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「嫌い」という感情を切り捨てるな‼️

 この記事は以前書いた記事の再掲です。


 
 好きではなくても、好きと言われれば悪い気持ちはしない。しかし、好きという感情は、嫌いという感情があるから成立するものだ。

 すべてが好きならば、わざわざ好きという必要はない。愛情という言葉も、憎悪という言葉と対を成して初めて成立するものではないだろうか?

 どこに行っても「愛❤️」で満ち溢れている世界は、人間嫌い💔にとっては地獄のような世界である。

 なぜ、愛ばかりが推奨されるのだろう。思うに、「嫌い」という感情を持ち続けるより、「嫌い」を忘れたほうが「楽だから」ではないか?

 人を好きになることは、本当に無条件によいことかどうか、疑ってみる価値はあるだろう。

 極論を言おう。誰も愛せない人がいたとして、あなたはその人に「死ね!」と言えるだろうか?

 もし、「人間嫌い」な人間を嫌悪する気持ちを、あなたがもっているならば、あなたは決して愛に溢れた人間ではない。あなたも「人間嫌い」である。

 愛を育むことの素晴らしさを語るならば、憎しみの感情を経験したことがなければならない。

 人を愛することが自然ならば、人を憎むことだって自然なことではないか?

 嫌いな人間があなたの前に現れたとき、ある意味、それは、「嫌い」とはなにかを考える絶好の好機なのだ。

 無理に好きになろうとしてはいけない。それは、あなたの心を「嫌い」のない不毛な心にしてしまうだろう。

 せっかく、人を嫌いになったならば、その場所に踏みとどまり、その「嫌い」の原因を探ってみたらどうだろう?

 あなたの「嫌い」は単に思い込みだったかもしれないし、ちゃんとした理由があるかもしれない。なにも考えず、とりあえず「嫌い」の感情を押し殺し、無理に「好き」の感情へもっていこうとすると、あなたの心は腐敗してしまう。

 「嫌い」な状態が想像できない人間は、決して「愛情」など語れない。
みんな「嫌い」が長続きすることに耐えられないだけなのだ。

 好き嫌いは誰にでもある。「嫌い」をすぐに避けようとすることは、単なる「逃げ」である。
 愛に目を向けるのならば、「嫌い」にも目を向けてみよう。つらいかもしれないが、それが愛への第一歩である。

 「嫌い」がない人間を大人だというのは幻想にすぎない。

 喜怒哀楽という言葉がある。「怒り」も「哀しみ」もなくしてしまったら、人間ではない。「喜び」と「楽」しか理解できない人間は、わたしには到底「大人」の人間だとは思えないのだ。

 わたしは、無批判に多数派である「人間好き派」につく人間よりもむしろ、一度立ち止まり徹底的に考え抜いた、少数派である「人間嫌い」を愛する。

 満足な豚🐷より、不満足なソクラテスをわたしは愛する。



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