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夢Ⅰ(31)

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☆主な登場人物☆

◤ ◖ ◥ ◗

《茶色》は、ソリの入り口で、リックとしっかりと向き合うと、雪原を抜けるまでの日課をリックに伝えた。彼の声音は、普段よりも少し強く、いつもと変わらず穏やかな表情の目には、強い光を宿していた。
《茶色》の目に宿っている光は、あの夜、炎に飲まれていく森を前にして、父親と祖父そして兄が宿していた強い光だった。
その光が、今、リックの瞳の奥に向けられていた。

 

 

強さを増す風は、彼方から重い雲をかき集め、幾重にも重なり合った雲は、その姿を雪に変えると、吹き荒れる風と共に地上を駆けまわった。ヌエ達は、先日の雪上での休息を境にして、明らかに先を急いでおり、もはや、ソリへと上がってくることはしなくなっていた。
雪を纏った風が視界を塞ぎ、太陽と月、星々が境を無くした地上で、ソリの中のリックは、黙々と一人の時間を過ごした。ときおり立ち止まり、また緩やかに滑り出すソリの体動から、雪を踏みしめる5人のヌエ達の存在を感じながら。

どれだけの時間が過ぎたのだろうか、7日ほどか、もしかしたら、もっと長い時間が、ソリを通り過ぎていた。休憩を取らない彼らの身を案じていた気持ちも、引き伸ばされるような心の疲れを癒すために、次第にその気力を失い、日課の腕や、腹筋の屈伸、足の曲げ伸ばし等の簡単な運動を繰り返す毎日に馴染んだ体は、もはや、雪原の、ソリの中の生活が永遠に続くことを受け入れ始めていた。体を、ただ通り過ぎていく、黒い虚無からは、《赤色》や《黄色》から聞いた、過去や、これからさき、訪れるかもしれない未来。
《赤色》が話してくれた故郷の潤いに満ちた光溢れる「王都」の姿や。
《黄色》が教えてくれたこの旅の最終目的地「果て無き森」という場所。
それらの景色が、様々に姿を変え、リックの意識を逸らせた。

《赤色》の話す「王都」の姿を、リックは自由にとても鮮明に思い描くことが出来た、光を受けて黄金に輝くであろう石壁や、幾億の人々を導いた小路の曲がり角、夕暮れどき賑わいを増す中央広場、大衆が奏でる打音に声音、広場には両親に手を引かれ楽団に加わる双子の姿が見えた。都中から光は消え、彼らの目に映るのは、近く、遠くと言った感覚を超えた、遥かに広大な星々の舞台。響く声音。《赤色》と《青色》、そして多くのヌエ達の家族が暮らす「王都」。

 

もはや、リックの中には「影の森」以前の記憶は残っていなかった。

 

あの森で生まれ、育まれたリックの体や心は、石壁を持った家屋の姿、建物の間を縫いながら続く小路や、人々の行き交う都、目にしたことの無いそれらの姿が、しっかりとした形を持って、眼前に組み上げられていくことに多少の戸惑いを覚えながらも、それ以上に、ふつふつと明るく懐かしい温もりが心を伝い、細胞達が満たされる感覚で、痛みを伴う涙が薄く込み上げた。

そして、ときにリックの想像は「果て無き森」へと飛んだ。それは、暗く締め切られた空間に、気持ちが沈んだ時に多かったため、森の姿は、「影の森」に輪をかけて悪いものとなった。想像のなか、湿り気を帯び、光の届かないその森は、《黄色》の話では、もともとは、この雪原の外れのひそりとした存在で、ヌエ達の生活していた「草原の世界」よりも、さらに小さなものだった。
小さな森は、木々を遣い縦横に枝葉を伸ばすことで、はじめは少しづつ、触れる土地や異物に、それらを侵食させることで吸収し、ミリミリと成長した。隣り合う雪原と同じだけの大きさを持つに至ると、森の中で、様々な生命が誕生した。森とは別の目的を持つ、植物や生物。それらは、森に囲まれながら、活嬉々々として、次なる新たな生命を創造した。森は、自身の中で、蠢く命に深く干渉することはせず、隣り合う世界を侵食することで創り変え、または新たに創造し、成長を続けた。大きくなるごとに触れるものは増え、それでもただ一つの目的に向けて、肥大するのではなく、充実していくそれは、まるで、巨大な生命体の様で、ヌエ達の力を持ってしても、その果てまでを見通すことは出来なかった。
森は、本来、交わることの無かった世界達の交錯点として、今も、浸食と創造を繰り返し広がり続けていた。もはや、無限に張り巡らされた最外縁の枝葉は、光にも劣らぬ速さで、さらなる外界に触れながら。
ヒタヒタ、パリパリと。

 

 

リックは、目を覚ますと、積み荷の輪郭を追い、慣れた動きで水の入った甕まで進んだ。水は、口に少し含むと潤す程度にとどめた。まだかなりの量の水が甕の中には入っていたが、ヌエ達に少しでも多く残しておかなければならなかった。相変わらず、ヌエ達はソリに上がって来る気配はなく、立ち止まることの少なくなったソリは、一定の速度で進み続けているのだろう、地面を捉える振動が、ゾリゾリと床から伝わってきた。眠る前から、外から叩きつける風の音は、聞こえなくなっていたが、空を覆う雲は晴れないようで、ソリの中で時間の流れを感じることは出来なかった。
食料も、まだまだ、かなりの量を残していた。
リックは、何も食べる気になれず、背を下にして横になると両足を大きく持ち上げた。足を交互に動かすと、偏っていた血液が、体をめぐる感覚が背中から首を通り、頭部へと駆け抜けた。ソリの振動を背中に感じながら、何も考えずに、しばらく体を動かすことに専念した。一通り、体を動かし終えたとき、一息つくのを待ってくれていたのだろう。するするとソリが速度を緩めだした。完全に動きを止めたソリの中を静寂が包み、それは無音特有の大気を切り裂くような亀裂音を伴い、リックを現実へと導いた。

体だけが、ふわふわと静止したソリの中前進を続けている。前へ。前へと。

ソリの後部の布を開けて、一人のヌエが顔を出した。入り口に、顔を出したそのヌエは目に見えてやせ細り、暗闇では羽織の色を、正確に見分けることは出来なかったが、羽織りの影に黄色を見た気がした。

 

近づくと、しかしそれは錯覚で、ソリの入り口で《茶色》がリックを迎えてくれた。

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