三鷹ぴかた

文系の大学院生。 日々のアイデアをメモするnote。 X(Twitter) http…

三鷹ぴかた

文系の大学院生。 日々のアイデアをメモするnote。 X(Twitter) https://x.com/Piccata_Mitaka?t=Vr5pU0sIlgAX7Ost2-OhCg&s=09

マガジン

  • 二項対立を考える

    二項対立に興味がある。 「二項対立」という一語に括ることはできない、その多様なあり方を、ゆっくりと整理してみたい。分類してみたい。 ----------- 私たちの思考は両極を設定しつつも、その両極に完全に収束することはなく、両極のあいだを生きている気がする。かと思えば、どちらかの極に知らぬ間に偏って、極端に、生きていることもある。二項対立ってそんなもの。

  • 平和の呼び声を聞く

    広島の平和記念公園を訪れて、考えたことや感じたことを、ゆっくりと書き起こしていく記事集。数年に一度の周期で、あの場所を訪れたいとも思う。

  • スポーツと哲学と

    中学から大学まで、バレーボールをしていました。 部活動という文化に触れてきました。 その中で感じたこと、スポーツや部活動について思うことを、あれこれと思索するマガジンです。

  • アイデアメモ

    自分のアイデアメモです。

最近の記事

人は「架空」を求めている?

現代社会は、「架空」で溢れている。 漫画や小説、Netflix、匿名でやるSNS、ゲームの世界。自分の頭の中で妄想や思考を運んでいる時間も、「架空」と呼び得るかも。 ではなぜ、「架空」は求められるのか。きっと、現実逃避。 なぜ現実から逃避したくなるのか。 現実とは常々、わけがわからないものだから。揺れ動く理解不能は不安感であり、その不安感は我々から安心感を奪い取る。安心感を取り戻すために、架空の世界に潜り込む。そこには根源的な理解不能が住んでいないから。 飲酒は私を別の

    • 「自分史」とは、自己物語化である

       〈2024.09.04〉  「自分」の「(歴)史」という名の通り、「自分史」とは自分の人生(歴史)を時系列で振り返り、自伝的に物語化することだと思う。もう少し私に馴染みやすく捉え直すなら、「自分を主人公にして、3巻の漫画を作るなら、どんな構成にするか?」くらいの問いとして考えてみても良いだろう。ここで一つ重要なのは、「3巻」という制約である。私たちは、自分の人生の中から、この制約の中に収まるように、特筆すべき出来事を選び取って、「自分史」という物語をつくり上げる。  「3

      • 「生きる」と「稼ぐ」(240903)

        現代社会において、「生きる」という動詞は「稼ぐ」を強く含意している。 「金銭」は、人工物の最たるものであるにも関わらず、人間の生の本質の一つに数えられる地位まで登り詰めた。私たちはもはや、「金銭」を抜きにして己の生を考えることができない。 そこで人々は、「稼ぐ」という現代社会の本質に対して、様々な工夫を施した。「よりよく稼ぐ」とは何かを考えて、産業システムを発展させてきた。時には、「より多く」稼ぐのは何処の誰なのかという競争のゲーム。またある時には、「より楽しく」稼げるよ

        • #00 文化に構築されながら生きる

          2024.08.23 「真に人間らしい生き方とは何か?」 こんな問いをふと考えることがある。 何のために生まれたのか。何のために生きるのか。どのように生きることが人間の本質なのか。しかし、このように考えてしまうこともまた、「目的(何のため)」や「本質」が大きな価値を持つ文化の中を生きているから発生することなのだと思う。 今や、私たちの身の回りは、人工物であふれかえっている。 いま私が触れているキーボード、座っているイスと机、さっきまで見ていたYoutube、そしていま使っ

        人は「架空」を求めている?

        マガジン

        • 二項対立を考える
          1本
        • 平和の呼び声を聞く
          3本
        • スポーツと哲学と
          1本
        • アイデアメモ
          2本

        記事

          同質性と異質性【二項対立 01】

          現代は「異質性」の時代か? 今日は、「多様性の時代」とも言われるように、人と人の多様な差異を尊重する時代だと思う。私たち一人ひとりが、かけがえない個性としての差異を持っていて、その異質性にこそ価値がある。あなたと私は違うのだから、片一方の感性を強要してはいけない。そんな感覚が社会に浸透しつつあるのが、現代社会ではないだろうか。 差異に注目する異質性の考え方は、とても重要だ。 私たちは同じ人類であっても別の人間で、同じ日本人であっても別の人間で、見かけが同じ性別に見えても別

          同質性と異質性【二項対立 01】

          【パリ五輪】「誹謗中傷」と「愛の鞭」

          2024.08.08 私は怒っています。 先日、パリオリンピックの男子バレーボール準々決勝、日本vsイタリアの試合がありました。私もバレーボーラーの端くれとして、画面越しに熱狂しながら観戦しました。両チーム譲らない白熱の試合展開で、最後の最後まで、まさに手に汗握る一戦でした。結果はセットカウント2-3で日本はベスト8での敗退となりました。悔しい結果ではありましたが、それ以上に両チームのプレーに感動させられる、そんな試合でした。 しかし、試合を終えてみると、どうやら西田選手

          【パリ五輪】「誹謗中傷」と「愛の鞭」

          痛みと傷みと悼み(2024年 #03)

          2024.08.07 傷というリアリティ 私たちにとって、真にリアルなものが何か考えた時、そのひとつには「傷」や「痛み」がある気がする。私の身体に刻まれた「傷」、強く感じ取られた「痛み」、それらのグロテスクと強度に耐えるのは、なかなか容易なことではない。個人的な話だが、腰椎椎間板ヘルニアを発症し、動けない程の腰の痛みと足の痺れを経験した時に、私の生のあり方はいくらか変わってしまったように思う。それくらい、「傷」や「痛み」というのは、私たちにリアリティの強度をもって迫ってく

          痛みと傷みと悼み(2024年 #03)

          就活ゲーム仮説 #01

          2024.08.07 「就活だるい」「めんどくさい」 おそらく、ほとんど全ての就活生が、少しは思っているだろう。紛れもなく私も、就活めんどい界隈の一人だ。しかし、社会に出て働いてみようと思う多くの学生にとって、就活は避けて通れない道でもある。(勿論、就活を避けて生きる道もあるのだが、その類の道は一旦脇に置いておく。) 私が考えてみたいのは、「商品化された自分を、企業に売り込むゲーム」としての就活像についてである。就活をゲームとして捉えられるようになれば、就活がめんどくさく

          就活ゲーム仮説 #01

          誰のための平和記念資料館(2024年 #02)

          「誰のための資料館なのか」 広島の平和記念資料館を歩いていて、この問いが私を貫いた。 この場所は誰のために、どんな目的のために、存在しているのだろうか。未来を担う子どもたちが戦争と原爆の愚かさを繰り返さないように、記憶を継承するためか。海外から来る人たちが原爆の恐ろしさを学ぶためか。原爆で亡くなった方々を悼むためか。平和への祈りか。はたまた観光資源として、人を呼び込むためか。いくらでも多様に、考えられるように思えた。 資料館には、「対話ノート」というノートが設置してあった

          誰のための平和記念資料館(2024年 #02)

          広島平和記念資料館から(2024年 #01)

          先日、広島の平和記念公園を訪れた。 広島観光の、行程の一部として。 その訪問(特に平和資料館の中)で感じられたこと、考えたことを幾つかの記事にまたがりながら、書き残したいと思う。 考えることを余儀なくされる 資料館を訪れるのは、高校時代の修学旅行以来で、二度目。 今回の訪問では、何か新しいことを知ったり、学んだりする以上に、「考えること」「感じること」に駆り立てられるような体験をした。 展示物が語りかけてくるような切迫感。言葉にすることもできない圧倒的な何かが押し寄せてく

          広島平和記念資料館から(2024年 #01)

          「チーム」という名の排除【スポーツ・部活論#01】

          「チームのためにできることをしましょう」 中学から部活動でバレーボールという集団競技を続けてきて、何度も耳にした言葉だ。私自身がこの言葉を使ったこともあったと思う。一見すると、「みんなはひとりのために、ひとりはみんなのために」という、チームスポーツらしい精神性を映し出した言葉のようにも聞こえる。しかし同時に、ここで言われている「チーム」とは誰なのか、その「チーム」から排除されている人がいるのではないか、自分はその「チーム」の中にいるのか。そんな疑問もまた、私を襲うのだった。

          「チーム」という名の排除【スポーツ・部活論#01】

          「成長」とは何か

          私たちは、「成長する」というとき、そこに「向上」という意味を重ねて見ているように思う。「より良くなること」「高まること」「強くなること」これは、何かの階層の中で上に進んでいくというイメージとともにある。 しかし、この階層が上に進むイメージは幻想ではないか? 「童心を忘れるな」ということが時々言われる。子どもらしい遊び心を持て、堅苦しくつまらない大人になるな、ということだろうか。この言葉に含まれているのは、「(成長する前の)子どもだからできたことがあった」という意味ではないだ

          「成長」とは何か

          「良い所」を探すとは

          他人の「良い所(長所)」を探す/見つけることができるのは、大切な能力だと思う。他人の「悪い所(短所)」を見つけることが得意な人よりも、「良い所」を見つけられる人の方が、人間関係もうまくいきそうである。 しかし、人の「良い所」を探すとき、私たちは本当に、真の意味で「良い所」を探すことができているのだろうか。そもそも「良い所」ってなんだ? 「良い」とは何であろうか? 「良い」の定義が人それぞれ、あるいは状況に応じて違うなんていうのは、至極あたり前のことである。だからこそ、「長

          「良い所」を探すとは