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夢Ⅰ(32)

第1話:夢Ⅰ(1)はこちら

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☆主な登場人物☆

 月が出ていた。

 月は、大地と太陽を繋ぐ大きな三角の一端を担い、半身になりながら、くっきりと太陽を見つめている。
 まるで、夢から覚めるように草原に降り立つと、一筋の風が、背の低い草々を撫でながら、リックの頬や髪を涼しく流れていった。
 眼前にそびえる「起点の石柱」は、夜空を背にして、白く浮かび上がり、以前集落で目にした石柱とは比べ物にならない大きさで天に向けてそそり立っている。

 あの日。
 ソリの出口で《茶色》が出迎えてくれた日も、夜空には、同じように月が顔を出していた。

 

 

 月の明かりは、まるで雪肌に呼吸を吹き込むように、チラチラと金色を添えながら、リックを出迎えた《茶色》の羽織りを、淡く黄色に染めていた。
 雪上の、ソリの傍で佇む4人のヌエ達は皆一様に、げっそりとやせ細り、削ぎ落された影よりも暗い光を湛えテラテラと揺らめく、彼らの瞳や、その容姿が、連日の強硬な行進の過酷さを物語っていた。
 《茶色》は、それでも優しく「雪原の難所は越えた。」ことをリックに伝えた。
 遥か後方の空では、月の明かりを受け、しっかりとした陰影を持った巨大な雲が、夜の紺とは対照的に深い白さを湛え、力強く、ずしりと浮かんでいる。
 雪原に入って二度目となる、しっかりとソリを止めての休息は、「起点の石柱」へ向けての最後の休息となった。
 《赤色》が、リックの脇を通りソリに上がって行き、傍くすると、食料と水を担ぎ入り口に姿を現した。《青色》が、入り口で食料や水を受け取ると雪上に、次々と並べた。
 4人のヌエ達は、ガブリガブリと水を体に流し込み、体が欲するままに、まるで、失ってしまったモノを取り戻そうとするように、摂取することに専念した。一心不乱に食物を口へと運ぶ、彼らの欲求は止めどなく、ソリに積み込んでいたほとんどを、あっという間に胃袋に収めてしまった。
 食事中、彼らは一言も言葉を発しなかった。バリバリ、グシャグシャという咀嚼音、時折、ゴクゴクと言う喉の鳴る音達が、月明かりのもと、白い雪上で流れ、リックは彼らの傍らで、その様子に飲まれながら、食べ物を少しだけ口にした。

 

 月の移り変わりを、太陽の流れる姿を追うことの出来る時間は、跳ぶように過ぎ、雪原を抜け、ソリは再び緑がそよぐ草原を駆けた。太陽に焦がされた土の懐かしい香りが、布をすり抜けてソリを満たし、リックは、しばし、この行進の目的を忘れることを許された気がした。

 

 

 どこからともなく、鳥の鳴き声が響いてくる。
 虫達のさえずりが交信を続ける。
 夜の草原は、生命の雑音に溢れていた。リックの足も一個の生物として、合間を縫って、しっかりとそこにあった。
 ヌエ達に受けた恩が、形になり、身体中を駆け巡っていた。
 月の光を受けた4人の羽織りが、ヒラヒラとはためいている。彼らには、言葉で今の気持ちを伝えなくては。茶色に赤色に青色に水色に。羽織りが、雪原で目にした時とは異なった輝きに包まれ、はっきりと各々の色彩を主張している。
 一筋の風が、リックの髪を乱し、流れ込んできた光景に、ヒリヒリと敏感になった肌を外側から強く刺激した。

《茶色》の声が耳に届き、彼の温かい掌が、リックの肩をふわりと包んだ。「大丈夫だよ。心配いらない。」

 リックの中で生まれた小さな不安は、彼の温もりで幾分か和いだが、完全には消えなかった。その不安は、「なんで。」と始まり、行き着く先は、決まっていて、どれだけ、深く考えようとしても、「なんで。」と同じ疑問を積み上げた。「なんで。」「どうして。」それ以外、思い浮かばなかった。核となる問いかけに踏み込むことを心が避けていた。
 現実に心が追い付かず、本当に欲しいのが、「なんで。」でも「どうして。」の答えでもなかいことは、わかっていたが、堂々巡りを繰り返した。体の表面を覆う孔から、外気が忍び込み、ネトリとした汗が滲みだした。いくら振り払おうとしても、リックの弱みを良く知る、それらの問いかけが、追いかけて来た。
 《黄色》は、どうしたのか。

 リックは、前進しているという現実を、突然に突き付けられた。それも、保証の一切ない道の上を。《茶色》の優しい掌が、しっかりと本当のリックの位置を見守ってくれた。
 どこかの木にとまる鳥がひときわ大きな声を上げた。リックを責めるように。

 

 石柱を中心に、月が傾きだし、リックもいくらか落ち着きを取り戻すと《茶色》が口を開いた。それは、リックに向けてというよりも、彼自身が必要としているように感じた。彼の掌は、変わらずリックの肩に預けられていたが、彼の視線は、石柱に注がれていた。

 《黄色》は自身の力を生かし、雪原を越える際、一人前哨を務めた。
 彼の力は、ヌエ達の中でも群を抜いており、2日先からでも正確にソリを引く一行の「声」を聴くことが出来た。彼だけが、情報の乏しい雪原で比較的進みやすい進路を一行に伝えることが出来たのだと。
 雪や氷で覆いつくされ、姿を隠した地表では、雪解けの水を運ぶ水脈がウネウネと蛇行し、その深度は、雪原の深くに踏み入るほどに増していった。深く、深くと。先を急ぐ必要があった。《黄色》は、駆けながら水生生物の「声」を聴き、水脈の位置を把握し、一行に進むべき方角を示した。雪原を抜けて、「起点の石柱」へと繋がる最も短く、確実な進路を。

〈四角窪みを、右に曲がって。〉
〈下っている崖は、避けて、脇を登るように。〉
〈大雪玉を回り込んで、左へ進む。〉〈右へ。〉〈左へ。〉〈直進で。〉
と言うように。

 下りを駆けることが多くなり、黒い雲の切れ間から、懐かしい青い空が顔を出し、半日ほど進んだころ。
 突然に《黄色》からの「声」が、届かなくなった。

 夜が覆う雪上でヌエ達に引かれたソリは、無事に雪原の難所を越えていた。

Ν Ν Λ Ν

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