誰のための平和記念資料館(2024年 #02)
「誰のための資料館なのか」
広島の平和記念資料館を歩いていて、この問いが私を貫いた。
この場所は誰のために、どんな目的のために、存在しているのだろうか。未来を担う子どもたちが戦争と原爆の愚かさを繰り返さないように、記憶を継承するためか。海外から来る人たちが原爆の恐ろしさを学ぶためか。原爆で亡くなった方々を悼むためか。平和への祈りか。はたまた観光資源として、人を呼び込むためか。いくらでも多様に、考えられるように思えた。
資料館には、「対話ノート」というノートが設置してあった。そこを訪れた人なら誰でも好きなように、思いを書き残せるノートであった。実際にノートには、日本語や英語、時に別の言語で、平和を願う思いが記されていた。そのノートに必死に文字を書く小さな少年の姿には、たしかに、胸を打たれるものがあった。しかしそれでも、私はこのノートに違和感を感じずにはいられなかった。
私が違和感を感じたのは、そこに記されるのが、日本語と西洋の言語に限られているという現実に対してである。私がめくった数十ページの中にあったのは、日本語と英語、時折ハングルや他の西洋の言語であった。
結局のところ、今日の世界で、平和資料館を享受することができるのは、世界でもごく一部の人々に限られているのだ。こんなことは資料館を訪れる前からわかっていた。忘れていたわけでもなかった。しかしあの場所で改めて、それが現状なのだと突き付けられた。いたたまれなさに襲われた。
平和記念資料館を見学するには、200円という大金が必要だ。広島を訪れるのにも大金が必要だ。資料館を訪れても、その資料を読み取るには日本語や英語の能力が必要だ。資料館は確かに、平和という人類の理想の素晴らしさと必要性を私たちに語りかけてくる。子どもたちはあの場所で、平和を学ぶ。それだけでも、あの資料館は間違いなく、人類の負の遺産であるとともに、重要な文化財である。
しかし同時に、資料館にて平和への語りかけを受け取るには、一定の能力やお金、ステータス、社会文化的な条件が求められている。これが現実だと思い知らされる。対話ノートに思いを書くことができない子どもたちが、人々が、世界には未だにたくさん存在するのである。
この現実と私はいかに向き合えば良いだろうか。
この絶大な問題の前で、いまのところ私は立ち尽くし、ただ祈ることしかできていない。この祈りはいつか、平和に結びつき得るだろうか。
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