顔色が悪いみたいだけど。なんか変な人に嫌がらせとかされてないわよね?」
 
 母が心配そうに尋ねた。

「そんなことないよ。もう部活も引退してるし、受験でみんな忙しくなるから、他人にかまっている暇なんてないよ」

「ならいいんだけどね。あのね、聞いていいかどうか分からないけど、操、もしかして彼女できた?前からちょっと聞こうと思っていたんだけど」

 ぼくは少し動揺してしまった。塾を何度かサボったことがバレたんだろうか?

「なんだよ。藪から棒に。なんで彼女ができたなんて思ったのさ」

「ははん、その慌てようは図星だったみたいね。母さんも一応女だからさ。男の様子を見てれば、なんとなく気づくものよ」

「なんか変わったことある?母さんから見てなにか?」

 微笑みながら、母さんが言った。

「そうね、1学期の頃に、塾のあと、帰って来ない日があったわよね。友達のうちに泊まったみたいだったけど。お友達とそのお母さんから連絡があったけど、あの日ホントは女の子と一緒にいたんじゃないかな、なんて思ったのよ。あの日から、操は急に男らしくなった。まぁ、母さんの思い過ごしかもしれない。詮索はしないわ。操のこと、信頼してるし、もし恋人がいるとしても自然なことだしね。でも、そのうちちゃんと彼女さんをうちに連れて来てくれたら、母さんは嬉しい。付き合うな、とは絶対に言わないから」

 母さんは話している間に、ぼくに彼女がいることをさらに強く確信しているかのような口振りになった。

「母さん、今日ね、友達と花火するから夜遅くなる。鍵をかけて寝ててほしい。ちゃんと帰って来るから心配しないでね」

「わかりました。じゃあ、夜は寝てるね。操のことは信頼してるから。でも、12時を回っても帰って来なかったら、スマホに電話するからね」

「ありがとう、それでいい」


(4) 


 午後6時になった。いよいよ刻一刻と計画決行の時間が近づきつつあった。早百合からはまだ連絡はない。ぼくは早百合からの連絡を待ちつづけた。

 予定では、早百合は昨日と同じ白いワンピースを着てくることになっていた。そのほうが分かりやすいだろうから、というのが理由だった。
 ぼくだったら目立たない、黒っぽい服を着ていきそうなところだが、早百合には早百合の考え方があるのだろう。
 早百合が言うには、たぶん暗闇の中で大門と会い、ことを済ませるつもりだから、ビデオ撮影には白のほうが映える。もちろん、大門と出会う前には人目につかないように気をつけるけど。

 7時になった。まだ早百合から連絡が来ない。こちらから連絡すべきだろうか?あと数分待って、なんの連絡も来なかったら、こちらから連絡しよう!、と思った瞬間に、早百合から連絡が来た。


(5) 


操くん、お待たせ。
これから大門と会う。
操くんは計画通り、
1階の窓から学校の中に
忍び込んで
3階の視聴覚室に
隠れていて!
じゃあよろしくね


了解。
じゃあ計画通り。


 ぼくはそれから、ビデオを携えて学校へ向かった。いよいよ、早百合と一心同体になれる。そんな胸のときめきと、もしうまくいかなかったら?という緊張感を伴いながら、ひたすら学校へ歩を進めた。


(6)


 いよいよか。家を出たとき、時計は7時20分を回っていた。10分程度で到着できる距離だが、ぼくは少し急ぎ足になった。
 街頭だけになった暗い夜道を歩いた。校門が見えてきた。その時、すでに校門前には、白いワンピを着た早百合と、黒っぽいTシャツを着た大門の姿が見えた。

 ぼくは慌てて電信柱の影に隠れた。
 二人は何か話し込んでいるようだ。二人より先に視聴覚室へ行くことはできるだろうか?ぼくは不安な気持ちになった。

 予定では、ほくが1階の理科室から忍び込み、二人より先まわりして視聴覚室で待っているはずだったが、二人が入ってから駆け足で先回りしなくてはならない状況に変わったようだ。ぼくはない頭をフル回転させながら、予期せぬ事態への対応策を考えた。


(7)


 大門と早百合は、まだ校門近くで話し込んでいる。二人ともこちらに気づいている様子はない。遠目でなにを話しているかは分からないが、ぼくには二人が談笑しているように見えた。

 本当に早百合は、一方的に犯された被害者なのだろうか?、という疑問がぼくの頭をかすめた。もしかしたら、二人こそホントの恋人どうしなのではなかろうか?もしそうだとしたら、ぼくを利用して二人のセックスの様子を撮影させる目的はなんだろう?ぼくには、そんなことをぼくにさせるような目的はなにひとつ分からなかった。

 「信じていいんだよね、早百合」と言いたい気持ちを抑えながら、ぼくは二人の姿を見守りつづけた。


(8)


 もうじき8時になろうという瞬間、二人は学校の中へ向かっていった。ぼくも二人に見つからないように気をつけながら、理科室を目指した。
 大門が玄関の入り口の鍵を開けて、早百合を学校の中に招きいれたのを確認してから、ぼくは理科室へ向かってダッシュした。
 走ればきっとぼくのほうが視聴覚室へ先回りできるかもしれない。

 息を切らせながら、理科室にたどり着いた。一刻も早く中に入らなくては。鍵の壊れた窓を探す。いま頃になって、鍵の壊れた窓を事前にチェックしていなかった自分の愚かさに気がついた。
 ひとつひとつの窓を開いていないかどうか確かめていった。しかし、探しても探しても、理科室に壊れた窓なんてどこにも見つからなかった。 


(9)


「早百合、どういう風の吹きまわしだ。俺の体が懐かしくなったか?欲しくなったのか?」

「大門先生、そんなんじゃないわ。ただ、あたしにも思うところがあって。抱かれるなら、同い年くらいの男の子がいいと思ってたけど、やっぱりセックスするなら年上の男の人のほうがいいみたい。あたしの初体験は実の父親だったからかもしれないけどね。この前、同い年の子とセックスしたんだけど、全然気持ちよくなくて。だから、先生のほうがいいな、って思ったのよ」

「だろうな。童貞の男と寝たってつまらないものさ。大人とは経験値がまるで違うからね。それにしても早百合、前にやった時より、さらに色っぽくなったな。おっぱいもふた回りくらい大きくなったんじゃないか?」

「いやらしいですね。教師失格じゃないかしら。あ、でも先生はさすがです。先生と一番最後にやった時は、Dカップでしたが今はFカップになりました」

 大門はニヤニヤしながら、あたしのワンピに手をかけた。
 大門の手があたしの胸をなで回した。そして、その手は次第に下腹部へと向かっていった。

 パンティーの上を何度も往復した。

「濡れてるなぁ」

 パンティーの中に大門の手が滑り込んできた。


(10)


 操くんはなにやってのよ。あたし、とだ大門にやられただけになっちゃうじゃないの!

 大門に愛撫されながらも、操くんがどこかに隠れていないか、あたしは暗闇の中で目を凝らした。けれどもまるで操くんの気配は感じられなかった。

「早百合、もしかして操のヤツのこと探してるのかな?あいつはここには絶対に来ないと思うよ」

「えっ?!なんでそれを?」

「早百合と操が、いい関係になっているのは、授業中の二人の態度を見てれば誰にでもわかるさ。今日だって、本当は何か悪巧みしていたんだろう?ここに俺をおびき寄せて、俺を告発なり何かしようとしていたんだろう?大人を甘く見ちゃいけないな。理科室の窓は、いつまでも壊れたままになんかしておくはずがない。直しておいたんだよ。昨日のうちにね」

 悔しい!
 何もかも大門はお見通しだったのか?
 先手を打たれていたのか。あたしはなす術なく、力が抜けていった。すっ裸にされた今、準備しておいた二本のナイフも、もうすでに無用の長物になり果てていた。


(11) 


 大門の一物があたしの体を貫いた。ただただ悔しくて、涙が止まらなくなった。大門への復讐のつもりが、ただ今は大門の慰み物になっているだけだった。

「あ~、気持ちいい。中学生の体は最高だな。すべすべしてる。干からびた年増の女とは違う。こんなに気持ち体がこの世にあるなんて。なぁ、お前も気持ちいいだろ?感じるだろ?」

 操くん、早く来て。あたし、本当にバカな女だけど、やっぱり操くんがいい。あたしの過去をすべて聞いて受け入れてくれたきみが、何より一番大切。体はコイツに支配されても、心まではコイツに支配されない。
 早く来て、操くん… …


(12) 


  早百合は、いま、どうしてるだろう?大門とどうなってる?
 開いている窓がないなら、壊すしかないな。大きな音をたててしまうが、もう8時半をまわっている。中に入らないことには、ぼくの任務は遂行できない。

 辺りを見回した。しまい忘れた野球部のトンボが目にとまった。ぼくはそれを手にとり、理科室の窓を1枚たたき割った。

 辺りにガラスの割れる音が響き渡った。おそらく3階にいる早百合と大門にも聞こえたかもしれない。しかし、今、それはどうでもいい。

 ぼくは割れたガラス窓から内側の鍵を開けて、中に入った。ガラスの破片で血が出たが、それも今は気にしている場合ではなかった。

 理科室を出て猛ダッシュで、3階の視聴覚室を目指した。


(13)


 「あいつは来ない。早百合、もう1回イッテもいいか?」

 大門のヤツを甘く見ていた。ハレンチ・バカ教師としか思っていなかったけど、悪知恵は働くんだね。操くん、せっかくあたしら計画してたのに、結局巻き込んじゃっただけだったみたい、あたし。ごめんね。謝っても済むことじゃないけど、操くんに出会って、彼氏になってくれて、今さらながらに感謝してる。なのに、あたしはちゃんと操くんの思いに応えていなかったのかもしれないね。

ガチャン。、。

 大きな音が聞こえた。ガラスが割れる音が階下から聞こえた。挿入していた大門も一瞬ピクン、となった。

 大門はあわてて服を着込み始めた。あたしに背を向けている。今しかないと思った。服に隠しもっていたナイフを手探りで探した。

「あった!」

 あたしは無我夢中で、後ろから大門の背中をナイフで刺した。

 「うっ」と力弱く叫んだ大門がその場に倒れた。あたしはどこそこ構わずに、大門をめった刺しにした。暗闇の中でも、街路灯の弱い光を反射しながら、大門のまわりに血の海が広がっていった。

 全裸のあたしも、床に脱ぎ捨てた白いワンピも、真っ赤に血に染まっていった。


(14)


 ぼくが部屋に着いて最初に目撃したのは、全裸で返り血に染まった早百合だった。そして、早百合の足元には血の海に沈んだ大門がいた。

「操くん、ごめんね。せっかく来てくれたのに、仕事させてやれなくて」

「いや。ぼくがちゃんと前日に理科室の窓を確認しておかなかったのがいけなかったんだ」

「そんなことないよ、せっかく来てくれたのにごめんね」
 
 ぼくは全裸の早百合を抱き締めた。体を張って大門に復讐した早百合を、ただただ愛おしいと思った。

 早百合の頭をなで、きつく抱き締めて何度もキスをした。

「ぼくたち、ひとつになれたかな?」

「あたしたちは、きっと…あっ!」


(15)


 早百合と抱き合っていたとき、背中に激痛が走ったことはかろうじて覚えている。しかし、それ以外は何も覚えていない。
 気がついた時には、ぼくは病床にいた。

「あら、操くん、気がついたようね」

 目を覚ましたとき、最初にぼくが目にしたのは看護師の女性だった。

「操さん、なんとか一命は取り留めました。あとは傷口が塞がるまで、安静にしているだけです」

「誰が救急車を呼んでくれたのですか?早百合ですか?」

 看護師の顔が曇った。

 いえ、学校で血まみれになって倒れているところを、見回りに来ていた大門先生が見つけて119番通報をしてくれたのです。

「早百合も一緒にいたでしょう?」

「いえ、私はそこまでは聞いていません。誰も、えっと、早百合さん?という方のお名前は言ってませんでしたよ」


(16)

  そんなことはあり得ない。現にぼくには早百合を抱き締めた時の手の感覚も、体の感覚も生々しく残っている。幻のはすなどないのだ。

 早百合は今、いったいどこでなにをしているのだろう?

 病院生活は思ったより早く終了することになった。退院してから1週間したら、再び学校へ行ってもよいという許可ももらった。

 誰も見舞いに来る者がいないまま、ぼくの入院生活は終えた。

「お世話になりました」
退院の日、母が迎えにやってきた。
 母はぼくの面倒を見てくれた主治医・看護師に深々と頭をさげた。


(17)


「操、おめでとう。無事に退院できたホッとしたわ。学校へ行けるようになったら、大門先生に感謝しなくちゃね」

「大門先生?先生は無事だったの?」

「ん?どういうことかな?大門先生は、宿直で見回りに来ていただけだから」

「先生も、大怪我したでしょう?」

「いや、そんな話は聞いてないけど」

 ぼくの頭の中はクエスチョン・マークでいっぱいなった。

「じゃあ、早百合は?早百合はどうなった?」

 母は怪訝そうな表情を浮かべた。

「早百合さんねぇ。母さんはそのお名前は初めて聞いたけど」

「ぼくが倒れた現場にいたはずなんだけど」

「それは今初めて聞きましたよ。母さんは操が学校でナイフで刺されて倒れていたこと。そして、あなたを発見してくれたのが大門先生だったこと。それ以外のことは何も聞いていないのよ」


(18)


 そんなはずはない!

 早百合が現場にいなかったなんてあり得ない。ぼくはあの時、確かに早百合を抱き締めた。キスもした。大門に刺されたのだって、早百合と抱き合っているときだった。そもそも学校へ向かったのも、大門を殺害するためだ。みんなはぼくがなにをしに学校へ向かったと思っているのだろう?

 早く早百合に会いたい。早百合が無事かどうかも早く確認したい。
 そうだ!スマホはどこだ?


(19)


「母さん、ぼくのスマホは今どこにある?」

 母は伏し目がちに言った。

「ごめんね、操。悪いんだけど、スマホは解約しました。悪いね。どういう事情があったのかは、詳しく知らないけど、今回のようなことがあると困るでしょ?入試が無事終わったら、また買ってあげるから高校生になるまで、スマホはお預けにしましょう」

 学校に再び行けるようになるまで、ぼくは早百合とは連絡が取れないということか。ガッカリした気持ちもあったがそれ以上に、いま早百合がどういう状況にあるのか早く知りたい。その気持ちでいっぱいだった。


(20)


 長い1週間になった。外部からはいっさい情報が入って来なかった。学校でぼくのことはどのように伝えられているのだろう?
 そして、早百合はどうしてるだろう?

 いろいろな疑問を抱えたまま、夏休みが過ぎていった。


「今日から2学期ね、受験も近くなってきてるから、いろいろ頑張らなくちゃね」

 母の笑顔に見送られて、ぼくは学校へ向かった。夏やすみ中の出来事とはいえ、きっとぼくのことは噂されているのだろう。早百合のことも、きっと。

 学校に着くと、正面玄関には珍しく、というか初めて、大門が立っていた。生徒指導担当でも何でもない教師が正門に立っているのは、なぜだろう?

「おぅ、操かぁ。久しぶりだな。もう元気になったのか?俺は相変わらず元気だぞ」

 ぼくは大門を無視して昇降口に向かった。

「操!、お前冷たいなぁ。俺たちは年が離れてるけど兄弟なんだぜ!」

 ぼくはその言葉を聞いて、ますます大門を憎むようになった。大門とぼくが早百合という共通の女とセックスした兄弟だとでも言いたいのだろう。


(21)


 教室に着くや否や、ぼくは早百合を探した。早百合の机には何も置かれていなかった。教室の後ろにある早百合の棚にも、何も置かれていなかった。

 チャイムがなったあとすぐに、担任が入ってきた。

「みんな、おはようございます。今日から二学期が始まります。この二学期は、長い人生の中でも、特に大切な時間になります。志望校に合格できるかどうかは、この二学期の努力如何にかかっていると言っても過言ではないでしょう。気を引き締めて頑張りましょう」

 通りいっぺんのありふれた挨拶を終えると、担任は改まった声色で次のように言った。

「それから今日は、みんなに残念な報告がある。小林さん、小林早百合さんが転校しました。看護師であるお母様のお仕事のご都合で、夏休みの間に転校しました。このクラスは受験を控えた3年生だから、高校入試が終わるまで、新しい連絡先は内緒にしておいてほしいそうです。このクラスのみんなも早百合さんも無事に晴れて高校生になれたら、またいつか会いたいとのことです」

 ぼくは上の空で担任の話を聞いていた。もしかしたら、こういう結果になるんじゃないかと思っていたが、高校入試が無事に終わったとしても、ぼくと早百合はもう2度と会うことはないのだろうと思うと、全身の力が抜けていった。


(22)


 しばらくぼくはもぬけの殻のようになった。おそらく大門は何か知っているはずだが、絶対口を割ることはないだろう。
 ぼくは学校が終わると、すぐに早百合のマンションに向かった。何回か来たことがある部屋だ。忘れるはずがない。
 しかし、もうそこには早百合は住んでいなかった。


 気持ちを立て直すには、時間がかかったが、早百合に会える・会えないに関わらず、無事に受験を済ませないことには何事も前に進まないとぼくは考えた。勉強以外、ほとんど何もせず、2学期を終え卒業式を向かえた。

 県内有数の進学校に進むことになった。男子校だから、早百合と会うことはないが、生きるとか死ぬとか、考えても仕方のないことを考えていた暗い日々から解放されたのは、結果的に良かったのかもしれない。


(23)


 いつしかサクラも散ったゴールデンウィークが終わった日、放課後帰ろうとしていたとき、「操くん」という声を聞いた。早百合がいた。

「えっ、どうしてここに?」

「久しぶりに会ってそれはないんじゃない?操くんは頭がいいから、絶対この高校だと思ってた。4月の頃も、よくここに来てたんだけど、なかなか操くんのこと見付けられなくて。きっと、来るタイミングが悪かったのだと思う」

「それは全然かまわない、というか、ありがたいことだけど、去年のあの日、早百合は…」

「あぁ、その話ね。聞いても面白くないかもよ。聞きたい?」

「聞かせてくれるなら、聞きたい。それよりも、ぼくが今聞きたいのは…」

「あたしと操くんが恋人かどうか、みたいな話。それを聞いてどうするの?、っていう気もするけれど、それもお話しましょうか?」


(24)


「どこから話せばいいのか、ちょっと考えちゃうんだけど」

 高校近くの高台にある公園のベンチに座りながら、早百合が話し始めた。

「ここにくると、海が見えて綺麗ね」

「そうだね、穏やかそうな海に見える」

「まぁ、そうね。日本海だから、近くで見たら荒波でしょうけどね」

「まぁ、そうだよね。遠くから見渡すから穏やかに見えるんだろうね」

 他愛もない話をしているようでありながら、早百合が話の核心へと近づいていくのを、ぼくは感じていた。

「あの日、操くんと計画したことは、あたしも一生懸命に取り組んだ。ただ、誤算だったのは、大門が理科室の窓を修理していたこと。理科室の鍵が壊れているのは、部活仲間はみんな知ってたけど、大門まで気づいていたとは思っていなかった」

 早百合の話を聞いている途中で、ぼくはどうしても確かめておきたいことがあった。

「ごめんね、話の途中で。いろいろ聞きたいと思っていたんだけど、あの日不思議だったのは、僕より先に早百合と大門が学校に到着していたこと。それはなんで?」

「あぁ、それはね、単純な話。大門が早くヤリたいから早く来られるか?、って聞いてきたからよ。時間通りって何度も言ったんだけどね。『誰か人を呼んでるんじゃないだろうな』としつこく聞かれたから。操くんの姿が見えるまで、校門前でなんとか粘ってたのよ。大門は気がつかなかったみたいだけど、あたしには操くんが視界の片隅に見えた。それを確認してから校舎に向かったのよ」


(25)


 早百合と話しているうちに謎がひとつひとつ解決していった。細かいところでわからないことは多少あったが、ぼくと早百合が恋人だったことには間違いがない。

「あのあと大変だったでしょう?大門の返り血を浴びて」とぼくが話しかけたとき、一瞬早百合の顔が歪んだが、にっこりと笑ってからこう言った。

「まぁ、裸だったからね。水道に行って体を洗って。あたしは特に怪我はなかったから。操くんが刺されたとき、あまりの恐怖で気を失ったよ」

「救急車を呼んでくれたのは本当に大門なの?早百合じゃなくて」

「それはあたしにもわからない。操くんが刺されたことのショックが大き過ぎて失神状態だったから。気がついた時には、操くんも大門もいなかったから」

「そうか、そんなんだね」

「それよりさぁ、もっと楽しい話しない?一緒にどこか出掛けましょうよ」

 これが早百合との最後の出会いになろうとは、この時のぼくは予想だにしていなかった。


(26)


 あとになって考えてみれば、早百合の話にはおかしなところがある。

 ぼくが刺されたことによるショックで失神したのだとすれば、ぼくが救急車で運ばれていくとき、早百合はどこでなにをしていたのだろう?

 ぼくが運び出される時、早百合も気を失っていたのなら、早百合だって一緒に救急車で運ばれても良さそうなものだ。思うに、ぼくが運び出されるときには、早百合はすでに学校をあとにしていたと考えるのが自然ではないだろうか?
 しかし、救急車より先に学校をあとにしていたのなら、倒れたぼくを放置して逃げたことになる。どちらにしても、早百合の行動には不可解なところが残り、いまだにぼくは、早百合のことを思い出すとモヤッとした気分になるのだ。


(27)


「ねぇ、大門先生。本当にこれで良かったんでしょうか?」

「何が?」

「操くんのことです」

「良かったんだって」

「そうですか?先生がいいなら、あたしは別にいいんですけど。なんか、あたし、ただ操くんに精神的なダメージを与えただけのような気もしてるんです」

「それくらいでちょうどいいんだよ。ああいう哲学病患者にはね。生きる意味ばっかり考えて、生きることから逃げてるようなヤツには、ショック療法が必要なのさ」

「でも、あたし、短い間ですけど、操くんと付き合って良かったなって思ってるんです。何にも出来ない人だけど、人を好きになると、殺人さえ厭わないようになるだなと思えて。もう会うことはないでしょうけど、次に生まれ変わるときには、あたし、操くんみたいな男性とともに生きていきたい」

「来世のことは、早百合、きみに任せるよ。私はただの閻魔大王に過ぎないのだから」



『死を遮蔽する者』[後編]
完結


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