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夢Ⅰ(1)

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 とある国の晴れ渡った夜の静けさのなか、鳴り虫の声だけが涼し気に届いてくる。

 窓を背に初老の男が書斎机に向かって書き物をしている。
 部屋は、入口と窓を挟んだ位置に書斎机を配置したシンプルなもので、壁一面に大小さまざまな本が並んでいる。
 書斎机の上は綺麗に整理されていて、男の向かって左手奥のかどに地球儀が置かれている。

 初老の男は、ときおり地球儀に向かって何か語りかけ、また、納得したり微笑みかけたりしていた。

 男の名は、リック・グレンと言い。
 彼は、あなたの手に取ったこの物語の書き手であり。
 これは、あなたがどこかの街角ですれ違ったか、もしくは、これから先どこかで出会うかもしれない男の物語。

 私は、彼の代弁者として、この物語に触れてくれた友に、彼に代わりここに謝意を表す。

 

 

プロローグ

 母親の声で目を覚ました、夢の中「早く、、、」「、、、、、わよ」と聞いた気がした。目覚ましのアラームは、知らぬ間に止めてしまったらしい。部屋の隅、扉のあたりに母親のシルエットが浮かんでいる。実力行使に出られる前に、重たい体にムチ打ち、手を動かしたり起きる素振りを見せる、努力をした。

 手探りで、メガネを探し当て時計に目をやると8時36分を指していた。

 いつもどおり、全力で準備をしなければ遅刻だ。計算では、2分で着替え、2分で顔回りを小綺麗にし、母親から昼食の入ったボックスを受け取り、栄養補助食をくわえながら、自転車をとばし出社すれば、9時ぎりぎりで会社の出勤ログに記録を残せる。

 リックは、計画通りに行動し、全力で自転車に飛び乗った。

 

☆主な登場人物☆

 はじめに感じたのは、耳に触れる冷たい感触。次にとても遠くの世界から差し込む柔らかい光。光は次第に大きくなり。目を覚ました。
 体が重い、馴染みのある寝起きの重さとは違い、外から押さえつけられているような体の重さに抗いながら上体を起こし、ゆっくりと自分の体を確認した。スーツに腕時計姿、後で気づいたのだが、メガネをしていない。書類カバンや昼食のボックスはなかったが、朝、家を飛び出したときの姿をしているようだ。
 リックは、うっそうと茂る若草の上に横たわっていた。若草は朝露でぬれ、風に乗って、さらさらとゆれている。
 風が涼しく柔らかい。

 「出勤ログは。」急に不安になった。

 頭のなかでさまざまな声がこだましている「若草」「平穏」「会社」「上司」「出勤ログ」「遅刻理由」しだいに自由になりだした体を動かしながら辺りを見回すと、若草が絨毯のように一面になった空地にいることがわかった。空地は、なかなかの広さがあり、晴天の空を大きく見せている。周囲を木々に囲まれているようで、その先は、どうなっているのかここからではわからなかった。

 ここはどこだ。

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 リックは、しばらく立ち尽くした。

 落ち着け、朝、目を覚まし、準備、自転車、若草。どうやってここにいるのか、まったく思い出せない。とにかくだ、助けだ。携帯、は鞄の中。人だ。そう考え、もう一度あたりを見回したが、人影はなかった。

 

 

 広大な空地は、風が吹き抜けるほかは、動くものの気配はなかった。
 リックは、ぽつりと一人広い空地にいることに、そわそわと落ち着かず、太陽の位置と腕時計で、目印の無い空地に目安をつけ、ゆっくり歩き出すことにした。
 知らない場所だが、方向を確認することで少しだけ気持ちが紛れた。
 降り注ぐ日の光、それに、風に運ばれてくる草と太陽の混じりあった香り。右、左、右、左、規則正しく若草を踏みしめながら、ふと、長い間、こんなに穏やかな時間を過ごしていなかったなと思った。一面を緑に囲まれながら、今とても貴重な経験をしているのかもしれない。場違いだが、浮足立っている自分に気づき靴を脱ぎ裸足で歩くことにした。

 じわりと汗をかきだしたころ、空地の端にたどり着いた。
 少し前から不安に思っていたが、木々は、間近にすると異様な大きさであることがわかった。大木の「根」は、超高層ビルほどの高さまで隆起し、他の草木の苗床となっていた。
 巨大な根達は互いに協力し合い、完全に空地を包囲しており、大きく広がっていた青い空は、大木から放たれる無数の枝葉の陰に隠れて完全に見えなくなっていた。

 根が眼前に迫るまで、夢の中のように、無形の淡い期待を抱いていたリックは、急に不安になり今来た方角を振り返った。

 外周を取り囲む大木の巨大な影で、追いやられたように、遥か先にぽつんとある緑の空地は、黒と緑の境界をはっきりと示し、ここから先は別世界であることを告げているように感じた。
 当初の浮足立った気持ちは、跡形無く消え去り、足から力が抜けそうになる。引き返したい衝動にかられ、一人だけ、置き去りにされた感覚が急に鮮明になり血の気が引く。
 先に進まなければいけないという思いを、体の外へ押し出すように、リックは強烈な吐き気に襲われた。酸味を帯びた液体が喉から口に流れ込んできたが、強引に飲み込む。落ち着くんだ、まずは人だ。戻っても人はいない。この先に人はいるのか。

 ここはどこだ。

 

 

 靴を履き、大木の根と根の隙間、少しだけ登りやすそうなところに手をかけ、シダや枝木を足掛かりに根登木による前進を開始した。靴は、ウォーキングシューズを兼ねた実用型で、入社のときに母親がスーツと揃えて買ってきたものだった。見た目が悪く、全く気に入らず出社するのが嫌でたまらなかったが、今は母親に感謝しかなかった。

 ありがとう。登る。

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                    ⇒第2話:夢Ⅰ(2)はこちら

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